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御前レファレンス。(14-1)

第壱回『雲云なす意図。』

♯14-1:そう惑う。


     †

 また頭のなかで声がする。

 ――また?

 またって、いつだっけ。

 この声は。

「〝蠧魚シミ〟は、もともと意思もカタチも存在すらない。ほぼ概念のようなモノであり、本来こっちの世界では認識の《外》にある」

 聞き覚えのある声。

 ああ、これは僕だ。

「けれど、ごく稀にあっち側とこっち側を隔てる壁にできたヒビから、それこそみ出して、人間の感情や記憶などに干渉することで『存在』を得る。そして具現化したモノを僕らは〝蠧魚〟と呼んでいる」

 やっぱり僕の声だ。

 僕が頭のなかで考えて、そして、何度も繰り返したこと。

 ふたりに、㐂嵜きさきさんと平埜ひらのさんに〝糸〟や〝蠧魚シミ〟について詳しく話をしなければ。
 と思っていた。

 うまく説明できなかったという反省があった。

 この声は、そのことを反芻反省している。

 どうして自分の声が聞こえつづけてるのだろう。

 ふと自分が目を閉じていると気づく。

 それだけじゃなく、身体が浮遊してる感覚がある。

 母親の胎内やゆりかごで眠ってるような既視感だった。

 そんなのほんとは覚えてないはずなのに。

 うっすら目を開けてみる。

 目の前に自分がいた。

 僕の顔をしたべつの僕が僕の顔をのぞきこんでいる。

 いや、頭のなかを覗きこんでる。

 べつの僕は僕と目が合うと困った表情になった。
 すぅっと溶けるように消えていってしまう。

「いまの……なに?」

「――あれは過去の自分ミサキだよ」

「え……ッ!?」

 いきなり耳もとで声がした。
 これは僕の声ではない。

 とたん、

「っと……っとっとっと!」

 浮遊する感覚から急激に落ちていく感覚に変わったのだ。

 うまく姿勢を制御できず、空宙くうちゅうで身体回転しまう。

 夢のなかでうまく走ることができないあの感じにも似ている。

「あ、そうか、これは夢か……!」

 似てるというか、そういうたぐいなのだ――此処ここは。

「――違うよ。似てるけどね」

 まただ。
 また声がした。

 でも、この声は、

 僕じゃない――

「ヒバナ!? ど、どこにいるの!?」

 僕は落ちていく感覚と回転して定まらない視界のなかに、声の主ヒバナの姿を探した。

「ここ、ここっ」

 そう言う、声だけが聞こえる。

「どこ!?」

 探すも姿はない。

「ここだって、ここ」

 でも声は聞こえる。

 そのあいだも落ちていく感覚がつづく。

 さらに目の前がぐるぐると回るが、どうやら地面らしきものが近づいてきているようだ。

「このままだと、ぶつかる……!」

 これは本能。
 僕は必死でもがく。

 空宙での体勢の取り方なんて知らないけど。

 もがく。
 腕をバタバタ。
 脚をバタバタ。

「――無理に逆らおうとしないで」

 ヒバナの声がそう教えてくれた。

「って、どうすればいいの?」
「流れに身を任せて」
「流れに? ああ、落ちてく感覚に抵抗するなってこと?」

 なんとなくヒバナの声が伝えようとしたことが分かった。

 すべてを受け入れる心と態勢かまえだ。

 スカイダイビングをしているイメージで手足を広げる。

「そうそう、その調子」

 ヒバナの声が言う。

 姿勢が安定する。
 パラシュートが広がったみたいな、ふわりとした浮遊感がした。

「あ、目の前が、」

 霧が晴れるように、雲が切れて晴れ間がのぞくように、目の前がひらけた。

 目まぐるしい回転もなくなってる。

 落ちる感覚がうすれていく。

「到着ぅー」

 ヒバナの声で、僕はよろけつつ地面に立った。

 足もとがふわふわしている。

「なんか雲の上にいるみたい……ひぇ、」

 足裏を伝わる感覚に誘われて、なにげなくうつむいてみた。
 下腹部がなんともいえない心細さに襲われる。

「これ、地面……」

 土でもアスファルトでも、板張りでも石畳でもない。
 雲の上とかファンタジーなやつでもなかった。

 幾何学的な、なにか。

「網? ネット?」

 僕の足もとには――網ような、ネットワークを可視化した電脳網にも見えるモノが広がっていた。

「これって、」
「――蜘蛛の巣だね」
「そうか、蜘蛛の巣か」

 ヒバナの声にうなずく。
 でも、それが分かったところで、足もとがおぼつかないまま。
 不安は払拭されるどころか、増した。

 なにしろ、網編あみあみだから、その下が透けて見えるのだ。
 網編みの下には、果てがない。

 というより、
 四方八方、三百六十度、何処をどう見渡しても果てらしきものが見当たらない。

 頭上(たぶん空)は、水色ではなくピンクのグラデーション。
 薄桃色がかった雲がふわふわ浮かんでる。

「雲っていうか、綿菓子みたい」

 足の下にも、ピンクの空が見える。
 上を見ても下を見ても、横を見ても、何処を見ても、ピンク色の空だ。

「ここは、天空の城的なところ?」

 なんというか、

「――ただただ美しすぎて、神秘的で不可思議で、ちょっと怖い。とか?」
「そう。ため息でちゃうやつ」
「分かる分かる」
「だよね。…………って、ヒバナさ」
「なに?」
「なんというか、僕の頭のなかをそんなに的確に言い当てないでくれる……?」

