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ハン・ガン「すべての、白いものたちの」#2<おでん的批評文学>

自分が誰で、ここがどこで、今始まったばかりのものが何なのかを知らない人。

「おくるみ」

 これが、それが、あれが、何なのかを知ったことなんか何度でもあるようにも、一度もないようにも思うとき。既知と未知が境をもたず融け合って、今が揺さぶられる。現われるものへその度ごとに都合の良い名前を与え、生きることに馴れきったような顔をして、あたかもそれが成熟の証拠のように思ってもいて。土台は空っぽなのだ。

 空虚のうえにプレハブを建てるのが人生の真相だとかりそめにでも信じていれば、不思議に身のまわりのものや、そばにいるひとの、もとから大切に思っていた心がいっそうあたたかくも、愛おしくも思えてくる。狭くてあたたかい生き方へ逃げたい気分を、やさしくいたわってあげること。

 ひとが日々処理する情報のうち、いちばん割合が高いのは視覚からのものだが、ひとが死に行くとき、最期までのこっているのは聴覚だと聞いたことがある。文字は読めず、色や形は見えず、誰かに触れていることも感じられなくなって、薄らぎながらも確かに聞こえる音は、失われゆく命を惜しむ声だ。

しなないで しなないでおねがい

「彼女」

 この世の名残に聴く音楽を、わたしたちは生きているあいだじゅう、鼓膜の内側に取り付けられたスピーカーから聞きつづけているのだ。それはまだ聞こえてこない。わたしたちは聞きつづけている。内側から響いては沈み、積もってゆく、雪に似たような痛みは、末期の音楽に通じている。

 書店でこの本を手に取ったときから、予感していたことがやはり、現実になる。生死について語ること。健全な人間社会が禁じているその幼気な遊びを、穏やかな夕暮れの慰みとすること。ものの輪郭を、もの自体には決して触れずに、正確になぞること。死に対するロマンを、幸か不幸か捨て去りつつある季節の、奇妙な境界に立つわたしに相応しくもありそうなこと。

 自分自身の骨の感触をいつも気にしながら、書き連ねてゆくだろう。彼岸に吹く風の香りと、その真っ白な記憶が、色褪せてしまわぬうちに。

(続く)

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