御前レファレンス。(0-2)
第壱回『雲云なす意図。』
後日譚:エピローグ。
†
日常の反対は、非日常ではない。
日常の反対も日常だ。
どちらへいっても、何処へいっても、何処までいっても果てなく日常がつづく。
右を見て、左を見て、上を見て、下を見て、うしろを見て、前を向く。
いつもそこには日常がある。
変わらない日常。
すこしだけ刺激的な日常。
いろいろな日常。
ひとそれぞれの日常。
どこもこれもすばらしい、ただの一日であればいい。
それが日常であってほしい。
僕の日常は大学と、
そして、コーヒーである。
「あー、おいしー」
ヒバナが本日の店長のおすすめコーヒーを飲んで、のほほんとした笑顔を浮かべている。
「あー、日常だな」って僕は思う。
カフェ『時と木』は、思っていたほどお客さんが入らず、僕はヒバナの話相手をしつつ、カップを磨いている。
午前中「忙しいかも」と店長さんがヘルプにきていたが、さっき新店舗のほうへ帰って行った。
いまは、僕がカウンターで、もうひとりの店員がホール担当をしている。
現時点でホール担当はまるで忙しくもないので自分で仕事を見つけて、テーブル上の補充をしたりしてる。
ほんとなら例年だとこの時期、図書館ついでに涼みにくるひとたちで賑わうそうだ。
しかし。
「暑すぎるんだよね、やっぱ」
つい先日、梅雨が明けた。
そして、さっそくの殺人的猛暑日の連続だ。
テレビでは陽射しがどうとか、気温が高すぎて生命の危機がとか怖いことを言っていた。
一番陽の高いこの時間帯に『屋外へ出かけようという気すらまずわいてこない』というのが、みんな思っていることだろう。
「あたしは、ほかのひとがいないほうが歩きやすくていいけど」
ヒバナが冗談っぽく笑う。
でも、たぶん本音もふくまれてるんじゃないかな。
「ヒバナ、身体の調子は?」
なにげなく訊いた。
あからさまに心配するとはぐらかすから。
「べつに、ふっつー。ほら、夏バテってキャラでもないしさ」
「夏バテってキャラクターでするものじゃないでしょ」
僕がツッコミを入れるとヒバナは、ひっひっひっひ、と赤ちゃんみたく奇妙な笑い声を上げる。
「ったくもう」
まあ、元気ならそれでいいか。
先日、あの夜のこと――
巨大な蜘蛛と戦りあったとき、僕はインナーワールドのほうで少々手こずってしまった。
そのせいでヒバナにリミットを越えて、能力を使いつづけさせることになったのだ。
直後は、何事もなく元気にそうにしていたヒバナだった。
けど、僕がバイトのシフトに入ってても入ってなくても、コーヒーを飲みにくることもあるカノジョが、めずらしく『時と木』に現れなかった。
ふたたびカノジョが、
「ういっすー、本日のおすすめコーヒー、ヨロー」
とかのんきに姿を見せたのは、ちょうど梅雨が明けた日だった。
「どっかケガでもしてた? 体調悪かった?」
僕が訊ねてもカノジョは、
「いやだいじょぶだから、コーヒー呑みにきてる」
と言うのだった。
「それよか、ミサキのほうがヤバくない? 最後、糸状のモノになってたんでしょ?」
「ははっ。らしいね。あんまり覚えてないんだけど」
さすが直後は覚えていたのだが、しかしその直後から時間が経つにつれ、インナーワールドにダイブしていたときの記憶がうっすらしていった。
ヒバナいわく、
「あそこはそもそも他人の記憶でできてたからね。無関係極まりない第三者のミサキがその記憶を保てないってのは、無理のある話じゃない」
のだそう。
「そっちこそ、体調とかどう?」
逆にヒバナが訊いてきた。
「僕? つぎの日は全身ものすっごい筋肉痛だったけど、いまはもう元気。逆に筋肉モリモリ」
「ガリガリのくせに」
「ヒバナだってほっそほそでしょ」
「セクハラだぞ」
「あ……ごめん」
僕がすぐにあやまると、ヒバナは、愉快そうにひゃっひゃっひゃっと笑った。
きょうもきょうとて、これは僕らの日常だ。
「つぎの依頼きてないの?」
ヒバナが言う。
「もう、そんなポンポン、不可思議な事象やら現象が起こってたら困るよ」
今回、不可思議なレファレンスに相談を依頼してきた㐂嵜さんと、友人の平埜さんは、あのあと意識を取り戻し、ふたりで㐂嵜さんの部屋へと帰っていった。
その後、ふたりでカフェ『時と木』に、
「お礼もかねて」
とお茶をしにきてくれた。
ふたりの関係は変わってない。
すこしだけぎこちなくて、なんだか照れくさそうだったけど、ふたりが笑顔だったのですごくホッとした。
ヒバナはいなかったので、
「よろしく言っておいてください」
ということだったので、
「ふたりが『よろしく』だってさ」
きょう、たったいま伝えた。
「よかったね、ミサキ」
「なんで僕?」
「レファレンスの担当でしょ」
「そう、だけど」
「じゃあ、よかったじゃん」
「そう、だね」
そういうことにしておいて、僕はうなずく。
㐂嵜さんと平埜さんに起こった不可思議な事象または現象。
僕はあえて事件や怪異といった言葉を使わないようにしている。
それらの言葉は強すぎて、意味を持ちすぎるからだ。
〝アレ〟は人間の強い感情や想い、記憶といったモノに干渉し、影響をあたえてくる。
なんでもない日常のすこし不思議。
そして、何事もなかったかのように日常へと戻っていく。
それでいいんだ。
それが日常だ。
でも、
僕らの日常は、ちょっとだけさわがしい。
「――あの、すみません」
カフェ『時と木』に、またひとりやってきた。
「いらっしゃいませ」
僕が店の入り口まででむくと、そのひとは表情を曇らせながら、
「あの、――ここなら『不可思議』なことを専門に調べてくれるってウワサで聞いて」
と言った。
「――噂ねぇ」
ヒバナがおもしろおかしそうにつぶやく。
噂のでどころとやらに心があるのだろう。
おや、奇遇なことに、僕も。
その噂なら知っている。
何故なら、
「はい、不可思議なレファレンスの相談ですね」
カフェの店員で培われたスマイルをキメる。
「僕が不可思議担当のミサキです」
これは僕らの『不可思議』なレファレンスのお仕事だ。
「あっちに座ってるのが――」
さあ、
今回の依頼、
〝カノジョ〟には、なにが――視えるんだろう。