 ヒバナの声に対して、僕は抗議した。
 頭に思い浮かべたことをそっくりそのまま、一言一句違わずにヒバナが言葉に出したからだ。

「僕ってそんなに単純かなぁ?」
「まあ、それもあるけど、」
「あるんだ。分かってたけど、」
「ハハハッ、それだけじゃないよ。ざっくり言うと、いまミサキとあたしは一心同体みたくなってるの」
「一心同体? ヒバナと僕がくっついてるってこと?」
「うーん。これもざっくりだけど。此処ここにいるミサキは、肉体を持たない意識や精神だけの状態」
「人間の身体をデータ化して再現するには、とんでもない計算式ととんでもないコストが必要だ。って、ヒバナ、前に言ってたね」
「そう、それ。他人のインナーワールドに肉体ごと転移を仮に成功させたとして再現性がない。現実世界に再生できるかも分からない。それよりは精神や意識をデータ化して、送りこむほうがまだ容易い」

 かつ、人間に干渉する〝蠧魚〟の性質を利用して、低コストで可能にした。
 それはヒバナの能力によるところが大きだろう。

「褒めてくれて、さんきゅー」
「……だから、頭のなかを読まないでってば」
「しゃーなしなのよ。あたしはいま、ミサキのなかに巣喰う青春の幻みたいな存在だから」
「僕のなかの青春の幻……」

 なんとも甘酸っぱい響きに胸焼けがしてきそうである。

「はいはい。ま、ようは、インナーワールドでミサキをサポートするために、ミサキの記憶のなかにある『ヒバナ』という人間のデータを元に再現された、いうならば――ヴァーチャル・ヒバナ。ヒヴァナとでも呼んで!」

 ヒヴァナ、とても言いにくい。

「ヒヴァナの姿が見えないのは、僕のなかにいるから?」

 声しか聞こえないのはそういうことだから?

「それはミサキが勝手にあたしが此処ここないはずだと思いこんでるか」
「てことは、ここにいると思えば、」
「――いる。ほら、ここここ」

 一度、目を閉じて耳を澄ます。
 ヒバナの姿を思い浮かべてから、ふたたびまぶたを開いた。

「ここ、ここー」

 とぴょんぴょん跳ねて存在をアピールしているヒバナ――らしきものがいた。

 僕の、右の、肩の、上に……。

「オッス、ミサキぃ~~っ」

「って――ダレーッ!?」

 右肩に、ヒバナを二頭身のデフォルメキャラみたいにしたなにかしらが乗っかっていた。

 さっきからずっと僕に話しかけていた声はどうやらこの二頭身の――ヒヴァナらしい。

「僕はそのままの姿なのに、ヒヴァナはなんで?」

「そりゃそうだよ。ミサキが主体だから。あたしはあくまで補助的な、AIアシスタントみたいなモノだと思って」
「ヘイ、Siri的な」
「オッケー、なんたら的な」
「なるほど」

 ストンと腹に落ちた。

「いくら此処がインナーワールドだからって時間も無限じゃないし、そろそろ行こうよ、ミサキ」

 ヒヴァナが言う。

「あ、時間!? いま何分経ったっけ!?」

 ヒバナが能力を全開で使用できるリミットは『あと二分くらい』だと言ってたのに。
 なにを呑気に説明なんか聞いてたんだ。

「そこはだいじょぶ」

 としかしヒヴァナが二頭身の短い腕をふんふん振った。

「此処はインナーワールドで現実の時間の流れとは違んだよ。そうね、ドラゴンボールの精神と時の部屋みたいな感じ」
「精神と時の部屋?」
「マジで? 知らない? うひー、じゃあ説明めんどいわ」
「……ごめん」
「とりあえず、時間の流れ方が違う。ってこと」
「分かった」
「でも、さっきも言ったけどここはふたりの人間のインナーワールドを合成した不安定な空間せかいだからいつ崩壊がはじまってもおかしくない」
「もし、そうなったら?」
「ミサキの精神は消されるか、取り残されるか。取り残された場合は、結果的にインナーワールドの異物として処理される」
「それって……」

