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御前レファレンス。(10-2)

第壱回『雲云なす意図。』

♯10-2:魔法陣あるある。2


     †

 ヒバナをガイドしながら、再び魔法陣のなかへ踏みこむ。

 さっきふたりを連れて歩いたときよりも、さらに足もとに注意して魔法陣のなかを進んでく。
 ぬかるんでる箇所や山盛りのザラメ、異彩を放つパクチーに燃え盛るアロマキャンドル。

 ヒバナを連れているとすべてが罠のように思えてくる。
 だとしたら仕かけたのは僕だけど。

 足もとに注意を向けると、ことさらに見直すまでもなく、不恰好に白線で描かれた円を魔法陣と呼んでいいものかと自戒する。

 そして、この魔法陣、無駄に巨大だと思う。

 バスケットコートの横幅よりも広く、縦幅よりも狭い直径約二十メートル。

 本にあったのを参考にして円のなかには、それっぽいなにかをそれっぽく描いてある。
 模様にも見えるし、文字にも見えるようになっている仕様だ。
 けど、意味は特にない。

「文字に意味なんかなくても想いはきちんとこめて」

 そうヒバナに言われたので、自分のなかで想いは付与してはある。

 不可思議なレファレンスを頼ってきてくれた㐂嵜きさきさんのこと。
 そして平埜ひらのさんのことを想って。

 僕は、そんな様々な想いでできた魔法陣の中心までヒバナを連れきた。

「五十センチ前くらいにキャンドルあるから」
「わかった」

 ヒバナがうなずく。
 僕の腕から手を離す。

 魔法陣の中心に、特別なキャンドルを設置した。

 これは、ほかのただ雰囲気作りのためのアロマキャンドルとは一線を隠す。
 大きさは五百ミリペットボトルよりも大きいく幅もある。
 一見すると蝋燭キャンドルというより、さまざまな原石が結合してできた『結晶』にも見えるかもしれない。
 ちなみにこれは僕ではなく、ヒバナと僕――共通の知人お手製。

「んじゃ、これ。よろ、」

 左手の白杖をワンタッチで折り畳んで、僕に渡してくる。
 肩からななめがけしてた水筒も僕に渡す。
 そして、いつもかけてるスマートグラスを外すと、

「あと、これも」

 僕のほうに放り投げた。

「っと、あぶなっ」

 お手玉して落っことしそうになるが、なんとキャッチに成功した。
 サングラス型なだけでこの中身は高性能な精密機械だ。

「ヒバナ、もうちょっと丁寧にあつかったほうが……。お高いんでしょ?」
「そらーもうね、たっかいよ」

 ヒバナはニヤリ笑った。

 僕はスマートグラスと白杖を後生大事に抱えながら、魔法陣の外に向かって歩き出した。

「気ぃ抜くなよ、ミサキ。こっからだぞ」

 もう一度、背中越しにヒバナから釘を刺された。

「はい」

 振り返って、返事をする。
 ヒバナは軽く手を振って、僕に背を向けた。

 「あっちに置いておくね」

 ヒバナには聞こえないが、口に出して一応断りを入れる。
 持ってるとなにかあったときに、壊しちゃいそうだったので、荷物といっしょに置いておこう。

 僕は魔法陣の円の外へと出た。

 駆け足で、ヒバナと僕の荷物(作業道具など)を置いてあるところまで行く。
 慌ただしく自分のリュックのなかに水筒とヒバナの白杖とスマートグラスを押しこんだ。
 急ぎながらも、お高いスマートグラスはちゃんとメガネケースにしまった。

 ヒバナのメガネケースの絵柄がシュールな猫のキャラだったので、笑いそうになったが。

「気を引き締めろ、ミサキ」

 とヒバナのゲキが聞こえた気がしたので、くっとこらえる。

 そこからダッシュで魔法陣のなかに舞い戻った。

 僕は魔法陣の円の極際キワキワのところにポジションを取る。

 ヒバナは中心に。

 平埜さん㐂嵜さんが、それぞれ左右の端に立っている。

 直線状に三人は並んでいる状態。

「そんじゃー、いまからちょっとした《儀式》をはじめるからね。おおいに――ビビるように!」

 ヒバナがふたりに言った。
 そこまで大声ではなかったが、ヒバナの声はよく通る。

「待ってましたー」

 平埜さんがパチパチ手を叩く。

 㐂嵜さんは、この茶番が自分と友人のためだと知ってはいるが、なにをやろうとしてるかまでは知らない。
 自分の肩を抱くように身を固くしていた。

「なにが起こるか分からないって、ふつう不安だよね」

 僕はつぶやく。

 これから起こることの予想、予測がいちおうある僕ですら、手のひらにびっちり汗をかいている。
 手のひらにかく汗は、蒸し暑い気候のせいじゃない。
 緊張や漠然とした恐怖に近い感情のあらわれだ。

