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御前レファレンス。(4-2)

第壱回『雲云なす意図。』

#4 -2:街伏せ。(2)


     †

「ヒバナ、きたよ」

 僕はそっとヒバナに耳打ちした。

「りょーかい」

 ヒバナもちいさく返事する。

 パンツスタイルのワンピースを着た㐂嵜さんがこちらに近づいてくるのが視界に入ってくる。
 となりを歩いている、パフスリーブのブラウスにレーシーなスカートの小柄な女性が友人の平埜さんだ。

 事前に見せてもらった写真の印象よりももっと小柄で、所在無げな印象を持った。

 先を歩く㐂嵜さんが改札で待つ僕らの前を通りすぎそうになって、

「――あれ、図書館のカフェの?」

 㐂嵜さんが声をかけてくる。
 たいへんそれっぽく、自然な感じで。
 予定通り、計画通り、僕らを見つけた。

「あっ、どうも」

 僕もできるだけそれっぽい調子で返す。

 ――えっと誰でしたっけ?
 ――あ、もしかして、お店にきてくれたお客さんかな?

 そんな表情をしながら。

「こんにちはー」

 ぺこっ、とちいさく頭を下げながら㐂嵜さんは、さらにこちらへ近づいてくる。

 ここであせってはいけない。

 もともと無感情で笑うのは得意なほうである。
 さらに、バイトで養った毒にも薬にもならない人畜無害な愛想と愛嬌をふだんの一割増しくらいのカフェ店員スマイルで、

「ああっ! この前は、ご来店ありがとうございました」

 僕はようやく思い出したふうに、ことさらにあいさつする。

 となりのヒバナが、僕の一世一代のダイコン演技っぷりに「――プ……ッ!」と吹き出しそうになってる。

 そういえば、ヒバナは笑い上戸ゲラだったんだ……。

 ――いまはコラえてくれ!

 という意図を伝えるため、カノジョと組んでるほうの腕をぐいぐい動かした。

 僕の意図をくみ取って、ヒバナがとんとん指尖ゆびさきでタップして返してきた。

 どうか、そのタップは『了解』の意味であってほしい。
『もう笑いがコラえられない! ギブアップ!』の意味でないことを願う。

「すっごい奇遇。さっき図書館のカフェのこと話てたんだよねー?」

 㐂嵜さんがその背に隠れている小柄な――友人の平埜さんに話を振った。

「どうもー」

 僕は営業スマイルで平埜さんにも微笑みあいさつする。
 しかし、

「…………っ」

 平埜さんはビクッと肩を震わせ、表情を固くするだけだった。
 㐂嵜さんが事前に会話のなかで、カフェのことなど話して場を温めてくれていたようだけど、ほぼ意味なしだった……。

「す、すみません。この子、すっごい人見知りで」

 代わりに㐂嵜さんが謝ってきた。

「いえいえ、」

 僕は気にしてないと笑顔の応対をする。

 平埜さんの性格などについて、

 ――人見知りで引っこみ思案でおとなしく物静か。

 という印象は、事前にヒアリングしていた友人さんの情報と、こうして対面してもほぼ変わらなかった。

「気にしないでください。僕も人見知りなんで」

 あたりさわりのない定型分で返す。
 でも事実そうなんだけど。

「これでもカフェで働くようになってから、だいぶマシになったんですよ。だよね?」

 ヒバナは上京してから僕の生態を把握する数少ない知人でもある。
 それに、やけにヒバナが静かだったので、気になって話を振ってみた。

「……――ん? あ、いまのあたしに訊いてた?」

 微妙な間を空けて、ヒバナが首を傾げた。

『目が見えてないから、話に振られたのに気づかなかった』
 そんなふうなヒバナの口ぶりと態度だった。
 まるでヒバナの目が見えないということを相手が意識せざるをえなくするために、すっとぼけてたようだった。

 そして、それは奏効する。

 平埜さんが、ヒバナの左手にある折りたたまれた白杖に一瞬だけ目を向けた。
 それから自然とヒバナの薄紫色のサングラスの奥、光を映さない瞳を見た。
 目が合ったような感覚がしたのだろう、慌てた様子で視線をはずす。

