御前レファレンス。(6-1)
第壱回『雲云なす意図。』
#6 -1:黴雨と停滞。
†
ヒバナが、レファレンスの相談依頼者である㐂嵜沙香さんの友人、平埜藍那さんから〝糸〟を抜き去った。
もしくは消し去った。
僕には見えなかった。
当事者の平埜さんもやはり見えてなかったのか。
見えたのは、相談依頼者の㐂嵜さん。
と、ヒバナだけにそれが視えていた。
㐂嵜さんにとって〝糸〟がデリケートな問題だと分かっていた。
が、ヒバナがそれを抜いたか消したかしてしまった。
「なんてことしたの!?」
㐂嵜さんの憤りはもっともである。
しかしなんで、ヒバナがなんでそんなことをしたのかというと、
「だいじょうぶなヤツだったんだもん」
の一点張り。
中央一点突破。
もちろん、そんなので㐂嵜さんが納得するはずもなく、
「いやー、なんなんでしょうねー。そうですねー、すみませんでした。このたびは誠に申し訳ありません」
ただ謝罪マシンになった。
ひとまず、㐂嵜さんに落ち着いてもらうべく、あの日あのあと、いったん『時と木』に案内した。
「いや~、アレはですねぇ~……なんなんでしょうね……?」
しかし結局、僕に理路整然とした説明ができるはずない。
僕は僕にできることをしなければならない。
僕ができるのはヒバナを信用することだ。
おなじように㐂嵜さんにも、信用してもらえればいいんだけど。
そこまではいかないまでも、
「なんなの、ったく……!」
と眉間に皺寄せ、ヒバナをニラミつけるのをやめてもらわないと。
かと言って。
「ヒバナはひょうひょうとしてて、ぜんっぜんつかみどころのないひとだけど、すごい信用できるんです!」
などと僕が力説したところでよけいに不信感をあおるだけだろう。
「じゃじゃじゃじゃ、じゃあ! とりあえず、いったん様子を見るってゆうことで!?」
どうでしょう?
苦しまぎれに、僕はそんなことを提案した。
平埜さんから出ていた〝糸〟は一度、㐂嵜さんの手に触れ、抜けたか消えた。
今回もヒバナが触れたせいで、抜けたか消えたが。
前回同様なにもないかもしれない。
「ないんじゃなくて。だいじょぶなの、アレはそういう気にしなくていいヤツだから」
ヒバナが言う。
そういうアバウトな言い方だと、不信感を増すだけになってしまいそう。
「ちゃんと僕らが責任を持って、おふたりのこと見守りますので。様子を見るというのはいかがでしょう。はい当然、また〝糸〟が現れるかもしれません。そのときは、そのときこそ、もっと有効な対策を考えます。あ、いえ、そこまでに対策を練っておきます。いっしょにがんばりましょう」
これは僕からの、可思議なレファレンス担当からのある種の『回答』だった。
『経過観察』といえば聞こえはいいかもしれない。
が、聞きようによっては、ただの精神論根性論に近く、問題を先送りしてるだけでもある。
ただ、〝糸〟について分かってることが少ない以上、ここから調べるなりしていくしかないのも本音だった。
不可思議な事象や現象について、すこしだけど分かっているつもりではいる。
納得はしてもらえないかもしれないけど、誠心誠意つくしたい。
すると、
「いいわ。分かった」
何故か、㐂嵜さんは意外なほどあっさり引き下がってくれた。
熱意と精神論しかないが、僕のせめてもの誠意が伝わったのだと思った。
んなワケなかった。
「藍那になにかあったら、あんたたちのこと――ただじゃおかないから……!」
とても怖いひと言を残して、㐂嵜さんは去っていったのだった。
