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御前レファレンス。(5)

第壱回『雲云なす意図。』

#5 :転機雨。


     †

 ここ最近、晴れた日はたった一日。

 梅雨のまっただなかだから、あたりまえと言えばそうだけど。

きょうもきょうとて雨だったが、この一週間はわりと平穏な日々だった。

 改札前の一件から――あの日から一週間が経った。

 図書館もカフェも、窓ガラスはびっしりと結露している。
 カフェの店内やお店の前を滑らないようモップがけなどしているが、焼け石に水ぐらいの湿気。

「あと十日ほどで梅雨明けらしいよ」

 いつものカウンター席で『店長の本日のおすすめコーヒー』を飲みながら、ヒバナがつぶやいた。

「え、ほんとに?」
「って、天気予報士が言ってた」

 僕が聞き返すとヒバナは間髪入れず情報源を口にした。

 とりあえず情報源がたしかなので、

「へえー」

 と感心したふうにうなずいておいた。

 梅雨が明けたからといって、
「キタゼ? 夏になったんだゼ? コレしてアレしてイヤッフーッ! 楽しいがすぎるゼッッッ!」
 なんて予定も目標も、どうせ、なにひとつないのだ。
 僕には、ね。

 実家からはなにかと、
「夏休みには帰ってくるんか?」
「いつ帰ってくるんや?」
 なんて、しきりに訊かれる。

 僕はまだ大学一年。
 ゼミも就活もない。
 部にもサークルにも属してない。
 帰郷するヒマも余裕もたっぷりある。
 けど、

「大学とバイトがいそがしくて、ちょっといつになるか分からない」

 とかテキトーに、お茶をにごしてる。

 それでもまたさっきも母親から電話がかかってきた。
 昼に送るはずだったメッセージの返信を忘れてしまったからだった。
 バイト中だから無視しちゃったけど。
 バイトのシフトは伝えてあるんだ。
 いまはあきらめてくれればいいけど。

 まあでも、あとあとメンドーだから、バイト終わったら謝罪のスタンプでも送っとこう。

 正直、帰郷する理由がない。
 当分のあいだ田舎に帰るつもりはなかった。
 
 田舎との往復に新幹線を使えば、バイト代の半分近くが消える。
 その図書館(カフェ)のバイトは、はじめたばかり。

 僕が担当を任されている不可思議なレファレンスだってある。

 それにしたって、いそがしいってほどでもないけれど。

「ミサキはさ、夏休みどうすんの?」

 コーヒーのおかわりを催促するついでに、ヒバナが訊いてきた。

 いま頭のなかで考えてたことをピンポイントで視抜みぬかれて、僕は白目をむいた。

 なんてサトいんだ。
 ほんと、ヒバナには隠しごともなにもできないなあ。

「予定なんてなんにもないよ」

 僕は答える。
 嘘はない。

「てか、夏休みって図書館の書き入れどきでしょ? みんなカフェに涼みにくるだろうし。いそがしいよ、たぶん。うん」

 つづけて言いワケっぽい説明をした。

「図書館も夏季休暇あるけどね。ふ~ん、そう」

 ヒバナはつまらなそうにして、でもそれ以上は訊かなかった。
 僕の声とか口調から「それについてはあんまり話したくない」という気持ちが隠しきれなかった、いや隠さなかったからだろう。

 ドリッパーにお湯をそそぐ。

 こぽこぽ。

 こぽこぽ。

 深煎りの豆が膨らんで、ぽたぽたサーバーに褐色の雫がひと筋に落ちていく。

 こぽこぽ。

 こぽこぽ。

「おいしくなぁれ」

 と心のなかで魔法の呪文のように唱える。

 それ以外は、なるべく無心で。

 こぽこぽ。

 こぽこぽ。

 コーヒーは見よう見真似のぺえぺえだ。
 無心すぎるとすべて忘れてしまうので、豆の蒸らしやお湯をそそぐのはタイマーやストップウォッチで時間を測っている。
 豆の量も湯量もサーバーにキッチンスケールを敷いて、そのつど計量している。