 ヒバナの視線は何処にも向けられてはいないのだけれど。

「ごめん聞いてなかった。で、なんだっけ?」

 すっとぼけ続行中のヒバナが訊き返してくる。
 すっとぼけに僕も付き合うことにした。

「べつに。僕が人見知りだって話」
「はいはい、そうね。最初は、目も合わせてくれなかったもんね」
「うん、そうだったかな……?」
「そうそう。って、目が合ってても合ってなくても、あたし見えてないんだけどねっ!」

 ヒバナがしたり顔で言って、ゲラゲラ笑い出した。

 ウィットに富んだヒバナのジョークをどう受け取っていいか分からず、平埜さんはもちろん、㐂嵜さんまで引き気味になっていた。

 が、となりのヒバナは、僕の腕をバシバシ叩きながら笑いが止まらない。

 ますますふたりが引いていく。

「あはは……、すみません。リアクションに困りますよね。でもいつもこんな感じなんで、お気になさらず。はははっ」

 僕は得意の愛想笑いでごまかした。
 となりでヒバナがまだ笑い声を漏らしていた。
 ほんとゲラだな、ヒバナって。

 そんな僕らに、㐂嵜さんが視線を投げかけてきていた。

『このあとって、どうすればいいの?』

 と、このあと、どうするつもりなのかを問われているのだ。

「えーっと、」

 いや、そういえば、このあとって、どうするんだっけ?

