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【劇評356】在りし日の朝倉摂の姿が、あざやかに蘇ってきた。文学座『摂』

 舞台美術家の朝倉摂さんがなくなって、あっという間に十年が過ぎた。

 劇場でおめにかかると「これ、バカだね」とおっしゃるのが常だったけれど、歯切れのよい調子なので、悪意は感じられない。朝倉さんの批評眼からすると、おおよその舞台は「バカ」に思えたのだろう。

 文学座が『摂』(瀬戸口郁作 西川信廣演出)を上演すると聞いて、なるほどと膝を打った。朝倉摂の娘、富沢亜古が、摂の母耶麻子を演じると聞いて、期待が高まった。

 紀伊國屋ホールで観た舞台は、いくつかの点で私には興味深く覚えた。
 ひとつは、官展と美術団体の歴史と賞が扱われていること。文展、帝展、新文展と名前を変えていく官展のなかで、入選したにもかかわらず、自分の作品に満足がいかないと受賞を拒む場面が前半の焦点になる。反権威へと傾斜していく摂の姿勢が明確に打ち出されている。


左から富沢亜古、荘田由紀、新橋耐子、原康義。撮影:宮川舞子

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。