 魔法陣の大袈裟な雰囲気と分厚い湿度の空気。
 雨上がりとキャンドルなど様々に混じり合った匂い。

 いやおうなしに緊張感が高まっていくのを感じる。

「こんな真夜中だし、丑三つどきってゆうんだっけ? あ、もしかして、お化け屋敷とか、怪談みたいな? どうしよう、そんなの怖い」

 緊張感と比例するように、平埜さんはひとり沸き立っていく。
 口から出る言葉が止まらなくなる。

 それぞれの緊張感の高まり待つように、

「――はーい、ちゅうもーく!」

 たっぷり間を取ったヒバナが声を上げる。
 手を高々と、天を仰ぐ。

 スチールウールみたいな雲が千切れて、隙間から中途半端に丸い月が顔を出していた。

 平埜さんと㐂嵜さんの目が、ヒバナに集まる。

「じゃあまず、あなたたちのお名前をプリーズ。そっちから!」

 ヒバナは自分の左側に手のひらを向ける。
 そっちには、平埜さんがいる。

「あ、私? 私は、平埜藍那あいなですっ」

 平埜さんが戸惑いの表情を見せつつ、素直に自己紹介をする

「じゃあつぎ、こっち、」

 ヒバナが言う。
 そっちには、

「なんなの、これ?」

 眉間に皺を寄せる㐂嵜さん。

「おなまえプリーズ」

 もう一度、ヒバナがうながした。

「㐂嵜沙香さやか。で、いい?」

 吐息のように言った。
 困惑と不安が表情に浮かぶ。

「じゃあ、ふたりの関係は?」

「私たち? 沙香ちゃんと私は、もちろん――親友っ!」

 こともなげに平埜さんがはしゃいだ。

 しかし、㐂嵜さんは無言だった。

『親友』

 というシンプルな言葉に複雑な感情が入り乱れすぎて『無』になったのだろうか。

「親友……だよね?」

 㐂嵜さんが無表情で無言だったから、平埜さんがいきなりトーンダウンした。

「親友、だよね?」

 もう一度、問いかける。
 声がか細く、奈落に落ちる前のような不安げな顔になる。

「……も、もちろん、そう」

 ようやく、㐂嵜さんが声出した。
 振り絞った声だった。

「はい。どうもありがとう」

 ふたりを一瞬にして不安におとしいれることに成功したヒバナは、今度は、

「いま、不安になったあなた。だいじょぶだよ。ふたりは――繋がってるから」

 にんまりと悪戯な笑顔で言った。

「どういう意味?」

 㐂嵜さんもワケが分からずに、ヒバナに視線を向けている。

 ふたりの感情がジェットコースターなみに目まぐるしい。

「それはおたがいにつながっているせいだ」と言われたとして、すぐに理解できるはずもなく。

「あるひとが友人から〝糸〟が出ていると言ってきた」

 ヒバナは、平埜さんのほうに身体を向ける。

 その背後で、㐂嵜さんがぎょっとした。

「糸?」

 平埜さんが首をかしげる。

「そう。たとえば、そこのあなた、」

 ヒバナの瞳が平埜さんに向けられている。

「私……?」

「――なんだか、あなたから〝糸〟が出てるらしいじゃない」

 ヒバナがいきなりブッこんだ。

「え?」

 平埜さんは、ほうけた顔で虚空を見る。

 ヒバナの言った〝糸〟の意味を理解できないというよりもべつの感情だった。

 むしろ、

「ちょっと、なにを言って!?」

 㐂嵜さんのほうが過剰に反応をしめす。

 しかしヒバナは、あえてそれを無視した。

「あなたから誰の目にも見えない〝糸〟が出てるらしいのよ。それをあなたのお友達トモダチが見つけたんだよ。あれ? おっかしいわよね。だって、誰にも見えないはずのに?」

 ヒバナはいやらしい意地悪キャラみたく、よどみなく言う。

「やめて! それなこと言う必要ない!」

 顔を青ざめさせ、㐂嵜さんがヒステリックに騒ぎ立てる。

『親友』を想って、本人にも話せずにいた〝糸〟のことを、関係のないヒバナがサラッと伝えてしまったのだ。

「沙香ちゃん、どうしたの? なんでそんなに怒ってるの? どういうこと? なんかコワイ」

 平埜さんは空虚な目を虚空に向ける。

「やめてよ! なんでこんなときに!」

 声を荒げる㐂嵜さん。

「こんなとき? なんで、どうして? いまだからこそでしょ。」

 ヒバナは㐂嵜さんに背を向けたまま。

「あなたがレファレンスに相談してきた。だからミサキはあなたのために、こんな時間まで無償で一生懸命に動いて、こうしてこうやってこの場を用意したの。なに? ぜんぶ必要ないとでもいうの?」

