御前レファレンス。(14-2)
第壱回『糸云なす意図。』
♯14-2:そう惑う。2
†
僕は、映画『ターミネーター2』で未来からやってくるサイボーグみたいなポーズで、記憶のなかの大学に再現された。
「裸じゃなくてよかった」
映画のなかだとそうだから。
「T2は知ってるんだ?」
立ち上がる僕の右肩で、なにか不服そうにヒヴァナがつぶやく。
「名作でしょ。知ってるよ」
「精神と時の部屋は知らないのに?」
「ドラゴンボールだっけ。ちゃんと観てないんだ」
「動画サイトにアニメあるし。図書館にコミックスもあるよ」
「そうなんだ。今度、読むか観るかしてみる」
話しながら、周囲の様子を見回した。
ふたり分の記憶を無理やり張り合わせている状態で、再現性に支障が出ているかもと危惧したが、
現実との違いが分からないくらいに、大学の様子がしっかりと再現されている。
「現実とほぼおなじだからといって、油断しないこと」
「油断?」
「よく『夢と現実の区別がつかなくなる』っていうでしょ。それとおなじ」
「このヴァーチャルな世界に取りこまれる……?」
「ご名答。さすがホームズ」
「こんなところでもちゃんと茶化すんだね」
「あたしはきみの心が再生したあたしだよ。きみがそう望んでるってことかな」
「ほんとに? 僕が? ヒバナが僕をすぐに茶化すからじゃなく?」
「ま、そういう考え方もある」
「ほら、やっぱり」
「ひひひ、ミサキは素直すぎるんだよ」
「馬鹿正直な田舎者なんだよ、僕は」
「コラ。そうやってすぐに自分を卑下する。よくないよ」
「……分かってる、ごめん」
「素直だねぇ、ミサキくんは」
結局、からかわれてる気がするんだけど。
「とにかく。此処が〝蠧魚〟の性質を利用してできてるってこと、お忘れなく」
最後にヒヴァナがちゃんと気を引き締めさせてくれた。
「このときって、いつなんだろう」
いま目の前に広がっているヴァーチャルリアリテティな映像は、誰の記憶のどの時期なのか。
時間を確かめるのに、てっとりばやく、僕はポケットをまさぐった。
普段のスマホをズボンの左前のポッケに入れてる。
「あれ?」
ない。
「じゃあ、リュックのほうか」
じゃないときは、リュックのサイドポケットに入れる。
「他人の記憶にねじりこんでるし、現実のあたしが手を加えてはいるけど、そこらへんはあいまいかもね。もうちょっと探してみて」
ヒヴァナのアドヴァイスに従って、もうすこし全身をまさぐってみる。
「あ、あった」
いつもとは違う尻ポケからスマホが見つかった。
「そうだよね。べつのひとの記憶でできてるんだもんね、此処って」
この現実と区別がつなかない大学の風景も、
かろうじて僕は僕の姿を形成しているが、完全に僕だって僕ではない。
このスマホだって例外ではない。
スマホを手に持った感覚や細かいデザイン。
「なんかちょっと違う気がするけど、まあいいや」
スマホの画面に触れると、ディスプレイが点灯する。
画面に『4月●●日』と表示。
日付や時間はぼんやりしてはっきりしない。
「四月なら、僕が入学したころ。いや『ゼミ』がはじまった時期か」
ここは自分主観の世界でない。
㐂嵜さんと平埜さんの心象風景。
四月でふたりは三年生になった。
平埜さんがゼミに入った時期だと思われる。
「やっぱり、三ヶ月前くらいがターニングポイントだったんだ」
ことのはじまりである――
㐂嵜さんが平埜さんから伸びる〝糸〟を発見したのは一ヶ月ほど前。
しかし実際、ふたりのどちらか、またはふたりともが〝蠧魚〟の干渉を受けたのは、三ヶ月前だった。
「あれって、」
ひとりごと、かつ肩の上のヒヴァナにつぶやく。
ふたりを――㐂嵜さんと平埜さんの姿を見つけた。
キャンパスの一角にある多目的ホール。
テーブルや自販機などがあり、学生たちが自由に使える広場だ。
ガラス張りの眺望のいいテラスっぽい席にふたりが座っていた。
㐂嵜さんが席から立ち上がる。
「んじゃあ、ね。藍那」
つづけて、平埜さんも席を立った。
「うん、またあとで、ね。沙香ちゃん」
ふたりはいつも駅で別れるときのように、短く簡単な言葉を交わした。
なんてことのない。
大学じゃなくても、よくある友人同士のやりとりだった。
でも、
ふたりとも笑顔だったが、何処となくぎこちない。
表情も固く見える。
「これは、平埜さんがはじめてゼミに行く日の記憶だ」
僕は直感した。
ふたりはちいさく手を振って、笑顔で別れる。
離れていく。
僕がぼーっとふたりを見ていた場所へ、㐂嵜さんが向かってくる。
「あ、ちょっ、ど、どうしよう」
あまりにもぼーっと立っていた僕は、あわてて身を隠そうとしたが、開けた広場ではテーブルの下くらいしか逃げ場がない。
あわあわしているうちに、
「……っ、あ、れ?」
