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御前レファレンス。(14-3)

第壱回『雲云なす意図。』

♯14-3:そう惑う。3


     †

 其処そこはおなじく大学の教室のなか。

 ふだんの講義で使用する教室よりも、すこしちいさい。
 ゼミに使われる教室だ。

 教室には、二十人弱のゼミ生がいた。

 僕もゼミ生に混じって、席に座っている。
 デスクの上に、見知らぬノートPCが拡げてあった。

「本来、此処ここに座ってるひとのモノだろうね」

 ヒヴァナがそう言って、僕は気づいた。

「本来、僕は此処にいないはずだから、」

 入学したばかりの一年生。
 だから僕はゼミに入ってない。

 というよりも、
 僕はこの記憶に侵入した異物なのだ。
 此処にいることがイレギュラー。

「此処にいるはずのひとと入れかわってるんだ。記憶を再生する映像の一部をCGで書き換えてるみたいな?」
「ナイスたとえ」

 ヒヴァナに褒められる。

「あそこにいるの、平埜ひらのさん?」

 右斜め前に平埜さんが座っていているのを見つけた。
 後ろ姿だけど、真剣な表情で講義を受けているのが、伝わってきた。

 そして、その背中を見つめてるうちに、頭のなかにまた声が響きはじめた。

「――ちゃんと前を向こう。沙香さやかちゃんに心配かけないようにしよう。これまでとは違う自分になるの」

 今度の声は、平埜さんだ。

 彼女もまた、㐂嵜きさきさんをつよく想っている。

「なのに、なんだ、この違和感」

 僕は、また空間に違和感が漂い出した。

 すると、

「また……!?」
 
 目の前が歪む。
 まばたきの間に、場面が切りかわる。

「あれ? おなじ場所だ」

 またゼミの教室。

 しかし、教室にいるゼミ生の服装や髪型などに変化が見られる。
 季節が夏へと近づいている。

「なにげに僕も衣替えしてるし……」

 窓ガラスに映った自分の姿も申し訳程度に夏っぽい感じに変わっている。
 ただ、普段僕がまったく着ないB系っぽいファッションだった。

「なんかこっぱずかしい……」

 着なれないので照れる。

「なんで、服変わったの?」

 肩の上のヒヴァナに訊く。

「ミサキがゼミ生から浮いてると思ったんじゃない? それか、なり変わったひとに対してリスペクトをこめて、元のひとの一部を取り入れたとか」

 それっぽい説明に納得する。

「にしても、」

 窓ガラスに映る自分に違和感である。

 さっきと違ってこの違和感の正体は、自分自身のなれないファッションのせいだ。

「自分に似合うファッションって考えたことなかったけど、これは違うなぁ」

 窓に映った自分の姿を見て、そう思う。

 でも、

 そんなこと気にしてるのは、自分だけだ。

 これは過去の記憶。
 誰も僕のことなんか気にもとめないのに。

「上京してきてから、他人の目を気にするのやめようとしてるんだけど」

 頭のなか垂れ流して、ひとりごちる。

 所詮自分は自分だ。

 こんな過去の記憶でも、他人の目をに気にするなんて。

 しかし田舎から上京してきただけで、すぐに進化するほど人間は便利にできてないのだ。

「そうしようというきっかけにはなってるけど。ヒバナとか、おばさんとかいいお手本いるし」
「ま、すこしずつでいいんでないの。きみはきみらしく、きみのペースでやっていけばいいんだよ」

 ヴァーチャルなヒヴァナに慰められる。
 ヴァーチャルじゃなくてもヒバナなら、こういうだろう。
 ということをヒヴァナが言ってくれる。

「それはありがたいけど、――えっ!?」

 どうせ消えてしまうんでしょ。

 とか、マジでしょーもないことが浮かんだ瞬間、頭のなかから消し飛んだ。

 いきなりのことに、声が出てしまった。

 ななめ前に座っていた平埜さんが、こちらに振り向いてきた。

 そして、僕に向かって話はじめたのだ。

「ええっと……!?」

 あわてて、目線を外してしまう。

 不審に思われた!?

