勘三郎、その脚にこめられた色気。
コクーン歌舞伎は過去のものではない。
勘三郎が急逝してからも、勘九郎、七之助を中心に活動は続いている。
細野晋司が撮影した写真集『コクーン歌舞伎』も途中経過の記録ではあるが、私としてはどうしても勘三郎の写真に目が惹きつけられてしまう。
そもそも、舞台写真とは何のためにあるのだろうか。
単なる記録ならば、現在は、映像にかなうはずもない。コクーン歌舞伎の多くは、WOWOWが撮影しているから、映像を持っている方も多いだろうと思う。
宣伝用の写真は別として、改めて写真集にまとめるからには、写真作品としての価値があるかが厳しく問われている。
細野の『コクーン歌舞伎』は、現実の舞台から軽々と離脱して、作品であろうとする意欲に満ち満ちている。
ここにあるのは、説明的な全体ではない。極度にフレームアップされた細部である。
この細部へのこだわりはどこから生まれるのか。
それは俳優の肉体に対する哀惜である。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。