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御前レファレンス。(11-2)

第壱回『雲云なす意図。』

♯11-2:アンビエンス。2


     †

「……まさか、そんな、」

 㐂嵜きさきさんがさざめく。

 身体にまとわりついてくる淡い薄紫の粒子を恐れるように、㐂嵜さんは両手で震える身体を抱き締めていた。

「こんな、違う……!」

 肩を震わせながら㐂嵜さんは頭上の〝ソレ〟を否定する。

「なにをそんなに怖がってるんだろ?」

 自分が見ていたモノと、目の前にある〝糸〟の姿があまりに乖離していることを恐怖と感じているのだろうか。

 㐂嵜さんの視線をたどっていく。

 やはり〝糸〟を食い入るように見ていた。

 その視線が段々と下に降りていく。

 僕もその視線を追う。

 と、㐂嵜さんの目がおおきく見開かれた。

「え……?」

 僕も、だった。

 データ破損のごとくところどころ端折られているが、〝糸〟の尖端が――

 平埜ひらのさんの身体から伸びて、空に昇ってた。

藍那あいな……ッ」

 声をひっくり返しながら、㐂嵜さんは親友の名を叫んだ。

 しかし、平埜さんは反応しなかった。

 膝を抱えた体勢でうずくまっている。
 僕が一瞬気を失って目覚めたときとおなじような体育座り。

《結界》が発動する前の場所からは動いてない。

「こんなハズない! わたしが見たのは――こんなモノじゃない!」

 聞き分けのない幼児みたいに頭を激しく左右に振る㐂嵜さん。

 恐怖していたのは、これか。
 それまで㐂嵜さんが見ていた〝糸〟と、いま空中を漂う黒い光を放つ〝糸〟が違うのだ。

「――たしかにそうかもねぇー」

 ヒバナが言った。
「うんうん」と、おおげさにうなずいてみせる。

「だってそりゃあねえ。あなたがそういうふうに見たいと思って、そういうふうに見てたんだから、そりゃあ違うよ」

 腰に手を当てヒバナはあきれたふうに、㐂嵜さん薄紫色の瞳を向けた。

「どういうことよ……!?」

 反射的にヒバナに対して噛みつこうとしたが、自分に向けられた薄紫色の視線に、たじろぐ。

「自分が見たいモノを見たいように見てただけ。いろんなことをその場その場で都合よく解釈してね」

 ヒバナが一歩、㐂嵜さんのほうへ踏み出した。

 㐂嵜さんは一歩、後退する。

 もう一歩、二歩、ヒバナが進む。

 㐂嵜さんは一歩、二歩とあとずさりした。

 㐂嵜さんとヒバナの間にある距離は、魔法陣の半径のほぼ十メートル。

 それは、㐂嵜さんが無意識に「完全に安全な距離」だと感じるための十メートルだった。

 逆にいうと、僕らが用意した安心して気を緩めるための十メートル。

 人間ひとは意識的無意識的に心理的な縄張りや空間パーソナルスペースを持つという。

 その範囲内なかに他人が入ると、ひとは不快感を覚えたり不安になる。
 ひとによってその距離は違うが、だいたい一メートルから二メートルと言われる。
 その日そのときその場の状況、年齢、性別、体調や精神状態においても範囲は伸縮する。

 二メートルを超えるといわゆる社会距離ソーシャルディスタンスであり、三、四メートルを超えたくらいから公共距離へと変わってくる。
 
 公共距離において、三メートルから二十メートルくらいは他人を認識できる距離だ。
 もちろん視力の程度はあるが、これは知人や友人を判別可能な距離だということ。
 さらに、三メートルから七メートルほど距離では、表情まで分かるため簡単には知人友人を無視できない。

 ヒバナと㐂嵜さんの十メートルは、この範囲外の他人を無視できる距離であり、不安を感じにくい距離でもある。
 それと、㐂嵜さんと平埜さんの間にある二十メートルはお互いを認識できる距離だが、表情から機微を感じとるのは難しい。

