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しぐれ氣味の、底冷えのする、しずかな、しみじみとした、何となく人戀しい日。(久保田万太郎、あるいは悪漢の涙 第三十七回)

 小説「寂しければ」には、上質な舞台劇のせりふを思わせるやりとりあ る。

 仮に名優といわれるほどの役者によってこのくだりが上演されるとしたら、ことばの上には現れないゆたかなこころの揺れが観客に伝わることか。
 成熟を見せるのは会話ばかりではない。この一節に続く風景描写もまた、詩人としての万太郎の素質をよく物語っている。

 建仁寺にさしてゐた日かげもいつか消えて、庭のうへは、鶏頭も、とび石も、燈蘢も、何のことはない、枯々としてうすら寒いなかに、あきらめてもう首をさしのべているかたち。ーー座敷のなかに目を返すと、つきあたりの鴨居の、硝子を着せた七福神、豆撒きの圖の古い額が、冷たく、夢のやうに光つてゐます。ーー火鉢のうへに湯豆腐は、さびしく、こと  音を立てて煮くたびれてゐました。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。