残された僕は、喉がカラカラになって、ヒバナに渡されたグラスの水を一気に飲み干した。
「まあ、ここに相談しにきたときは憔悴してたけど、あれだけ怒れるようになったんだし、ちょっとはマシになったんじゃない?」
ヒバナがフォローみたいなことを言ってくれた。
果たしてそうなのだろうか。
「そうだといいんだけど、ね……」
†
そして、あれから一週間がたった。
「だいじょうぶ」
「気にしなくていい」
そんなふうにヒバナは言っていた。
でも、
「残念ながら、」
僕はぽつりとこぼす。
「やっぱ、気になっちゃったかぁ。そりゃあ気にするなっていえばよけい気になるんけどさ」
僕に図書館へ召喚されたヒバナは、コーヒーを一口飲んで肩をすくめた。
「ごめん」
「なんでミサキがあやまるの」
ヒバナが言う。
「いや、僕も気になっちゃって。ふたりのこと、ちゃんと見守らなきゃって、ちょっと張り切ってたかも」
僕はこの一週間、大学で平埜さんとそして㐂嵜さんのことを、一定の距離を保ちつつ『経過観察』していた。
「気にしないように気にしたり、気にかけないフリして気にかけてたんだけど、やっぱ、ふつうに気になって……。大学に行ったらふたりの姿を探すようになっちゃってたんだ……」
そんな懺悔と反省をする僕に、
「え? なに? もしかして! ミサキはべつに当事者じゃないから、よほど強引に干渉したり介入しなければ、だいじょぶだよ。そんなの」
ヒバナは笑いをこらえながら言った。
最後のほうは、こらえきれず吹き出してたけど。
「そんなの、って……」
気にするなというのは、㐂嵜さんと平埜さんにとってであって、僕には『そんなの』程度のことだったのだ……。
この一週間、僕はふたりを監視するようなうしろめたさと、ヒバナの忠告に反する背信行為に息苦しくなったりしていたのだけれども。
「しっかし、ミサキはおもろいわ、やっぱ」
ヒバナが腹を抱えて笑っている。
たいへんおもしろかったらしい。
僕の無用な取り越し苦労というかなんというかは、そんなにおもしろかったかね。
「もう逆に器用だよ」
「なにが逆、なの?」
「いろいろ、っと、ね。って、ひひひ」
ヒバナは、今度は赤ちゃんみたいに笑いはじめた。
「ふひひひひひー。あー、腹痛い……っ。で、で、で、で? 気にしないフリしてガッツリ気にした『経過観察』の〝釣果〟は?」
ヒバナが訊く。
釣果とは文字通り、釣りの成果のことである。
「〝糸〟だけに、ね……っ!」
ヒバナがドヤって僕のほうに顔を向ける。
釣り糸と〝糸〟をかけたのだ。
「赤ちゃんかと思ったら今度はオジサンみたいな笑い方しないで。はいはい。んじゃ、経過観察の報告です」
とりあえずガハハと笑うヒバナを一旦無視して、僕は話を進める。
「えー、もうちょい」
ヒバナがつまんなそうにする。
「ひとまず、僕の釣果を聞いてください。よろしくお願いします」
「しゃーなしやで?」
「……はい。じゃあ、結果を先に言うと、」
「うん、」
「友人の平埜さんなんだけど、」
「うん、」
「非常に――元気でした……!」
「元気なんかいッ!」
めずらしくヒバナがツッコミを入れる。
が、しかし。
それを僕は『残念な結果』だと感じたから、ヒバナを呼び出したのである。
「そうなんだけれども。なんというか、僕の勘違いだったらいいなー、思い違いだといいなーってゆうか。気にしすぎなのかなぁ、とも思ったんだけど、」
「んーなに? もったいぶっちゃって。もったいぶるのはあたしのやつ」
ヒバナが怪訝な表情を浮かべる。
いつももったいぶられてる僕は、いつもそんな顔をしているのかな?