 その上、平埜さんを遮るようにヒバナが㐂嵜さんの正面に入っている。
 友人の姿すら視界から消えると、㐂嵜さんの顔に漠然とした恐れの色が出はじめた。

「あなたが見ていた〝糸〟は、あの日あたしに視えたモノと違ってた」

 言って、ヒバナがまた一歩、㐂嵜さんに歩み寄る。

「でも、あなたはあのときあたしが〝糸〟を抜いて見せたとき、それすら見えてなかった」

 ヒバナの言うことを読み解きながらも、㐂嵜さんは気圧されまた一歩下がってしまう。

 しかし魔法陣と外側の境界線である縁は《結界》にの障壁が張られている。

「あたしね、本当は〝糸〟を抜いてない。ただ、抜いたフリをしただけ」

「――え?」

 㐂嵜さんの表情がホラー映画の登場人物のように恐怖で引きる。

 ひひひひっ、とヒバナは意地悪に笑った。
 そしてまた一歩踏みこむ。

「そんなの、ウソ! だって、わたし、見た!」

 㐂嵜さんは強く言い返すが、身体がもう障壁に接触しそうなところまで下がってきていた。

 障壁に触れればどうなるか、僕も分からないし、ヒバナからも説明はなかった。
 だが、㐂嵜さんのなかの〝なにか〟が「触れてはいけない」と悟っているようだった。

「嘘ついてもしかたないし。嘘はあなたたちのほうが得意じゃん」

 ニタニタとしながらヒバナが歩を進める。

「あたしの目はなんにも映らないけど。見えないモノは視ることができる。たとえば、他人の――嘘とかもね」

 ヒバナは言った。

 ……でも、

 これに関しては真っ赤な『嘘』である。

 ヒバナはたしかに能力で見えないモノは視える。

 けど、嘘とか真実とかが分かるとか、心のなかが丸見えになるとか、そういうんじゃない。

 カノジョが嘘を見破ったり、ひとの考えを先読みできるのは、ヒバナ自身によって培われた性質であって特異な能力ではないのだから。

「なんで、」

「――騙すようなことをしたのか。って?」

 㐂嵜さんが驚いて目を見開いた。
 ゾッとして、胸の前で自分の手をつかんで身構える。
 今度は頭のなかを見られたような気分になったろう。

 ただでさえ、他人の感情や周囲の空気感に過敏で左右されやすい状態にある㐂嵜さんだ。
 完全にヒバナのいうことを鵜呑みにしているようだ。

 僕もヒバナに頭のなかを読まれたみたいに、先回りされるのは日常茶飯事である。

「だって、他人を自分とおなじ考えにしたり、自分が思うように誘導するのって――カンタンだもん。あなたもそうでしょ?」

 ヒバナは笑いながら、㐂嵜さんに問いかけた。

 㐂嵜さんの表情が苦悶と恐怖に歪む。

 ヒバナの言れたことが㐂嵜さんには心当たりがある。ありすぎるのだった。

 たとえば、

「見えないモノが視える」

 と言われたとする。

 それだけならまだしも。
 淡い薄紫色の瞳に視射みいられたら、その特別な能力チカラで心をのぞきこまれてるのかもと思ってもしょうがない。
 加えて、たったいまヒバナは《結界》を出現させたばかりだ。
 不可視だった〝糸〟を暴き出してみせたり、超常的な現象をいくつも目の前で起こしてみせた。

