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御前レファレンス。(11-1)

第壱回『雲云なす意図。』

♯11-1:アンビエンス。


     †

 淡い薄紫色のかがやきが増す。
 輝々ききとして魔法陣を包みこんだ。

 眩暈めまいがするほどの光の渦が、分厚い雲を突き破るように空へと昇っていく。

 目が眩んだというより、質量のないはずの光に後頭部をブン殴られたような衝撃があった。

 一寸先は闇というが、光がまぶしくても前が見えなくなる。

 自分が目を開けているのか閉じているのかさえ分からなくなる。

 光にすべてを飲みこまれた。

 視界も、音も、感覚も。

 時間さえも。

 これは一瞬か、

 それとも、数秒か、数分か、もしかすると数時間だった?

 そういえば、この感じ。
 以前もあった。

 何処だっけ?
 いつだっけ?

 不思議な感覚に囚われそうになった。
 そのとき、
 意識が吸い寄せられる。

〝何か〟が僕のなかに入ってくる。

〝何か〟と同化するみたいだった。

 なにも見えてないはずなのに、まるで脳に直接映像が送信されるみたいに、

〝何か〟がフラッシュバックする。

 それは――

 たぶん、誰かの記憶だ。

     †

 時間と感覚に追い出されるように、ハッとして目が覚めた。

 目覚めたという表現で正しいかは分からない。

 僕は地面に座りこんでいた。
 気を失って倒れたのではなく、両腕で両膝を抱えた――体育座りで膝に顔をうずめるような格好だった。

「いつのまに……?」

 意識と意識が途切れて、空白がある。
 それが数秒なのか、数分なのか、数時間なのか。

 ポケットからスマホを取り出して確認してみる。

 画面がにじんでよく見えない。
 僕は顔を上げる。
 光に眩んだ目をこすって、もう一度スマホに目を落とす。

「一分も経ってない」

 おそらく数秒、長くても十数秒くらいの現象だったのだ。

 巻き戻ったような感覚だ。
 強烈な光で奇妙すぎる体感をしたようだ。

 再び顔を上げる。
 すぐに立ち上がろうとしたが、目眩がした。
 膝立ちに切り替えて、周囲の様子を確認する。

 あらかじめヒバナの白杖とスマートグラスをリュックにしまっておいてよかったなとか思いつつ。

 あたりを包んだ激しい光は収まっていた。

《魔法陣》の中心に設置した蝋燭以外――百均キャンドルの火はすべて消えてしまっている。

 しかし周囲は明かりを失ってない。
 代わりに、魔法陣を構成する白線がぼんやりと淡く薄紫色の光を放っていた。

 その光の粒子は、キノコの胞子のように、あるいは海中の珊瑚が産卵するときのように宙に浮かび上がってる。

 嘘みたいに幻想的で、怖いくらいに美しい光景だった。

 この光はふつうの光じゃない。
 ヒバナの能力による輝きだ。

 いま、このドーム状の魔法陣は、僕らの予想通りならば外部からの干渉を一切受けないはずだ。

 逆もまたしかり。
 内から外への影響を最小限にとどめられる。

 ようするに――これは《結界》である。

 意図的に〝あっち〟と〝こっち〟を曖昧にするため、ヒバナが魔法陣を使って作り出したのだ。

 いまこの魔法陣の内側は、〝彼方あっち側〟と〝此方こっち側〟が曖昧になった世界。

 ヒバナの瞳が光を帯びるのと同様の――薄紫色の粒子と光がドーム状に形を変え、魔法陣を覆っている。

 これまでの不可思議なレファレンスでは、こんな結界を張るほど大袈裟な仕掛けはなかった。

 今回は〝糸〟の正体が〝蠧魚〟だというのは分かっていたことだった。
 だが、〝蠧魚〟はこっちの世界に『ヒビ割れ』からみ出すとき、人間の感情や記憶といった見えざるモノを喰らい――具現化する。

 そうすることで、こっちの世界に存在することができ、なおかつ、可視化が可能となる。

 しかし。
 今回の〝糸〟は、レファレンスの相談依頼者である㐂嵜さんにしか見えなかった。

 ヒバナにも〝糸〟は見えたが、僕やふつうの人間には不可視。

 それはつまり、〝糸〟は、〝蠧魚〟が具現化したモノではない。
 正確には、蠧魚はほかのなにかに具現化してはいるが、こっちには姿を現していない。
〝糸〟だけがこっちの世界にある状態。

