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御前レファレンス。(13-1)

第壱回『雲云なす意図。』

♯13-1:足き伝導。


     †

 水墨画で殴り書きしたような漆黒の炎を纏う――巨大な蜘蛛。

「――デカ……!」

 脳がバグったのかと思うほどの、大きさ。
 この蜘蛛は、人間ひとの感情や記憶などに干渉た〝蠧魚シミ〟が具現化したモノ。

 本来ならこの世界にはあるはずのないモノ。

 蜘蛛といえば――
 タランチュラや熱帯のジャングル的な場所に巣喰う、やたら脚の長いやつなどもいるが、いくら大きいと言えどその多くが手のひらサイズだ。

 ちいさな蜘蛛が家に出ただけで大騒ぎするひとだっているのに、この禍々しい巨体に異様な風態。

「ヤバ……ッ」

 無意識に足がすくむ。

 㐂嵜さんが百六十センチくらいだとすると、この蜘蛛は三、四メートルはある。
 それが㐂嵜さんの身体を突き破って出てきたように見えたのだから、なんとも縮尺がおかしすぎる。

 やはり〝蠧魚〟はこの世ならざるモノなのだ。

「コイツが〝糸〟の正体」

 いやでも目に映る禍々しく巨大な蜘蛛。

〝糸〟と〝蜘蛛〟は組み合わせとしては分かりやすいイメージの具現化だ。

 最初期は、平埜さんから伸びる〝糸〟そのものが、〝蠧魚〟であると考えらた。

 しかし、ヒバナが、

「今回の蠧魚は自堕落なヤツで〝糸〟だけをこっち側に伸ばしてきてるとしたら」

 と気づいた。

 だとすると、〝糸〟は平埜ひらのさんから伸びているのではなく、平埜さんにくっついている。

 平埜さんから〝糸〟が伸びているとするなら、蠧魚が記憶や想いを喰らい寄生しているのは、平埜さん本人である。が、

 蠧魚の本体はまだあっち側にいて、〝糸〟だけをこちらの世界に送りこんできているのなら、宿主は――㐂嵜きさきさんの可能性がある。

 ここまではヒバナと僕の仮説。

 そのため正体を注意深く探り、こっち側へ引きずり出すために魔法陣を描いて結界を張ったのだが、たいへん大がかりでなんとも派手な仕様になってしまったのだ。

 蠧魚は人間の感情や記憶など目に見えないモノに干渉する。

 だから、㐂嵜さんと平埜さんが強烈な印象を持つように派手な舞台を用意したし、非情にふたりの感情を思い切り上下左右縦横ななめに振り回し乱しまくった。
 こうして〝蠧魚〟の本体をあっち側から引きずり出すことに成功はした。
 したが、結果的に、ふたりの感情を弄ぶような状況になってしまったのは反省すべき点だ。

「でも、反省するのはまだだ」

 まだ、仮説が証明されただけ。

「結局、これだと平埜さんか㐂嵜さんのどっちが宿主か分からないな」

〝糸〟はふたりから出ていた。
 というか、ふたりは〝糸〟でつながっていた。

 それが意味すること。
 それが、ふたりを蠧魚から解き放つカギになるのではないか。

「ふたりともに〝糸〟が干渉してたんなら、どうして〝糸〟は㐂嵜さんにだけ見えて、平埜さんには見えてなかったんだ?」

 考える。

 ここでヒバナの言葉が思い出される。

「ひとは見たいモノを見たいように見る」

 㐂嵜さんは〝糸〟を見ていた。
 平埜さんに〝糸〟があるように見た。

 それが〝蠧魚〟の影響で、可視化され具現化した。

「でも、それが平埜さんには見えてなかった」

 㐂嵜さんがそれを見ようとしたから㐂嵜さんに見えてた。
 本来はそこに存在しないモノだった?
 でも、それだと流石に見えないモノが視えるヒバナにも可視化は不可能だ。
 見えないだと、そこに無いのは違う。

「だったら、どういう……――」

 そういえば、平埜さんからヒバナが〝糸〟を抜いたとき。

「返して」

 と言っていた。

 ゾンビのようになってしまっていたから、本能だけで自分を支配していた〝糸〟を求めたのかもしれない。

「ん? 支配していた糸? 支配していた意図?」

 僕は腕に抱えた平埜さんを見て、そして㐂嵜さんを見た。

 巨大な蜘蛛が、㐂嵜さんの身体の上に鎮座している。

 㐂嵜さんの身体がバカデカい図体に押し潰されないのは、重さという概念みたいなモノを〝蠧魚〟が人間から取りこんでいないからだ。

 つまりたとえば、僕が〝蠧魚〟の干渉を受けた宿主だとする。
 頭に、その蜘蛛の図体のデカさに比例した重さについて思い浮かべた時点で、すぐに〝蜘蛛アレ〟が重さを得るのである。