 自分が立てた計画の概要を思い出してみる。

 このあとの展開は、

 そうだ。

 ヒバナな便りだった。

 となりでヒバナがひとしきり笑い終えたのか、

「ふーっ、」

 息を整えてる。

 すると、そこへ、

『まもなく一番線ホームに列車が参ります――』

 改札を抜けた先、目と鼻の先にあるホームからアナウンスが聞こえてきた。

「あっ、」

 平埜さんがアナウンスを耳にして、㐂嵜さんのワンピースの腰のあたりを指でつまんだ。
 ちょいちょいと引っ張る。

 この電車に乗る予定なのだ。

 それに加えて、人見知りが過ぎる平埜さんだし、ヒバナのジョークによって生み出された空気にもこれ以上は耐えきれなくなったに違いない。

「そうだ。そうだった。んじゃあね、またあしたっ」

 電車のことを思い出し、㐂嵜さんが友人を改札へうながす。

「うん。またあした」

 平埜さんは㐂嵜さんに言って、踏み出す。

「バイバイ」
「バイバイ」

 㐂嵜さんと平埜さんが手を振りあう。

 ちらっと、平埜さんが僕らのほうに目をやった。

 僕は笑顔でちいさく「ども」と会釈する。
 ヒバナは僕の声で気づいて、おなじく会釈した。

 平埜さんは目を伏せ、僕らに完全に背を向けた。

 そのときだ。

「さてと、」

 僕にしか聴こえない声でささやき、ヒバナがすっと動いた。

 僕の腕を引っ張りながら、一歩、二歩と平埜さんに近づいていく。

 それに気づいて㐂嵜さんが『?』を顔に浮かべるいっぽうで、平埜さんは気づいてない。

「このタイミング?」と僕は内心緊張していた。

 すぐ傍のヒバナに目を落とす。

 ――薄紫色のサングラスに覆われた色を映さない瞳が、ぼんやりと淡い薄紫色の〝光〟を帯びていた。

 ヒバナが能力チカラを使ったのだ。

 目が見えないが、ヒバナには目には見えないモノを――視ることができる。

 そのチカラを発動させたヒバナは、

「ちょっと――〝なんか〟《《ついてる》》よ」

 そう言って、平埜さんが振り返るよりも早く、彼女の首もとに手を伸ばした。

 そして、なにかをつかむ仕草をする。

 その行動に㐂嵜さんが思わず「えっ!?」とちいさく声を漏らしてしまう。

 ついでに、僕も驚いた。

 そしてヒバナは、見えないなにかをつかんだ仕草のまま、腕を引いた。

 㐂嵜さんが声を漏らしたのが耳に届いた平埜さんが、こちらに振り返った。

 一度、緊張して引きつった笑みの僕と、にんまりしてるヒバナの顔を見てから、すぐに視線を㐂嵜さんに向けた。

「……え?」

 平埜さんは、㐂嵜さんの視線が自分の首のうしろに向けられていることに気づいた。
 なんだろうと不思議そうに自分の首に手をやる。

 しかしそこにはなにもない。

「……え?」

 ふたたび平埜さんが㐂嵜さんのほうを見た。

 㐂嵜さんは絶句している。
 平埜さんは絶句の理由が分からず、よけいに困った表情になった。

 と――

「ああ、髪の毛か糸かな? ううん、なんでもない。大丈夫なやつだ」

 ヒバナがひょうひょうとした態度で言った。
 ひらひらと手でなにかを払うような仕草をしながら、だ。

 ヒバナはたしかに、なにか空中に放るような所作をしたが、僕には〝なにか〟は見えない。

「髪? 糸……?」

 口のなかでつぶやき、その一瞬だけ――平埜さんは「ああこのひとは髪の毛か糸くずが身体に付いていたのを取ってくれたのだ」と解釈したはずだ。

 だが、つぎの瞬間、

「……――?」

 平埜さんは大きく首をかたむけ、思考停止の硬直状態におちいった。

 ――あれ?

 ――このひと、なにを言っているのだろう?

 ――このひと、目が見えないのでは?

 と、それに気づいて。

 そうだ。

 目が見えていないはずのヒバナが、

「髪の毛か糸か」

「なにかついてた」

 と言っているのだ。

 そのことに平埜さんは気づいてしまったのだ。

 理解不能の状況に救いを求め、視線がさまよう。

「ちょっと――!?」

 その視線を受けて、㐂嵜さんが声を発した。

 ヒバナ、ではなく、僕のほうに詰め寄ってくる。

 僕は「怒られる!」よりも「やば、ヒバナの能力解放状態がバレる」というほうを心配した。

 ちょっとだけ迫りくる㐂嵜さんから視線をはずし、傍らのヒバナのサングラスの奥に注視した。

 ほっとした。
 ヒバナの瞳から、淡い紫色の輝きが消えている。
 すでに能力をオフったあとだった。

 ヒバナの目は、もうなにも視てない。

「なにしてんの!?」

 㐂嵜さんが僕に小声で怒鳴った。
 胸ぐらにつかみかからんばかりのイキオイだ。
 ちょっと視線をはずしたのが、目をそらしたと思われたのかも。

「えっ、っと……、」

 どうしよう。

 マズい……!

 その間、ゼロコンマゼロ五秒くらい。

「――じょ、ジョークでっす!」

 僕はおおげさな身振り手振りで、

「ははっ! タチの悪い盲目ジョークでっ。こういうの、ちょいちょい言っちゃうんです。ははっ、トモダチがなんかすみませんっ! はは、はは……っ!」

 無理やりのうてんきな自分を装って、乾いた笑い声をあげるしかなかった。

 これでごまかしきれ!

 押しとおせ!

 が、平埜さんはますます思考停止だし、目の前の㐂嵜さんはどんどん気色ばんでいく。

 ――きききききぃぃぃいぃぃぃいっ……。

 そんなとき、電車とブレーキとモーターの音が大きく鳴った。

 停滞した空気をぶち壊す。

「電車きたんじゃない?」

 ヒバナが言う。

 平埜さんと㐂嵜さんの視線が自然と電車に向く。

 ナイスタイミング!
 助け舟ならぬ助け電車!

「あ、うん。ほら、藍那あいな、行って」

 㐂嵜さんが我に返って、あらためて平埜さんに言った。

「ほらほら、」

 と急かすように平埜さんをうながす。

「う、うん……っ。じゃあね、沙香さやかちゃん」

 混乱したままの平埜さんだが、よくしつけられた愛犬くらい忠実に、反射的に回れ右した。
 改札を抜け、ホームへと向かう。

 電車のドアがいっせいに開く。

 電車が停車中、ドアの開いてる時間は約十七秒ほどだと、なんかで見たか読んだ。

 それは、
 短いようで長い。
 長いようで短い。

 僕は緊張感をぬぐえないまま、平埜さんがホームへ早足で向かう背中を目で追った。

 改札からホームへは直結してるので、電車が停車してからでも十分に間に合う。
 平埜さんは、改札を出てすぐ電車を待つ列の一番うしろにならんだ。
 振り向いて、㐂嵜さんの姿を確認する。