 嫌な予感。

「精神が意識が消えるということは、現実のミサキは精神を失い身体だけの、――ただの肉塊と化すよね」
「……ひえぇ、肉塊て。やな言い方ぁ」

 聞かなきゃよかったかもしれない。
 こんなことしてるんだからリスクがないワケじゃないって分かってたつもりだけど。

「なるべく、そうならないようアシスタント兼ナビゲーターのヒヴァナちゃんがいるんだよっ」

 と、僕の肩の上で、ちっちゃいヒバナがぴょんこぴょんこする。

「ありがと。ちっちゃくてもおっきくても、ヒバナはヒバナだね。頼りになるなぁ」

 僕は感嘆した。

「でも、あくまでもあたしはミサキのおまけだから、ミサキが自分でやらくちゃだよ」
「そう、だよね。うん。そのためにここにきたんだ」

「まずは、ここからどうすればいいんだろ」

 はたと考える。
 周囲は果てがない。

「この場所は、インナーワールドのエントランスであり、ふたりのインナーワールドが重なってるところだよ」
「インナーワールドへ本格的に潜入するための入り口だね」
「そう。だから、蜘蛛の巣になってるのも理由があるんとか?」

 たしかに。

 現実の世界では、〝蠧魚〟は巨大な蜘蛛に具現化した。
 この蠧魚シミは、㐂嵜さんか平埜さん、またはその両方の記憶や感情などに干渉して、蜘蛛の姿容すがたかたちを得たのだ。

「蜘蛛の巣か」

 つぶやいて、ふと思い出した。

「蜘蛛の巣は獲物を捕まえるためのモノだが、どうして蜘蛛は巣の上を自由に行き来できるのか? どうして自分は巣に捕まらないのか?」

 小学生のころ、そんな疑問が浮かんできた。

「――蜘蛛は足場になる糸を巣のなかに貼ってる。その糸は粘着性のない丈夫で頑丈な糸で、蜘蛛はその糸を伝って巣を自由に往来する」

 というのが、あとで僕が知った情報。

「心象風景の内側せかいで、現実の知識が何処まで通用するか未知すぎるけど、」

 ヒヴァナには僕の思考が垂れ流しになっているのだろう。
 ときたま、「へー」とか「ふーん」とかあいづちを打つのが聴こえた。

 その場でしゃがみこむ。

「この蜘蛛の巣が、なんらかの意味や意図に基づいてカタチ作られてるとしたら、」

 現実のほうでヒバナが結界を張るときにやってた所作を思い出した。
 形だけだけど真似てみる。
 手を伸ばして、おそるおそる蜘蛛の巣に触れた。

 蜘蛛の巣を構成する〝糸〟の一本を僕は選んでいた。

 何故、無数にあるなかからそれを選んだのかといえば、

「薄紫色に淡く光ってる」

 だった。

此処ここる僕は、ヒバナの能力チカラによって、インナーワールドにダイブしてきた、いわばアバター。
 ヒバナのチカラの余波あまりが僕に、なんらかの影響を与えていてもおかしくない。

「だよね、ヒバナとヒヴァナ!」

 現実のヒバナと肩の上のヒヴァナに感謝の想いをこめ触れた〝糸〟が、はっきりと薄紫色に淡く発光しはじめた。

 と同時に、

「い、意識が……!」

 遠のくというより、〝何か〟に吸い寄せられる感覚だった。

「――流れに逆らわないで、身を任せて」

 ヒヴァナが僕に言う。

「そっか、そうだった」

 無意識に身構えてしまった。
 なすがままに身を投げ出す気持ちで。

 すると――

 まるで脳に直接映像が送信されるみたいに、〝何か〟がフラッシュバックした。

「たぶん、誰かの記憶だ」

 僕の記憶にはまったくない『映像』が目の前を、脳裏を通り過ぎていく。

 でも、

 あれ?

「この感じ、前にも……?」

 思い出そうとしたが、擬似体アバターであるはずのない身体がそれを拒否する。
 頭のなかに、なかば強制的に映像が流れこんでくるせいなのか、

「キモチがワルぃ……」

 目が回って、焦点が合わなくなる。

「ふたり分の感情やら記憶がないまぜになって、押し寄せてきてるんだから、ふつうじゃないよ。ミサキ、平気?」

 ヒヴァナが僕の頬を撫でる。

「まだ、平気」

 あくまで『まだ』であって、もうまもなくダメになっちゃうかも。

 目まぐるしく脳裏を駆け抜けていく。
 映像が直接、脳で再生されてるみたいだ。
 左を向いても右を向いても上を向いても下を向いても映像から目をそらせない。

「いまの僕は『意識』だけが他人のインナーワールドにきてるけど、この状態で気を失うとどうなるの……?」

 不安でよくない疑問が浮かんでくる。

「インナーワールドに拒まれて、ウィルスみたいな扱いを受けるかもね」
「ああ、ようは、排除されるってことね」
「そうならないように、気合い入れて、ミサキ」
「気合いと根性って言葉は、もはやパワハラだよ」
「ひっひっひ。そのくらいの意気があれば、だいじょぶそだね。さあ、もうすぐだよ」

 赤ちゃんみたいに奇妙に笑うヒヴァナの言う通りだった。

 そうこうしていると、脳裏を流れていく映像がゆっくりとして見えるようになってきた。

「大学?」

 目の前に、見覚えのある風景が広がっていた。

 そこは、この春から通っている大学のキャンパスだった。

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