 図書館でアルバイトはじめて、レファレンス担当からすぐ、カフェ店員に配置転換された。
(のちに不可思議なレファレンスも兼任)

 それまではコーヒーの豆に種類があるとか知らなかったし、それ以前に、インスタントかそうじゃないかすら分からなかった。

 そんな状態から教わったり調べたりした。
 ここは図書館併設のカフェなので、資料はたくさんある。

 いわゆるコーヒーになる前の生豆の状態は褐色ブラウンじゃなくて、緑だとか。
 焙煎をすることでコーヒー然とした色になるとか。
 けど、ただ生豆を焼いたら茶色くなったワケじゃなく、たんぱく質や脂肪や炭水化物などいろいろな成分が化学反応を起こした結果のブラウンだとか。

 豆の蒸らし時間も人によってまちまちだ。
 お湯をそそいで、豆を一度攪拌かくはんするのに棒やスプーンで混ぜるひともいれば、くるくると器具を回して遠心力で混ぜるひともいる。

 その器具だっていろいろある。
 コーヒーを抽出するためのフィルターは、紙か布か金属か、みたいな。

 ひとそれぞれ。
 千差万別。

 抽出方法もたくさんある。
 ドリップにエスプレッソにフレンチプレスにサイフォンに、インスタント……などなど。

 豆の種類も多種多様。
 でも、実際に栽培されているコーヒー豆の木、それ自体は約三種類しかない。

 とか。
 調べれば調べるほど、巨大な迷路に迷いこむ。
 行く着く先は袋小路か、出口などないかもしれない。

 僕はそんな趣味の世界にちょっとだけ足を踏みいれたのだ。

 いまはまだたのしいかたのしくないか、そんなのを感じる余裕もないんだけど。

 アルバイトのつとめを果たすので精一杯。
 お給料ももらってますし。

「お待たせしました」

 おかわりのコーヒーを、カウンター席のヒバナの前に運ぶ。

「ありがとー」

 カノジョは言って、うれしそうに手でカップの位置を探る。
 カウンターテーブルに置いたときに鳴ったソーサーとカップが重なる音で、だいたいの位置はつかんでいる。

 カフェ『時と木』には、たくさんのコーヒーカップがセットで置いてある。
 店内ディスプレイも兼ねているんだけど、お客さんによってカップを変えて提供している。

 ヒバナはカップがどんな柄なのか見えない。
 だけど、毎回変えている。
 形の違いは分かるのだろうし、

「いいカップだね」

 と、よくおどけてカノジョは言うのだ。
 なんともたのしそうに笑って。

 その瞬間ときがなんとなく好きだ。

 ヒバナがカップを口もとに運ぶ。
 ひと口飲んで、

「うん。さっすがミサキ、美味しいじゃん」

 そう言って、綺麗に笑った。

 一杯目でも二杯目おかわりでも、

「おいしい」

 とおなじテンションでヒバナはよろこんでくれる。

 褒めてくれる。

 ほかのお客さんも、カップを下げるときやお会計のあとに「おいしかったよ」とか言ってくれるひともいる。

 僕はそれらに対して、

「どういたしまして」
「どうも」

 とか照れくさくなってしまうんだけど。
 感謝されようがされまいが、褒められようが褒められまいが、僕は、一杯一杯にお湯と心血をそそぐのみである。

 なんて。

 偉そうにしてるが、
 僕のコーヒーの知識は他人から聞いたか、ネットか図書館の書物から得たモノである。
 誰かが試し研究し獲得した遺産財産を拝借しているにすぎないのだ。

