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【劇評352】苛酷な現実に向かい合う演劇の想像力。『Someone Who`ll Watch Over Me〜私を見守ってくれる人〜』。
世界の現実を見つめる
ウクライナやガザ地区での紛争を受けて、苛酷な状況にいる人々を私たちは、映像や報道を通じて毎日見ている。双方の陣営に少なからぬ捕虜がいて、その救出は家族にとって、どれほど重大な問題であることか。
捕虜の今、置かれている状況は、どれほど残酷なものなのか。理念としては理解していても、私たちは、その現実から目をそらしてはいないか。
一九九二年にフランク・マクギネスによって書かれた戯曲『Someone Who`ll Watch Over Me〜私を見守ってくれる人〜』(常田景子訳)は、一九八六年四月に、イスラム聖戦に誘拐され、四年四ヶ月もの間、人質となったアイルランドの作家、ブライアン・キーナンの実体験に基づいている。
なぜ、ここに囚われたのか、いつになったらここから出られるのか、なんの手掛かりも与えられない人質の絶望と葛藤を描いている。
松本祐子演出による舞台は、時代を超えて、現在も世界中に囚われている人々の現実へと肉薄している。それはメディアの報道からは抜け落ちるリアリティを、演劇の想像力によって取り戻す試みとなった。観客の想像力に直接働きかける演劇の力を実感させる。
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人類が争ってきた歴史
アメリカ人医師のマイケル(成田)とアイルランド人ジャーナリストのエドワード(川辺)が閉じ込められているレバノンの場所は、光がささず、最低限の食料が与えられるだけで、トイレにも監視がつく。
そこに、イギリス人の英語教師マイケル(木津)が加わることで劇は大きく動き始める。この絶望的な状況が、単に二十世紀末の中東ばかりではなく、普遍的な問題へと転じていくのは、アイルランドとイギリスの根深い紛争とテロの歴史が根底に横たわっているからだ。
三人は、さまざまな手立てで、苦痛に満ちた時間をやりすごそうとする。三人は、即興で映画の場面を作りだす。架空の手紙を語りはじめる。讃美歌を含む歌を歌う。生まれた土地の光景を思い出し、地名を並べる。
こうした構成を観るうちに、マヌエル・プイグがブエノアイレスの刑務所の監獄を舞台に描いた『蜘蛛女のキス』が思い出された。一九九一年にロバート・アラン・アッカーマン演出によって上演された舞台は、今も記憶に新しい。架空の映画を語り続ける設定は、出自が異なる人間を結びつける。松本祐子は、この作品を二◯◯六年に演出している
映画という共通のメディア
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。