㐂嵜さんは、僕のとなりを通り過ぎていった。
まるで、僕のことが視界に入ってなかったように。
「ガン無視」
ヒヴァナがくすくす笑う。
「……あ、もしかして、四月だから僕はまだ㐂嵜さんにも平埜さんにも面識がないんだ。だから、僕を認識できてなかったんだ」
「それに、ミサキはこのとき、この場にいなかったんじゃない?」
「ああ、それもそうか」
本当の僕は、この場には居合わせてなかった。
此処に居るはずがないのだ。
「無視されて当然といえば当然」
でも、無視されるっていうのは、なんだかどうしても寂しい気持ちになる。
これは過去の記憶で、僕の存在には気づかないと分かってても、僕は相手のことを知っている。
「前は、他人に無視してほしいって思ってたのにな」
思わず、僕は自分の手で自分の口を塞いだ。
「もう遅い、聞こえてるよ」
ヒヴァナが言う。
「忘れてください」
「忘れるよ。だって、あたしはあたしじゃないヴァーチャルだから、インナーワールドから出たら消えるだけ」
「そうなんだ……。なんか、寂しいな」
「この世界で誰が消えようと、なにが消えて失われ様と気にする人間なんか、いない。ミサキくらいだよ」
「此処は、過去の記憶から再現されたインナーワールドだから」
たとえば、僕がいますぐ消えても誰も気にしない。
いや、それは現実の世界でも、そうか。
「人間が他人にとても無関心な社会だもんね」
田舎から上京してきて、最初はそれが怖くもあったが、いまではすっかりなれてしまった。
「あんなに他人の目を気にしてたのに。こっちでは誰も僕のこと知らないし。……って、僕のことなんかどうでもよくて、」
「――あたしはきみを無視したりしないよ」
ヒヴァナが言った。
やっぱり頭のなかのことがダダ漏れで伝わってしまっている。
なんて恥ずかしい状態。
「ありがと。でも。たまに僕からの着信、無視するよね」
「それはシャーロックがあまりにもジョンづかいが荒いから」
「遠回しに……、ごめんね」
「いいよ、きみには振り回されてもいいと思ってるから」
「そういうのは……、うん、いいや」
どうせ、いつものようにからかって、僕の反応を見てたのしんでるだけだ。
「ヴァーチャルでもサイズがミニミニでも、やっぱしヒバナはヒバナだよ」
「それがなにかしら?」
「頼りになる。って話」
僕は言って、振り返った。
横を通り過ぎてった、㐂嵜さんの背中を目で追いかける。
すこし目線を変えると、平埜さんが歩いていくのが見えた。
僕とおんなじように、ちょっと振り返り㐂嵜さんの背中を目で追っている。
というより、まったく同じだ。
どうも無意識に平埜さんと意識が同期していたらしい。
「ミサキ、気をつけて。引っ張られてる」
「そうみたい。うん、」
ふぅ、と大きく息を吐いた。
この僕はアバターだから呼吸なんて関係ないけど。
気持ちを落ち着かせる。
そうすると、
――視えてきた。
「〝糸〟だ……!」
離れてくふたりの間に――〝糸〟が伸びているのだ。
透明にも半透明にも見える淡い色の〝糸〟が、ふたりにつながっている。
または〝糸〟がふたりをつなげていた。
その〝糸〟は、ふたりの距離が離れていくのに合わせて伸びていたが、㐂嵜さんが平埜さんの視界からいなくなった瞬間、音もなく切れた。
偶然か、それともそのことに気づいたのか、糸が切れたタイミングで、㐂嵜さんが足を止めた。
振り向いて、平埜さんが去っていたほうに視線を向ける。
㐂嵜さんの表情は、とても不安げで、心配そうだった。
㐂嵜さんの唇が動く。
去っていった平埜さんの背中になにかをつぶやいた。
僕のいる位置からは、なにを言ったのか聞き取れないはずだが、
「――藍那、ひとりで大丈夫かな」
「――コンビニの店員さんに話しかけられて、ダッシュで逃げるくらいなのに」
「――人見知りすぎるのよね、それなのにゼミに入るとかって」
「――面識のないひととコミュニケーション取れる? あのゼミの助教、厳しくて有名でしょ」
頭のなかに、その声が聴こえてきたのだ。
平埜さんのことを心配して想う気持ちが伝わってくる。
つよい想いがこの記憶でできた空間を支配していた。
しかし、
「けど、この感覚……なんだ」
違和感に似たなにか。
ふたりの間には〝糸〟が伸びていた。
まだこのとき㐂嵜さんは〝糸〟の存在に気づいてない。
「ていうか、㐂嵜さん自身で〝糸〟の干渉を受けてたなんて分かるワケないもんね」
僕も最初、それに気づいてなかったくらいだ。
「ほんとうに、そう?」
けど、ヒヴァナがそれを打ち消した。
瞬間。
目の前が、ぐにゃりと歪む。
「なっ!?」
目眩かとも思ったが、違う。
まばたきをした間に、
僕はべつの場所に移動していたのだった。
「場面が、変わった……?」
それは、映画でカットがかかって、シーンが変わるように。