 繰り返しになるが、僕らが〝蠧魚シミ〟と呼ぶ〝アレ〟は、ひとの感情や想い、記憶など目に見えないモノに干渉する。
 そして、その姿は、宿主や周囲の人間の感情や記憶を読み取って具現化されるのだ。
 ようするに、巨大な蜘蛛の姿は、㐂嵜さん、または平埜さんの感情や記憶によって形成されたということになる。

 そして、

「蜘蛛の姿には意味がある」

 僕はそう思った。

 蜘蛛は、やけに鋭く長すぎる脚を折りたたんで、たったいま脱皮してカラダを脱ぎ捨てたように、じっとしていた。

 対峙するヒバナをやけに警戒しているようにも見える。

 巨大な漆黒の蜘蛛が、図体に似合った非常にゆっくりゆったりとした動きで脚を広げた。
 㐂嵜さんの身体の上から、地面へと脚を下ろす。

 途端、どぉおん、と重さを感じさせる音と地響きが、地面を伝って僕の脚を震わせた。

 地面に降りた途端、質量と重量を感じさせるなんて。

「僕がそうやって見たから?」

 僕自身が重量と質量を巨大な蜘蛛に感じたから。
 だとしたら、僕も〝糸〟の干渉を受けていることになる。

 ふと、足もとを見た。

 魔法陣の結界の薄紫色の淡い輝きに隠れて、黒い光が何本も走っているのに気づく。

「〝糸〟!?」

 無数の〝糸〟が地面を張っていた。

「コレって、蜘蛛の巣か」

 巨大な蜘蛛は具現化し、こっちの世界に出現すると同時に『蜘蛛の巣』を魔法陣の空間に張りめぐらしていたのだ。

 それに気づくのが遅れた僕は、急に焦り出した。
 いまさら、焦ったとしてもどうしようもないのに。

 僕が気づいてることは、もうすでにヒバナも気づいてるはずだ。

 ヒバナの、その手にはまだ、鈍い黒い光を発する〝糸〟がしっかりにぎられていた。

 蜘蛛の出現に呼応して〝糸〟は、元気を増してニョロニョロとうごいている。
 たいへんキモチがワルかった。

 しかしカノジョはまるで動じることなく、巨大な蜘蛛を観察するように、薄紫色の瞳を淡く輝かせる。

 僕にはカノジョの背中が大きく大きく見えて、緊張感と恐怖感と高揚感といろんな感情がないまぜになったせいで、

「ヒバナぁ~~っ!」

 僕は用もなく考えになく反射的にカノジョの名を叫んでしまった。
 ヒバナはとても花車きゃしゃだけど、その立ち姿にはもう頼りがいしかない。

「え、なにー?」

 が、場を支配する張り詰めた緊張感とはかけ離れた、ひどくゆるい表情と声でヒバナが振り返った。

 巨大な蜘蛛に背を向けて。

 まさにその瞬間とき――

 蜘蛛が音もなく動いた。

 僕が呼びかけてしまったせいで、ヒバナに隙ができてしまった。

 巨体が水中のクラゲのような動きで、ふわりと浮かび上がる。

「ヒバナ! うしろうしろ!」

 と呼びかけるも、もう遅い。

 すでに、巨大な蜘蛛の身体はヒバナの頭上にあった。

 結界の天井スレスレまで飛び上がった巨体が、突然重さを取り戻したように重力に導かれ、即座に地上への降下を開始した。

 鋭く尖った八本の脚がヒバナを襲う。

 ――どぉぉぉおぉぉん!

 鈍く派手な音が鼓膜を打ち破ろうとする。
 巨大な蜘蛛に押し潰された空気と地面が爆煙と衝撃波を発生させる。

 僕は平埜さんを庇いつつ、その場に伏せた。

「――ヒバナ!?」

 爆風が駆け抜けてすぐ顔を上げた。
 ヒバナの姿を探したが、巻き上がった土煙で一メートル先ですら視界が失われた。

 ところが、である。

「ミサキ、呼んだ――?」

 すぐ傍で、ヒバナの声が鳴った。

 あまりに近くにヒバナの顔があったので、

「おおぅ!?」

 びっくりしてのけぞってしまう。
 さらに驚ろかされたのは、

「ミサキ、こっちもよろしく!」

 言って、ヒバナがひょいと投げてよこした。

「ちょ! ぐへぇ!」

 それを僕のぺらぺらの貧弱な身体では受け止めきれなかった。
 砂糖ザラメがパンパンに入った袋どころではかった。

 だって、それは人間ひとひとりだったんだから!