「それが――元気がすぎるんだよね」
僕はちいさく息を吸って、吐き出した。
「んんー? だから、なんでそれが問題?」
ヒバナが訊ねる。
「駅で逢った平埜さんの印象ってどんなだった?」
しかし逆に僕がヒバナに訊ねた。
「依頼主のひとから聞いてたまんま。――人見知りでおとなしくて引っこみ思案」
ヒバナが答える。
「そう、そうなんだよ。僕もおんなじ印象」
「だけど?」
「大学で見た平埜さんは、元気すぎるし、――妙に明るかった」
「んー? それって、ふつう……いいことでは?」
「ふつうはそうなんだよねぇ」
僕がいま話したことは、ことさら声を大にして言うことでもなければ、ヒバナを呼び出してまで話す内容ではない。
自分でもそう思うのだが。
「改札前で逢ったつぎの日。さっそく、大学で平埜さんのこと見つけて、」
「見つけた。ってか、探したでしょ」
「……そう。まあ陰ながら見守っておりまして、」
「うん」
「それで、そのとき平埜さんは㐂嵜さんとはいっしょじゃなくて」
「あのふたり、いっつもべったりってワケじゃないんだ」
「ゼミ関係の日は、わりと別行動だって」
これは㐂嵜さんに聞いたことでもある。
ゼミは週一回程度だが、その間も課題やら調べ物などあり、ゼミ生たちだけで集まることもある。
「ミサキがストーキング中に目撃したのは、ゼミ
の日だったワケね」
「そう。――じゃないよ、言い方。ストーキングって、言い方最悪すぎ。さすがにストーキングはないよ。ちゃんと適度に距離をとって見守ってました」
言っててなにがストーキングと違うのだろうと、はたと考えこみそうになった。
「そういうことにしておきましょう」
といういまいち納得いかないヒバナの声で我に返った。
「で、そのとき平埜さんは、ゼミ生のひとたちといっしょだったんだけど、」
とにかく話を先に進めよう。
†
場所は学食。
学食といえば、安くて美味しい上にぼリューミュー。
僕もとてもお世話になってるが、もちろんランチどきは学生たちでたいへん賑わっている。
ランチどきが終われば学食も終了するが、それ以後はフリースペースになるので、学生たちの溜まり場のひとつになっている。
昼休みにバイト先の『時と木』でトラブルがあって、僕はランチを食べそこねた。
おかげさまでトラブルは無事解決したときには、もう三限がはじまる時間だった。
その日は三限で終わりだったので、『時と木』でもらったサンドイッチとコーヒーを手になんとなく学食にやってきた。
時刻は午後三時前。
いくつかのグループができていて、そのなかで一際騒がしい五人ほどがいた。
「マジで、ヤバくね」
「あのオヤジほんとハゲ散らかしてさぁ」
「思い出すだけど、こっちがハゲそう」
「ギャハハハ」
などと、誰かの悪口で盛り上がっていた。
ゼミという単語が聞こえてきたので、ゼミ生に違いないだろう。
テーブルの上に座っていたり、足を乗せていたりとちょっとはしたないが、まあ迷惑というほどでもないか。
僕は、その騒がしめな集団の横を通りすぎて、空いている席に向かおうとした。
とそのとき、騒がしいゼミ生たちのなかに、平埜さんの姿を見つけたのだ。
声だけ聞いていたら、集団に、あの人見知りで引っこみ思案の平埜さんがまぎれているとは思いもしなかっただろう。
まるで別人の印象だ。
平埜さんんは、ケタケタと大きな声を出して、手を叩いたりして笑っている。
派手派手なスタイルのひともいるので、そのなかでは地味なファッションではあるが、特に浮いているようでもなかった。
ゼミ生の雰囲気にちゃんと馴染んでいる。
僕は、思わず、近くの席に平埜さんのグループに背を向けて座る。
遠からず近からずな距離だが、大きな声で話してくれているので、いやでも話が耳に入ってくる。
決して、聞き耳を立てた盗み聞きなどはないということは記しておきたい……!