 ネットで調べれば、一発でさまざまな役立つ情報が星の数ほど電脳世界で見つけることができる。
 世界一のバリスタがドリップの方法を教えてくれる動画だってある。

『時と木』で働くようになってすぐは、ネットでぽちぽちとやってすぐに《答え》を求めていた。

 そのうち僕は「そういえばここは図書館なんだし」と、ここの資料から探すようになった。

 ネットでぱっぱと調べるよりも、真心がこもる気がする――
 神は細部に宿る――

 とかいうつもりはない。

 単純に調べていてたのしくなったからだ。

 ネットで調べるとどうしても《答え》だけをかいつまみたくなる。
 答えさえ分かればあとは、あまり気にならなくなってしまう。
 必要としない情報は切り捨てられる。

 あくまで僕個人の場合だけど。

 図書館で検索して、本を探す。
 その本のなかから、探している知識や情報を探す。
 そうしていると、答えを見つけるまでにも道筋があって、《答え》の周囲にあるいろいろなモノを知るようになるのだ。
 たとえば、それに関わる歴史や、ちなんだ人物などだ。

 それで得た知識や情報のほとんどは、ほんとうに知りたい《答え》には直接は関わってこない。

「一+一=二」

 そんなのはみんなが知っている。

 でも、どうして一+一が『=二』になるのか、考えるひとはすくない。

 理屈で考えたら、そりゃあそうなる。
 でも『一+一』のなかには、『=二』になるまでの果てしない数の計算式がふくまれているかもしれない。
《答え》はあっても、そこに行き着くまでは幾通りも幾億通りもあるはずなのだ。

「レファレンスもおんなじなんだよ」

 そう教えてくれたのは、図書館の先輩職員でレファレンス担当であり僕の教育係でもある――おばさんだ。

 おばさんいわく、

「レファレンスでは利用者に《回答》はしても《解答》はしない」

 ふたつはおなじ発音だが、同意ではない。

 解答は答えそのもの。
『一+一は?』という問題の『二』に当たる。

 回答は――

「一+一の答えは?」
『答えは〝二〟です。――が、一+一は、文字として考えると〝王〟という漢字にもなります。また参考文献には、ひとつのりんごをふたつに分けた場合、半分の一ともう半分の一を足すとどうなる? とあります。つまり、半分をひとつとして、半分と半分を足したとき〝二〟となるが、片方のひとつともう片方のひとつを足したときは元のりんごひとつになる。つまりこれは〝一〟である。よって、必ずしも一+一は二にはならない。ということです』

 なんていうふうにレファレンスの〝回答〟をすることがあるそうだ。

 この回答を子供騙しだとか哲学ぶるなとか分かりにくいと思われたりもする。

 それでも此処ここでは、この図書館では、レファレンスはあくまでも、

 ――利用者の手助けをする。

 ――利用者が『解答』を導くためのサポートをする。

 それをモットーにしている。

 おばさんが僕に教えてくれたことだ。

 そのモットーにすっかり感化され、僕も図書館の資料をもちいて『回答』を得て、自分なりの『解答』を導いている。

 コーヒーは奥深い。
 僕は深淵に臨でいるのかもしれない。
 というかたぶんそう。

「ミサキ。なんか、たのしそう」

 ふいにヒバナが言った。

「え? そ、そう?」

 もしかして、にやけてた?

 と思ったが、ヒバナにそれが見えるワケじゃない。
 なら、どうしてそんなふうに?

「鼻歌うたってたよ」

 ヒバナがくすりとしながら教えてくれた。
 洞察力とか観察力とか察知能力とか、特集能力とか関係なく。
 ものすごい単純だった。

 そういえば……!