 ヒバナが僕に放ってきたのは、㐂嵜さんだ……!

 数秒で巨大な蜘蛛のボディプレスをくぐり抜けて、十メートルをダッシュして倒れていた㐂嵜さんを抱えて、そこから二十メートルほど離れた僕のところまでやってきたというのだ。

「……すごすぎっ!」

 興奮で鼻息を荒くしたが、

「はいはい、これくらいでいちいち驚かないの!」

 ヒバナにたしなめられてしまった。
 まだまだこれからってことか。

「はい!」
「ふたりは?」

 反省してる間もなく、ヒバナにふたりの様子を訊ねられる。

 すぐに㐂嵜さんと平埜さんの状態を確かめる。

「ケガはしてないみたいだけど、ふたりとも意識が……」

 完全に意識がないのか、朦朧としているのか、この状態では分からなかった。

「大丈夫だといいんだけど……」

 ふたりの呼吸と体温を感じる。
 同時になんともなさけない気持ちになる。

 いま僕はふたりのことを心配するしかできなかった。

「どうする、ミサキ」

 としかし今度はヒバナが僕に訊ねてきた。

「ど、どうするって?」

 なぜ、ヒバナが僕に訊いたのか、すぐには分からなかった。
 なにもできずにいる無能の僕に。

「ミサキはどうしたい?」

 もう一度、ヒバナが問う。

「と言われましても?」

 ワケが分からずただ丁寧に返した。

「こんなときにボケてんの?」

 こんなときにプッとヒバナが吹き出した。

「ミサキがやりたいと思うことをやればいいんだよ」

 ヒバナが言う。
 いつになく優しい声だった。

 巨大な蜘蛛に襲われてる最中じゃなければ、僕は泣いちゃったかもしれません。

 と、その刹那、

 巨体が音もなく動き出した。
 再び、巨大な蜘蛛が宙を舞う。

「ヒッ!」

 僕が悲鳴を上げる前に、

「――ひとがまだ話してる途中でしょーがッッ!」

 ヒバナは蜘蛛に向くやいなや、こぶしを振るっていた。

 そして、その拳は――特大だった。

 結界内を飛びかう薄紫色の粒子が発光した。
 かと思うと、ヒバナの右腕に集まり出し、蜘蛛の巨体に匹敵する大きな大きな『拳』を形成する。

 ヒバナは、光をまといし特大の拳を振り下ろしたのだ。

 ズゴァァァオァァァァァァァアン。

 と派手な音を立てて、巨大な蜘蛛が地面に叩きつけられる。
 蜘蛛が突撃してくるのを逆に空中で叩き落とした!

 巨大な蜘蛛が風に吹かれるゴミ袋くらいやすやすと転がる
 魔法陣の障壁に激突した瞬間、

 バリバリバリバリッッッ!

 巨大な蜘蛛と障壁に漆黒と薄紫のスパークが同時に起こった。

 蜘蛛はスパークの衝撃に——ただただ仰天ビックリしたのか、そそくさと障壁から離れる。

 その巨体と禍々しい姿に似つかわしくない妙にコミカルな動きを「かわいいな」とか、不覚にも思ってしまったんだけど。

 体勢を立て直し再びヒバナへ向き直った巨大な蜘蛛の――異形の姿容すがたかたちに、自分のゆるい感想をすぐさま撤回した。

 蜘蛛はヒバナへの敵意を放出するみたいに、漆黒の巨体を炎のごとくゆらめかす。
 異様な空気がピリピリと泡立ち皮膚を刺激した。

 蜘蛛は巨体を揺らし、前方の脚を高々と上げた。
 動物や虫によくある自分を大きく見せる威嚇行動に似ていた。

 ただコイツはもう十分すぎるくらいにデカイ。
 逆に、巨大な蜘蛛と化した〝蠧魚シミ〟は、それほどまでヒバナを『脅威』の対象としてるということかもしれない。

 そして、その敵意はすぐにカタチとなって、吐き出されることとなった。

「……ん!?」

 一瞬めまいがしたのかと思った。

 違う。

 巨大な蜘蛛の漆黒の輪郭が陽炎カゲロウのように揺らいだのだ。
 同時に、その揺らぎは実際にドクンドクンと鼓動となり地面を揺らした。

 ギギギギギギギギギギギギギギギギギギッ!

 蜘蛛が空気を軋ませ啼いた。
 と次の瞬間、

 蜘蛛の口あたりから、巨体を形成する漆黒と同じ闇色のカタマリが飛び出してきた。

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