 ほぼ無表情でこわばってる友人に向かって、

「バイバイ」

 言って㐂嵜さんが手を振る。
 声は聴こえないだろうが、オートマチックに平埜さんがちいさく手を振り返した。

 電車から乗客が先に降りくる。
 そのあとで、列に飲みこまれながら平埜さんも車両へ乗りこんでいった。

 ドアが閉まり、

「無理な駆けこみ乗車はおやめください」

 とアナウンスがある。
 
 電車がゆっくりと発進していく。

 去っていく電車のなかに平埜さんの姿を見た。
 平埜さんが一瞬だけこっちを見た。
 気がした。

 僕は深めに腰を折って、平埜さんの乗った電車を見送った。

 あいさつや社交辞令のたぐいでもあり、謝罪みたいな心持ちだった。

「――いまのなんだったの!?」

 顔を上げた瞬間、あらためて詰め寄りフェイスで㐂嵜さんが近づいてきた。

「あ、っと、えっとぉ、」

 なんと言って説明すればいいのか。

 実は、僕だってなにが起こったのか、ヒバナがなにをやったのか、よく分かっていないのだ。

 なにも見えなかった。
 というほうが正しい。

 しかし、だ。

「〝糸〟を抜いたでしょ!?」

 㐂嵜さんが僕、そして、ヒバナに向かって言った。

「エッ――!?」

 驚いて僕は、となりのヒバナに目を向けた。

 たしかに。
 さっきヒバナは、なにかをつかんだような、指でつかんで引くような仕草をした。

「あれって、まさか。そうなの!?」

 僕はヒバナに訊ねる。

 僕はそれが見えなかったので、ヒバナに訊くしかない。

「――てへっ!」

 としかしヒバナは答えず、ごまかすように舌を出して可愛くしてみせただけだった。

「ひ、ヒバナ……? いや、だって、見るだけって、」

 今回の計画は、㐂嵜さんの言う『友人の首から伸びてる〝糸〟』をとりあえず、確認しようってゆう。

 そういう簡単な計画のイージーな流れだったはずだ。

 それを、

「抜いた……の、ヒバナ?」

 抜いた。

 消えた。

 㐂嵜さんは、一度、平埜さんの〝糸〟に触れてしまい消えたか抜けたかしたことで、友人に『なにかが起こってしまわないか』と、それを怖がっていた。

 なにごともなかったと安堵した矢先、ふたたび〝糸〟は友人の首もとに出現した。

 対処することはもちろん、誰にも本人にも相談できず、どうしようもなくなって最後の最後で僕らを頼ってきた。

 で――

 で、である。

 そんな最後の頼りであるところの僕らが、その〝糸〟をあっさり抜きさった。
 または、消し去った。

 と、㐂嵜さんは訴えたのである。

「す、すみません」

 僕にはもはや謝るしかできなかった。

 ヒバナが〝糸〟に触れたのか、抜いたのか、消したのか、分からない。

 僕にはまるで見えなかった。

 でも、ヒバナに協力を頼んだのも、ヒバナにことの見極めを託したのも、僕だ。

 ようは、ヒバナの言葉と行動のすべては、僕の言動なのだ。

 そして、無能の僕にできることは、

「ほんと、すみません……っ」

 あやまるくらいだ。

 平埜さんの〝糸〟を抜くなんて、僕も聞いてなかったし知らなかったなんて言えるワケないし。

 僕は「いったいどうしたってんだい!」ってなさけない視線をヒバナに送りつづけるしかない。

 もちろん。
 ヒバナにその視線が伝わるはずもなく。

 カノジョから、ことの顛末が語られるのを望み、待つ。

「だいじょぶ。だって、〝アレ〟は気にしなくていいやつだから」

 ヒバナがようやく口を開いた。

「だいじょぶだいじょぶ、気にしなくていいから」

 気の抜けた常温の炭酸みたいなゆるい顔で、ヒバナがそうくり返した。

「――いや、なに言ってんの? はあぁっ!?」

 が、しかし。

 㐂嵜さんはまるで納得してなかった。

「すみません」

 僕はただもう、あやまるマシン機械だった。


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