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ハン・ガン「すべての、白いものたちの」#1<おでん的批評文学>

生きてきた時間の突端で、おののきながら片足を踏み出し、意志の介入する余地を残さず、ためらわず、もう一方の足を虚空へと踏み出す

「1 私」

 考えることは迷路の中へ勇んで分け入ることに、結局はどうしても繋がってしまうのだから。流れにどれだけ恭しく暇を乞うたとしても、時間はすべての願いを聞き入れるような振りだけをして、すげなくそれらを投げ捨てるのだ。ちょっと一息吐かないかい。

 自分の強固な意志に頼って前進してきたように思えても、ほんとうはお膳に乗っかった料理のうちでどれを先に平らげてやろうかしら、と選り好みをしているに過ぎないと気付けば、自我とか主体とか、聞こえの良いエネルギッシュな言葉たちの皮を剝ぐことがぐんと容易くなる。

 囲んで、捉まえて、離さない頑固な苦しみは幻影だ、と。夢を見るのだ、と思いつつ、赦される限り精一杯に生きおおせればよいのだ。わたしたちは他に方法を持たないのだから。

 腕に血痕の数が増えるたび、生けるもの全体に対する賛歌のような言葉の切れ切れを、どうでもよさげな愚痴のように、ちょうど良い感覚で継ぎ合わせて帆を立てる。どす黒く変色した血液の跡を繋いでゆけば星座になる。航海の目印はそれら天球の傷痕のどれかの深みで、どくどく脈を打ちつつ微笑している。

 どれでもよいのだ。自分の生きた痕しが、どうしたって消えない星座の明滅が、都会の眩ゆい夜を突き抜けて視界へはたと映る瞬間を、見逃しさえしなければ。そのために立ち止まって、無愛想な空を見上げる時間に人生と名を付ければ、このとき意志は最も充溢し、なにかを超えて行けるような、根拠のない自信がどこからともなく手に入る。

 月や星をあてにして生きてゆくことが、一番難しいのだと教えてくれるひとはないけれど、口に出して教えることのできない理屈というのがどこにでもあって、それがあるとき心強い救世主となったためしを、重ねつつ生きる。生きること、

(続く)

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