話題はゼミで講義中に出てきた、いわゆる『オジサン』のことだった。
と言っても、実在の人物の要素を混ぜ合わせたバーチャルリアリティな仮想敵役オジサンのようだ。
「でもいるよね、あんな男尊女卑を絵に描いたようなジジイ」
「オッサンはオッサンで生きてんのかもだけど、自分たちが中心だと思ってんのかな」
「ああならないようにって思ってて、実際なってるヤツ多いし」
そんな会話が聞こえきた。
意外とゼミの講義内容について話し合っているようだった。
オジサンは目の敵のようだけれど。
「自分の意見が正しいと思ってるから、こっちの言うことなんか響かないでしょ」
これは平埜さんだ。
やっぱり僕が逢ったときに目を伏せていたひととは違うみたいに、ハキハキとしゃべってる。
「あ、お花つみにいってくるね」
会話がひと段落すると、平埜さんが席を立った。
「お花って、バイトじゃないんだから」
グループのひとりが平埜さんにツッコむ。
「うちのバイト『一番行ってきます』だわ」
べつのひとりが言うと、
「つか、何番でもよくない!?」
一番派手派手なゼミ生が一際大きな声で返した。
どっと笑いが起こる。
爆音のような笑い声にまぎれるように、平埜さんがそそくさ席を離れていく。
すると、彼女の背中を目でおいつつ、誰からともなく、
「そういえば、あのコ、最近やたら明るくね?」
「そうだっけ? 前からあんなんじゃなかった?」
「どっちかといえば、目立たないほう?」
「そうだっけか?」
「まあ、いいか」
あのコとは、会話の流れから平埜さんのことだと分かる。
しかしその話っぷりからは、ゼミ生たちの『あのコ』の印象は特に伝わってこない。
いつのまにか、平埜さんはゼミ生の輪のなかにいて、いつからか明るく振る舞うようになった。
それはおそらく、何ヶ月も前の話ではない。
まったくの最近、それこそちょうど――㐂嵜さんが平埜さんの〝糸〟を見つけたくらい。
そんなことを考えながら、ゼミ生たちと同様に僕も自然と平埜さんの背中を目で追っていた。
だったんだけど、
彼女がなんの用で席を立ったのかに思い当たり、すぐさま目で追うのをやめた。
僕がふたたびゼミ生たちに背を向けようとした、そのとき、視界の端になにかが見切れた。
一瞬だったが、僕は気になって、すこし腰を後ろ向きにひねろうとした。
そして、気づいた。
学食があるフロアのはじっこのはじっこ。
ぽつん。
と立っているひとのこと。
「……㐂嵜さん――っ!?
思わず声が漏れそうになった。
あわてて周囲の空気もろとも飲みこんだ。
フロアのはじっこのほうに所在なげに㐂嵜さんが立っている。
なんとも言えない表情だ。
怒りではない。
悲しみでもない。
憂い?
後悔?
妬み?
嫉み?
そのどれでもなく、どれにでも当てはまりそうな複雑な表情。
光の三限色を混ぜると白になるような、一見すると無の表情にも見える。
――なんで、㐂嵜さんがここに?
いや、おなじ大学の学生なんだし、ここにいてもいいはずだ。
ゼミが終わっただろう友人の平埜さんを迎えにきたのかもしれない。
だったら、なんで、あんな離れたところから気づかれないように立って、――見てるんだ?
たぶん、その視線の先は、さっきまで平埜さんが居たグループ。
席を離れた平埜さんは㐂嵜さんの存在に気づいていたのだろうか。
「もしかして、㐂嵜さんの存在に気づいて席を離れた……とか?」
邪推しそうになり、頭を振る。
「いやいや、さすがにそれは」
僕はいったん、正面に向き直った。
タンブラーに入ったコーヒーをグイッとあおって、おおきく息を吐く。
ため息くらい重たい吐息だった。
「よし、」
それから意を決して、でもゆっくりとうっすらとおっかなびっくりうしろを振り向こう――
――……としたけど、勇気が出なかったので、スマホを取り出し、カメラを起動した。
インカメラに切りかえる。
肩越しに背後を映した。
「インカメなんか使ったことなかったけど、こんなとことで……、」
が、
「――いない……っ!」
さっきまでいた㐂嵜さんの姿は、もう何処にも見当たらなかったのである。
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