 ――あくまで僕個人の場合だけど。

 のあたりくらいから、プロフェッショナルなひとが仕事の流儀を語りたくなるような効果音と音楽が、頭のなかで流れはじめていた気がする……。

 いい気になって、呑気に僕はテーブルから下げてきたカップを洗いながら鼻歌を唄っていたらしい。

「はっず、気づかないうちに……っ!」

 赤面が止まらない。

「ひっひっひっ、耳まで真っ赤っ!」

 ヒバナがオトナっぽい雰囲気にまるで似合わない赤ちゃんみたいな笑い方で、僕のことを笑ってる。

「って――いや、見えてないくせに!」

 思わず口走ったあとすぐ、ハッとなった。
 たしかにヒバナが僕の耳が赤くなってるのを見えない。

 ――のだけど。

「うひひひひっ」

 よけいバカみたいに、うれしそうにヒバナが笑い出した。

「ちょっとヒバナ。声おおきいよ、ほかのお客さんもいるし」

「お客さんほかにいなくない?」

 すかさずヒバナが返してきた。

「え? うそ?」

 店内を見渡す。
 言われたとおり、ヒバナと僕しか店内にはいなかった。

 さっきお会計をしてお客さんがひとり、ふたりと帰っていった。
 僕が鼻歌を唄いながら洗っていたのは、そのお客さんのカップや食器である。

「ミサキ、普段ちゃんと見えてる? テーブルでお客さん呼んでたりしたらどうすんの?」

 悪戯っぽい笑みを浮かべてヒバナが言った。

 ――が。

 カノジョのその科白セリフがなんとも的を射てたので、

「申し訳ありませんでした」

 カフェの従業員としては謝罪しかできなかった。
 もはや、僕はあやまる機械マシンである。

「いや、マジに取らないでよ」

「いや、ほんと面目めんぼくもありません」

 しかし平身低頭である。
 
「ほんとまじめっこだよ、ミサキくんは」

 僕の謝罪マシンっぷりに、さすがのヒバナも苦笑いする。

 ヒバナが店内の様子を、静けさや物音で把握しているのに、僕は呑気に鼻歌など唄って周囲まわりが見えてなかった。

 と、またも僕の考えを読んだヒバナが、

「しゃーなし、だよ。ほとんどの人間ひとが情報を得るのに、五感のうち八割近く視覚情報に頼ってるらしいし。あたしの感覚コレは慣れみたいなものだから、ミサキもそのうち、ね」

 フォローしてくれた。
 しかし、この構造もなんか逆な気がするな……。

「――ひとは自分の見たいモノを見たいように見る」

 ヒバナが言う。

 それはカノジョの口ぐせのような科白セリフだ。

 人間は見たいモノを見たいように見る。
 信じたいモノを信じたいように信じる。
 感じたいように感じる。
 思いたいように思いこむのだ。

「見えてるモノがすべて正しいってワケじゃない。たとえば――」

 言いかけて、ヒバナが言葉を途切らせた。

「たとえば?」

 僕が訊くと、

「ううん、まだ、いいや」

 カノジョは首を振った。

「まだ? ん? いいの?」
「うん、いいの。んなことよりさ、ミサキ覚えてる?」

 と、今度は僕に訊ねてくる。

「なに?」
「確認だけど、」
「うん?」
「きょうは、きみがあたしを――召喚したんだよね?」
「あ……――そう、だよね……っ! そうそう!」

 そうだった。
 カフェ店員に集中しすぎて、うっかり忘れかけてた。

 ご存じ、僕はカフェのバイト店員ではあるが、不可思議なレファレンス担当でもある。

 その件で、僕がカノジョを呼び出していたのだ。

「ごめんごめん。送ったメッセージ、読んだ?」
「うん、聴いた。だから、ここにいるの」

 ちょっと意地悪な顔でヒバナは、薄紫色のレンズが入ったサングラスを指さした。
 このサングラス――スマートグラスはスマホと連携していて、受信したメッセージなどを文字情報データとして読み上げてくれる。
 カノジョの『聴いた』とはそういう意味だ。

 一週間前、改札前でのできごと。
 もちろん、あれで終わりではない。

 その後、僕らは『経過観察』のごとく、状況を見定めていた。

 あのとき、ヒバナが、

「だいじょうぶ」

 と言った。

 あの、真意。

 たしかに、大丈夫。

 そのはずだった。

 なにごともなければ。

「お友達トモダチだけじゃなくて、レファレンスの《《依頼主のほうも》》、だっけ?」

「そう、なんだ」

 カノジョの問いに僕はこくんと首を落とした。

 僕は、この一週間に見たこと――平埜さんと、そして㐂嵜さんについて話しはじめた。

 残念ながら、

「だいじょうぶ」ではなくなったのだ。

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