御前レファレンス。(13-2)
第壱回『雲云なす意図。』
♯13-2:足き伝導。2
†
それは——蜘蛛の巨体よりもひと回りほどちいさいが、それでも直径が二、三メートルはある。
——まるで漆黒の〝糸〟でできた球体だった。
「伏せて!」
ヒバナが言う。
その声で反射的に僕は、㐂嵜さんと平埜さんに覆いかぶさり地面に伏せた。
「よっこらショーイチ!」
元気いっぱい声に出しながら、ヒバナが両手を縦に広げて前に突き出す。
広げた両手を時計と反対周りに半回転させながら、頭上に掲げた。
刹那、結界内に充満した宙を舞う薄紫色の粒子が反応し、頭上に直径三メートル弱の魔法円が出現した。
直後、目の前を黒く炎耀くスパークが走る。
ゼロコンマ何秒か遅れて、激しい落雷のような爆発音が鳴った。
間近で鳴った爆音に鼓膜がブチ破れそうだった。
そんな爆発と爆音にさらされながらも僕らが無傷だった。
もちろんヒバナのおかげ。
たったいまヒバナが出現させた魔法円は、《防盾》だった。
蜘蛛が吐き出した〝糸〟の球が到達する前に、シールドを展開して僕らを守ってくれたのだ。
シールドに弾かれた〝糸〟は、先ほどの爆発と爆音を発生させたあと、グチャッグチャッとひどく耳障りの悪い音を発しながら地面に飛び散って霧散していった。
「ふつう蜘蛛は爆弾なんか吐き出さないよねぇ」
あきれたふうにヒバナが僕に言った。
「だね。でも〝蠧魚〟に常識を求めるのは難しいよ」
やたらカラカラの喉に唾を飲みこみ、僕は声を詰まらせながら返した。
アレがたとえ人間の感情や想いを喰らってカタチを得ているとしても、。
「容形が似ているだけのまったくのバッタモンだわ、やっぱ。って、蜘蛛なのにバッタはややこしい」
ひとりごちてヒバナが、いつものひっひっひっひと似合わない奇妙な笑い方をした。
ヒバナのいうバッタは昆虫のバッタではなく、『偽物』『紛い物』『粗悪品』などで使われる『ばった』の意味。
そもそも『ばった』は偽物ではなく、正規品ではない物や安売り投げ売りの品のことをあらわすらしいが、言葉の意味は常に変わっていくものである。
こんなときに場違いではあるが、そのくだらないジョークとヒバナの変わらぬ調子にすこしだけ、ほんのすこしだけだけど、ほっとした。
それも束の間。
「――追撃、くるよ!」
ヒバナが言う。
巨大な蜘蛛が脚を上げ、黒い〝糸〟の塊を放出してきた。
ヒバナが再び頭上にシールドを展開する。
僕もふたりに覆いかぶさった。
僕のひ弱な身体は肉の盾としては申し訳程度。
黒い塊が直撃したらひとたまりもない。
それほどの炸裂破裂爆発スパークが爆音で入り乱れる。
耳も塞がず鼓膜をくれてやる覚悟だった。
たとえ僕の体がベニヤ板ほどの防御力しかないとしても、ちょっとでも衝撃を減らすことができれば!
軍や警察が使うスタングレネードのような強烈な爆音のせいで、ひどい耳鳴りが襲ってくる……!
眩暈がして一瞬意識が遠いた。
「――――……ッ!」
ヒバナが僕に向かってなにか叫んでいる。
けど、まるで聴こえない。
とヒバナは、一瞬シールドを解いた。
僕のほうに向いて、なにかを放ってよこす。
今度は、土嚢のごときザラメでも人間でもなく、
「――……?」
軽かった。
軽すぎて、ヒバナがなにをしたのか、もしくは、なにかをしようとしたのか分からなかったくらいだ。
「ん?」
しかし、
ヒバナの声が聴こえてきた。
「――ミサキ、イケてる?」
なにがイケてるのかイケてないのか、分からないが、はっかりとカノジョの声が聴こえてきたのだ。
と同時に、黒い塊が飛んでくるのが視界のなかに入ってきた。
糸の塊に見える爆弾である。
一発目よりもデカイ塊だ。
それも一発、二発と連発してきた。
もはや蜘蛛というか蜘蛛のカタチをした大砲である。
展開されたシールドに黒い〝糸〟の塊が着弾し、その爆風と爆音ですべての音という音がかき消される。
「――どすこいっ!」
しかしやっぱりヒバナの声だけがやけにはっきりと聞こえた。
と、すぐに衝撃と音の波が身体にずしりとのしかかってきた。
振動した空気が、肌どころか骨身をぎしぎし軋ませる。
内臓をエグり出されるような気持ち悪さが襲いかかってくる。
またも意識が遠のきそうになった。
「――しっかりしろ、ミサキ!」
その声で、一瞬にして意識が引き戻された。
「……なんで?」
やっぱり聴こえる。
ヒバナの声だけが。
僕は呆けた顔をして、ヒバナが両手を天空にかかげシールドを展開するその背中を見つめてしまった。
「こんなのただの時間稼ぎだから!」
ヒバナの声が言う。
声がはっきりしすぎているというか、イヤホンで聴いてるみたいな、
むしろ、耳の奥で、頭のなかに、声が心に直接語りかけてくるような。
テレパシーというものがあるのなら、まさにこんな感じかもしれないと思った。
ということは、である。
ヒバナがそんな能力を持っているとしたら?