 早口で一気にまくしたてる。

 ちなみに無償ではないけど、有償無償の話は置いといて。

「――だったら、もういいよ!」

 㐂嵜さんが言い放った。
 もういいワケないのに、逆ギレして㐂嵜さんは、立ち位置から離れようとする。

「ストぉぉぉぉップ!」

 としかし、ヒバナの声がとんでもない音量で響く。

 これには僕すら驚いて、息が止まりかけた。

「ヒバナ、あんなおっきい声でるんだ……」

 びっくりがすごくて月並みな小並感。

 片手を上げ、㐂嵜さんが動くのを制止した。

 大声の迫力と、あまりに自然にやるから忘れがちだけど。
 ヒバナには、㐂嵜さんの動きが見えてたワケじゃない。
 声の感じや足音、空気感や気配などさまざまな要因からその動きを予測したのだ。

 そして、ヒバナの瞳が見射みいられ、㐂嵜さんは身動きが取れなくなった。

「もういい? いいワケないでしょ」

 僕が思ったことをヒバナも口に出して言った。

「もしかして、いろいろあらわにされるからってビビってる? いやいや、まだまだビビるには早いんだよ。だからさ、ちょっとだけ黙って其処そこで待っててよ。これから――視せてあげるから。ぜんぶっ」

 表情には笑顔を浮かべていたヒバナだが、声はいつもの軽い陽気なトーンよりも一段低く、鋭く尖っていた。

 パンチの効いたヒバナの声色に聞いてる僕のほうがひやひやしてしまった。
 でも他人の感情の影響を受けやすいいまの㐂嵜さん相手には効果的面。

 㐂嵜さんが棒立ちになってる。
 生唾を飲みこむ音が僕のいるところまで聞こえてきそうだった。

 ついに――いまのやりとりで完全に、寸前までのユルい空気感吹っ飛んだ。

 ガラリと雰囲気が変わる。

 全力で道化師を演じた僕の苦労も、この一瞬で吹っ飛ぶんだけど、べつにかまわない。

 ここまで、想定内に進んでいるのだ。

「ねえ、みんな、どうしたの? どうなってるの、これ?

 平埜さんはつとめて笑顔だったが、もう目が笑ってない。
 表情筋がカクついて、非対称な笑顔だ。

 空気感が緊張感となって、ヒシヒシと彼女に伝わっているはずだ。

「ふーっ。やっぱ、骨が折れるなー」

 普段大声など出さないし、ヒバナもまたこの瞬間、快楽的道化師を演じていた。
 首をコキコキ鳴らして、ヒバナはつぶやいた。
 それから、

「よっしゃ、いこう」

 ふたたび、気合を入れ直す。

 㐂嵜さんと平埜さんの注目のなか、ヒバナは気合を入れるとその場にしゃがみこんだ。

 シャツの広い袖口をまくり上げる。
 無数のキャンドルの灯が揺れ、ヒバナの不健康なくらい真っ白で花車きゃしゃな腕を夜に浮かび上がらせる。

「いよいよ、はじまるんだ……」

 僕は無意識につぶやいていた。
 息苦しさを感じるのは蒸し暑さのせいだけじゃない。
 ここからほんとうになにが起こるのか、実際にそれが起こってみないと分からなくなっていく。

 ここからのフェイズは――僕も見たことがないヒバナのあらたなる〝能力〟が解放される。

 あんなに生ぬるかった湿度の空気に、ひんやりとした鉄のように冷たいモノを肌が感じる。

 ヒバナが両手のひらを地面に触れさせた。

「――出力全開っ! ……でも十秒だけ!」

 ヒバナの瞳が淡い薄紫色の光を宿す。

 その両手が触れた――僕が描いたイビツな魔法陣の中心。

 さまざまな結晶の原石を集めたような蝋燭ろうそくが置いてある。
 ほかのアロマなキャンドルとはあきらかに違うソレには、まだ火がともってなかった。

 が――

「……なんなの、いった……い?」

 喉を嗄らして㐂嵜さんがちいさくこぼした。

 平埜さんは言葉を発さず、まばたきもせず虚空を注視したままだった。

 五秒が経過。

 まだ何も起こらない。

 十秒が経過。

 そのとき。

 ヒバナが触れた魔法陣の中心部分が、

 ――淡く薄紫色に発光しはじめた。

「よっし。やっぱ、やればできるね、あたし……ッ!」

 僕にしか分からない程度に、ヒバナがちっちゃくガッツポーズした。

 僕の、魔法陣の完成が時間ぎりぎりすぎて、そのあらたな〝性能チカラ〟を試してみることができなかったのだ。

 まさしく、ぶっつけ本番だった。

 紫の光は、魔法陣の中心に置いた蝋燭に――ヒバナの瞳とおなじような薄紫色の淡いともした。

 その刹那――

 魔法陣を描いた白線が薄紫色の淡い光を放ち、

 そして、一気に目の前が見えなくなるほどの光に包みこまれた。

 空が染まった。

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