 だけど、目の前の平埜さんは、そんなことお構いなしで、話をつづけていた。

 そうだ。
 これは記憶。
 ただ過去の記憶が映像として再生されてるだけ。

 平埜さんは僕話かけてるんじゃなくて。
 この席に座っていただろう――僕が成り代わってるひとに話しかけてるにすぎない。

 平埜さんは、笑みを浮かべてる。
 駅で逢ったときにはまったくなかった笑みなど見せなかった。

 ただ、この時点で、〝蠧魚〟が具現化した〝糸〟の干渉を受けていたと思われる。

 まだこのときは影響が弱く、彼女自身、ゼミに溶けこもうと試行錯誤している想いがつよい。
 きっと『こうなりたい自分』を一生懸命、演じていたんじゃないだろうか。

「これが、きっかけ?」

 平埜さんが変わっていったのは、彼女自身がそう望んだから。

「たしかに、蠧魚がそういうつよい想いに惹かれたのなら、ありえる」

 ヒヴァナも同調する。

 ただ、

 㐂嵜さんといっしょのときは、元の平埜さんだった。
 あれも彼女の自然体である。

 声は、また頭のなかに直接響いてきた。

「――大丈夫大丈夫。わたしはひとりで平気だよ。大丈夫大丈夫」

 平埜さんの声。
 目の前で喋りかけてくる笑顔とは違う印象を受けた。

『大丈夫』と、くり返されてるあたり、不安を振り払おうと自分に言い聞かせてる。

「――変わらなきゃ。変わらなきゃ。変わらなきゃ」

 平埜さんの心が呪文のようにおなじ言葉を返す。
 声から必死さが痛いくらいに伝わってくる。

 だけど、そんなつよい想いが、願いが、

 あっちとこっちを隔てる壁に生まれたヒビからみ出した〝蠧魚〟を惹きつける。

 彼女は変わりたいと思っていた。
〝蠧魚〟による〝糸〟はそうなるきっかけを彼女に与えたのかもしれない。

 でも、

「そんなのってよくないよ」

 僕は口に出してしまって、すぐに首を振って自分の言葉を否定した。

「違う。そうじゃないんだ」

 たとえ、なにかの影響を受けて、なにかの力を借りてでも自分を変えたいと願うのは『悪』なのだろうか?

 全部の人間が、自分の力だけで自分自身を変えられるワケじゃなくて。
 自力を信じて駆け抜けられる人間ばかりではないのだから。

 この記憶の映像で、

 平埜さんが懸命に笑顔で誰かに話しかけている。

 心ではたくさん不安とか、あせりとか、悩みを抱えたままで。

「これは、ほんとに悪いことなの?」

 僕には分からなかった。

 彼女の想いは蠧魚に喰われ、〝糸〟となり彼女の性格に干渉する。

「それでも、平埜さんの急激な変化は、彼女自身の想いがカタチになったモノでもある」

「けど――」

 僕とヒヴァナの声が重なった。

 記憶の彼女の笑顔。
 人見知りがすぎる彼女。
 変わろうとする心。

「でも、やっぱり。これは、ダメだ」

〝蠧魚〟は、ただ彼女の願いを叶えようとするモノではない。

 ただ彼女の想いや願いを利用しているだけなのだ。

 蠧魚に、感情や想いや気持ちに同調することも同情することもない。
 解ろうともしないだろう。

「平埜さんっ」

 無駄だと分かっている。

 でも、言葉をかけずにはいられなかった。

 目の前の過去の平埜さんの目をまっすぐに見て、言葉をかけた。

「大丈夫、その想いがあれば、きっと――」

 言いたかった言葉は、過去に流されてしまう。

 その瞬間、

 目の前が、

 映像が、ぐにゃりと歪む。

「また……ッ、」

 めまいのような空間に吸いこまれる感覚。
 意識が遠のいていく感じ。

 記憶が切り替わろうというのだ。

 パチン。

 と指を鳴らすような音とともに、泡がはじけるように、目の前が明るくなった。

 するとそこは、

 㐂嵜さんの記憶だった。

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