「まさか、ほんとにテレパシー!? いつのまにそんな能力が、」
僕の知らないヒバナの能力があってもおかしくはない。
きょう、魔法陣を発動して結界を作ったのもそう。
自分の能力の引き出しがいくつあるのか不明だと、カノジョ自身が以前漏らしていたのを聞いたことがあった。
がしかし――
「テレパシー違うし」
ヒバナの声が、僕の考えを即時否定した。
「いや、違うんかい……!」
僕はツッコミ返してしまう。
「じゃあこのテレパスはなんなの!?」
ヒバナは、巨大蜘蛛が放つ黒い〝糸〟の塊が、途切れたタイミングで振り返る。
「それだよ、それ」
だと言うヒバナの声が聴こえてきた。
ヒバナの唇がまったく動かないのにである。
「やっぱ、テレパス!?」
僕が混乱していると、しかしカノジョは蜘蛛が投じようとしている次弾に備えて、僕から視線を外してしまった。
仕方なく、
「それ、とは?」
一瞬こっちに振り返ったヒバナの視線をたどって僕は〝それ〟とやらを探してみることにした。
で、
意外とすぐ見つかった。
「え? もしかして、」
――〝それ〟って、
――〝コレ〟のこと!?
〝それ〟は僕の、
お腹のあたりでウネウネしていた。
蛭みたく血でも吸うように。
「いやーっ!」
声が出た。
コレってアレじゃん!
「てか、〝糸〟じゃん!?」
まさに〝それ〟とは〝コレ〟のことだった。
「そ、そういえば、ヒバナが平埜さんから引っこ抜いて〝糸〟が見当たらない……! ってことは、僕のお腹に食っついて侵入ってこようとしてるこのウネウネは、間違いなく〝糸〟だッッ!!」
「――ちょ! ミサキ、さっきからうっさ! そんな大声出さないで!」
「あ。ご、ごめん!」
咄嗟に謝った。
どうやら、この〝糸〟を通して、声を出しても出さなくても意思がヒバナに伝わっているようだ。
心のままに雄叫んだのが、ヒバナに爆音で届いてしまっていたらしい。
どういう理屈か分からないけど……!
「コレ、こんなことに使っても大丈夫!?」
である。
これはこれで問題ではないのか。
「この〝糸〟が原因で、㐂嵜さんは不可思議なレファレンスに相談してきたのに!?」
そもそもの要因は〝糸〟だ。
それをこんなふうに意思疎通の手段として二次利用してしまっている。
僕にブッ刺して。
「だいじょぶっしょ!」
蜘蛛が飛ばしてくる爆破属性の黒い糸の塊をシールドで弾き飛ばしながら、ヒバナが返した。
「だって、こうやって話できてるし。よくない?」
「いや、まあ、それはそうなんだけど……」
僕の聞きたい本懐はべつなのだけれども。
「じゃあ詳しい話はあと!」
ヒバナの声が爆発の音にも負けず、はっきりと頭のなかに直接響いた。
それにしたがって考えるのを一旦停止した。
「と言いつつ。このままこうしてるだけじゃ、詰む」
ヒバナが言った。
このままシールドで爆弾を受けつづけるのは、
「フルパワーであと二分って感じだから、それ以上はどうなるか」
ヒバナの能力をただ浪費するだけになる。
「あと、二分……」
あと二分もある。
と考えるより、あと二分しかないという焦りが僕を支配しようとする。
「まあ。あっちは、一分もあれば余裕かな」
としかし、ヒバナの自信に満ちた声が頭のなかに鳴る。
「そっか!」
ヒバナがそう言うならきっとそうなのだ!
でも、
「ん? いま『あっちは』って言った?」
あっち、って?
ヒバナの視線の先。
あっちには、巨大な蜘蛛がいる。
「ってなワケで、そっちは任せた」
ヒバナが言った。
僕に。
「そっち? っていうと?」
僕は自分の周囲を見回す。
「あ、うん! もちろん、ふたりのことは任せて!」
僕にはヒバナのようなチカラはないけど、
身を賭して、ふたりを護ると誓う。
この肉体が爆発とともに飛び散ろうとも……!
「――いや、そうなんだけど。ちょっと違うよ、ミサキ」
しかし、ヒバナの苦笑いが〝糸〟を通して、伝わってくる。
「……え、違、う、の?」
そう違った。
『そっち』はふたりのことで間違いない。
でも『そっちは任せた』の『任せた』は、ちょっと意味が違ってたんだ。
「ミサキ、あたしたちはなんのためにこんなことしてる?」
「ふたりが〝蠧魚〟の影響下から抜け出して、自分たちの『解答』にたどり着けるように」
ヒバナの問いに返した。
「そうだよ、ミサキ。〝蠧魚〟が化けただけのでっかい蜘蛛をブッ倒したとして。それで解決じゃないでしょ」
「うん」
そうだ。
「ふたりが答えを見つける。僕らはその手伝いをするだけ」
僕は言った。
僕の答えは必要ない。
不可思議なレファレンスの相談者である㐂嵜さん、そして、平埜さんが、
ふたりが答えが見つけられるように。
「――だよねー」
ヒバナが僕の返しに満面の笑みを浮かべた。
その間も蜘蛛が吐き出す糸塊爆弾を平気で防ぎながら。
爆発音がもはや、遠くでなる花火のように聴こえる。
耳がやられすぎてるというのもあるし、ヒバナがシールドで軽減してくれてるのもあるだろう。
でも、爆音とシールドにぶつかって、散っていく糸の破片がやっぱり花火のようにも見えてきた。
それは、この世の終わりのような、ひどくうつくしい光景だった。