 そうだと思いこませる条件はそろっている。

 ヒバナ(と僕)は、それを短時間に積みかせてていった。
 決めては無駄な雰囲気作りと、なんといってもド派手な《魔法陣》だろうと自画自賛。

「嘘を信じさせるには、真実のなかにたったひとつ嘘を混ぜるだけでいい」

 ヒバナがつぶやく。
 声は透き通って、薄紫色の粒子に満たされた空間に響き渡る。

「いったい、なんのことを……」

 薄紫色の光のなかでも㐂嵜さんの顔が蒼ざめるのがはっきりと分かった。。

「なんのこともあんなこともこんなこともそんなこともなくない? だって、あなたがやった方法とおんなじ。真実みたいな嘘と嘘みたいな真実を混ぜるだけの簡単なお仕事」

 ヒバナは㐂嵜さんから一度視線を外した。
 動かずに膝を抱えたままの平埜さんを振り返る。

「あなた言ってたよね。――友人から〝糸〟が出てるんだって」

 でも――

「ほんとは、違うんじゃない?」

 そう言うと、ヒバナは右腕を肩の高さくらいまで上げる仕草をした。

 天を仰ぐように、そして、ヒョイとなにかをつかむように、手のひらをにぎりこんだ。

「……っ?」

 嗄れた喉から声も出ない。
 㐂嵜さんはただただ、ヒバナが動くのを見ているしかできなかった。

 しかし、なにごともなくヒバナはただ腕を引っこめた。
 手を上げて、下ろしただけのように見えた。

 だけど、

「これ、分かる? あなたのでしょ?」

 ヒバナの右手にしっかりと、〝それ〟はにぎられていた。

 それは、――〝糸〟だった。

「――……ッ!?」

 眼球がまぶたからこぼれ落ちそうなほど、㐂嵜さんが目を見いた。

 頭上で蠢いていたはずの〝糸〟が、いつのまにかヒバナの右手につかまれていたのだから。

 僕だって、びっくりした!

「ひ、ヒバナ!?」

 ――バチィ、バシィ、バシッ、バチィ!!

 ヒバナがにぎった部分が、放電するよう激しくスパークしている。
 その火花スパークは、やはり闇よりも鈍い黒色だった。

「〝糸〟が抵抗してるんだ……!」

 僕にはそう見えた。

 漆黒のスパークは、ヒバナの能力チカラに〝糸〟が必死で抵抗しているのが現象として目に見えているのだ。

 僕は以前にもおなじようなモノを見た。

 そうしているうちに、ヒバナの手のなかの〝糸〟がビクビクと派手にうねり出す。

 スパーク音が空気の振動として、魔法陣のなかの空気をビキビキときしませる
 皮膚がビリビリとした刺激を受けて、ぞわぞわ鳥肌が立った。
 そのとき、視界の端で動く何かに気づいた。

「――藍那っ!?」

 僕とおなじく、その何かを視界にとらえた㐂嵜さんが声を上げる。

 いままでうずくまっていた平埜さんが立ち上がったのだ。
 ゆっくりと、まるで糸で釣られた操り人形みたいな不自然な動きで、だ。

「――……めて……や、めて、……て、」

 スパーク音に混じって、平埜さんの声がかすかに鳴る。
 手を前に、よたよたと。
 ヒバナを止めようとしているような、または懇願しているようでもあった。

「藍那ぁぁぁぁ!」

 友人の名を叫ぶ。
 しかし㐂嵜さんは動くことができなかった。

「や、めて、やめて、やめ、て、や、めてや、めて……、」

 平埜さんがうわごとのようにつぶやきつづける。

 ヒバナは、平埜さんではなく㐂嵜さんのほうに顔を向けた。

「『やめて』って言ってるけど、どうする?」

 ヒバナは㐂嵜さんに問いかける。

「お願い、やめて!」

 㐂嵜さんは平埜さんとおなじく、そう懇願した。

「分かった」

 ヒバナがうなずく。

 が、つぎの瞬間、

「でも、――やーめないッ!」

 満面の笑みで言った。

 ヒバナは、〝糸〟をにぎる手に、腕に力をこめた。

「そおりゃぁあ~~~~~~~~~~~~~っ!!」

 そして、

 チカラを瞬間的に解放した。

〝糸〟を――引き抜くために。

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