 よって、本当の正体が、なんなのか分からず、僕らはまず〝蠧魚〟が具現化した本体をこっちの世界へ引きずりだすことにした。

 そのための――臨機応変に対応し、対抗できるや備えが必要だったのである。

 そうしてヒバナが閃いたのが、《魔法陣》だった。

「魔法陣なら視覚的にも効果ありそう。今回の依頼主たちは、かなり中途半端に〝蠧魚〟の干渉を受けてるみたいだから」

 感情や気持ち、などに影響が出やすいのは、事前の見守り調査で分かった。

 ところが、問題だったのは、〝蠧魚〟が感情や記憶などを喰った相手は誰なのか。

 分かりやすくいうと、蠧魚の宿主となっているのは誰なのか。

 㐂嵜さんなのか、平埜さんなのか。

 当初、僕らは〝糸〟が出ている平埜さんだと考えた。
 しかし、ヒバナが直接逢って視たところ、㐂嵜さんにもその可能性が出てきたのだった。

 だから、

「ふたりをおなじ場所でいっぺんに揺さぶってみる」

 と巨大な魔法陣を用いた作戦が立案されることなる。

 というとなんだかすごい作戦のように僕は誇張してしまいそうになる。

 が、実際、出たとこ勝負のぶっつけ本番だ。

「しかも、素人ぼくが描いたこんなへたくそな魔法陣で大丈夫……!」

 それが一番不安だった。

 なのに――

 ヒバナはそのチカラをもって、できそこないの魔法陣をほんとに起動してしまったのだ。

〝結界〟を発生させたその結果が、この魔法陣をおおうドーム状の薄紫色の輝き。

 これには魔法陣を描いた僕が一番驚いている。

 たしかに今回の件では、正確性よりも「雰囲気のほうを重視して」とヒバナは言っていた。
 作業中もずっと半信半疑だったのを申し訳なく思う。

「いくらなんでもすごすぎるって、ヒバナ……!!」

 ヒバナに狂信しそうなくらい感動している。

 いっしょに不可思議な事象や現象に立ち向かうことになって三ヶ月。
 まだまだたくさん驚かされそうだ。

 そのヒバナは――

 肩幅に足を広げて、両手を腰にやるポーズで仁王立っていた。

 光の粒子で滲んで見えるそのうしろ姿はあまりにも神々しくて、

「――ヒバナ! 成功したよ!!」

 考えるよりも先に僕は声を出していた。

 ヒバナは僕の声に振り向いて、

「だから、そうゆうてたやんか!」

 と余裕の笑顔でサムズアップしてみせた。
 何故かエセ関西弁でだ。

 光の速さで、感じていた神々しさが一気にグレードダウンする。

「うん!」

 でも僕もサムズアップしておく。

「おっけー、ミサキ!」

 ヒバナが僕に向かって言った。

 瞳が薄紫色に輝いたままだ。
 カノジョが能力を解放している状態を示している。

 そして、おそらくだが、薄紫色の輝きの粒子で満たされたこの魔法陣のなかでは、

 いまのヒバナには視えている。

 目には見えないモノが視える。

 能力を解放した状態はあまり長くつづけられない。

「ヒバナ、平気?」

 僕は訊ねる。

「だいじょびだいじょび。思ってたよりちょっと長めに能力チカラ出しちゃったけど」

 言って、ヒバナがパンパンと手についた白い石灰の粉を払う。

 石灰の粉は空中に舞うと同時に、螢みたいに光り出した。
 薄紫よりも薄い白んだ色だ。
 その螢光けいかが魔法陣のなかを飛び回って拡散していく。

 ここは《結界》のなかだ。
 意図的に〝あっち〟と〝こっち〟が曖昧な状況を作り出したのは、カノジョので視るためであり、

「これか……っ、〝糸〟って!」

 僕のような能力のない目でも可視化できるように。

 ――一本の〝糸〟が、いまなら見える。

 光に覆われた魔法陣ドームの天井あたりにゆらゆら揺らめいている。

〝糸〟は魔法陣を包む薄紫色の淡い光を吸いこむように、黒よりも漆黒に——輝いて、浮かび上がっていた。

「想像してたよりも、ぜんぜん長い」

〝糸〟は㐂嵜さんが髪の毛と間違うほどだったが、ビシビシと空気が軋むような音を発しながら頭上にゆらめいているのは、髪や繊維のような細さじゃない。

 糸を表す単位にデニールという言葉があるそうだが、たぶんその単位ではない。
 本体は繊維みたく細いのかもだが、黒く輝いてる分もっと大きく太く見える。
 この〝糸〟の直径は、僕の貧弱なボキャブラリーのなかで一番近いのは、綱引きのロープくらい。
 長さも十メートル以上はあるが、しかしところどころ画像データが欠落しているように不鮮明で、全貌は見えなかった。

 ヒバナのせいではない。
 考えられる原因は、僕が描いた魔法陣がひどい出来だからだろう。

「もうちょい準備時間あったらな……!」

 もっとマシな魔法陣が描けたかもしれない。

「いや、いまはそんな『たられば』言ってる場合じゃないぞ」

 それに「レファレンスは与えられた期間で最善を尽くすこと。それがどれだけ短くても長くても」と、僕に教えてくれたのは、先輩で教育係のあのおばさんである。

 僕も無能なりにできるかぎりをつくしたはずだ。

 だからこそ、

「あとは、頼んだ。ヒバナ!」

 ふたりのこと――

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