vol.19 「干し柿」立冬 11/7〜11/21
いつの年だったか、夫のおばあちゃんから大量の渋柿をもらったことがある。おばあちゃんは90歳を過ぎてもとても元気。自分で干し柿を作っているけれど、さすがにできる数には限度があるのだろう。庭の柿の木にはまだまだたわわに実が生っていた。
「植木屋さんに手伝ってもらって収穫しておいたから、
干し柿なら簡単にできるからやってみて」
と、キュウリやトマトと同じように数日後には柿がどっさりと我が家にやってきた。
さてさて。どうしよう!野菜のようにそのままでは食べられないので作らなければ食べられないどころかダメにしてしまう。自然相手のこうした作業は、日常の仕事や雑務、家事などこちらの都合など待ってはくれない。ほんのわずかな合間を見つけて、「エイヤッ」と勢いに任せてやってしまうしかないのだ。何の準備も知識もないままに干し柿作りをすることになった。
柿が出回る時期になると、スーパーやホームセンターの売り場には渋柿の渋抜き用ホワイトリカーや干柿用のロープが並ぶ。クルクル手回しで柿の皮が剥ける皮むき器などの便利な道具もある。はじめはそのことに驚いていた自分を思い出す。とりあえずは自宅にあった麻紐を利用することにして、ひたすら夫婦二人で皮剥き作業。干し柿の消毒の仕方は人によって色々のようだけれど、一番手軽な熱湯にサッとくぐらせる方法にした。皮を剥いた柿を麻紐に結んで、流れ作業で大鍋に沸かした熱湯にざぶんざぶんとくぐらせていく。そして当時住んでいた集合住宅のベランダの物干し竿へバランスよく吊るすという作業を数回繰り返しようやく完成。柿を無駄にすることなくやり終えてホッと胸をなでおろす。あとは冷たい冬の空気に委ねるだけ。季節の手しごとは、いつもこうしてどこか気持ちを急かしながらも、やり終えたときの独特の達成感がクセになってしまう。それに何と言っても自分で手を動かして作ったものの美味しさは格別で、大変大変などと思いながらも、結局は好きになってしまうのだ。
乾いた冷たい風で干し柿がゆらゆら揺れる。「干し柿ののれん」だ。そんな景色を部屋の中から眺めるられるのも何だかいい。干し始めて一ヶ月も経つ頃には、干し柿らしい姿に無事出来上がる。初めてでもカビることなく出来上がったのは、寒さあってこそ。千葉の実家のあたりでは、いくら関東平野のからっ風が吹いているとはいえ、なかなか難しいだろう。そういえば干し柿を作っている家は近所には一軒もなかった。
私が三春に移住をする前までは、柿自体がまだ震災後の放射線量の値が高く、それまで毎年のように作っていた干し柿を作れない時期が続いたと伺った。その線量も基準値以下となって、今では紅葉で山が彩られる頃に町を歩けば、軒先に「干し柿ののれん」を吊るすお宅を多く見かけることができる。そんな経緯を思うと、この季節ならではの風景がなおさらかけがえのないものだと感じる。
干し柿初心者でもそこそこ美味しく出来上がったのが嬉しくて、「ふるさと便」のごとく、その年に作ったお味噌やら梅干し、お餅などいくつかの保存食と一緒に東京の友人に干し柿を送った。自分たちも出来上がってからは冷凍庫に保存をして、冬の間のお茶請けやワインのおつまみに、中にナッツ類やバターなどを挟んでちんみり、ちんみり楽しんだ。
自然の甘みと凝縮された旨味。ジャパニーズドライフルーツ。お菓子を作る友人から教えてもらって、干し柿のパウンドケーキも作ってみたが、これもまた美味。こんな嬉しさがあるからこそ、翌年から干し柿作りが苦にならずに続けている。それに秋のひとつの景色として大事に残さねばと思うようになった。
今の平屋でも早速干し柿作りを試みた。昨年は友人宅からやってきた100個以上の柿も加わって、のれんと言うよりは「干し柿のすだれ」が我が家の軒先にぶら下がった。築60年以上の日本家屋の外観にはお似合いの景色。部屋の中からは、磨りガラスを通して柿の姿が影絵の様に映される。あっちを向いたり、こっちを向いたり、それでも一本の紐に結ばれて、安心しきった様子で風に身をまかせて揺れている。平和なひと粒、ひと粒。出来上がったらまた友人たちにお福分けすることにしよう。