【劇評273】染五郎、團子、隼人。売り出しの花形を押し出す『弥次喜多流離譚』。
歌舞伎という巨大な怪物は、どれほど斬新な新作も、やがて、その胃袋に呑み込んでしまう。
八月納涼歌舞伎第三部は、三年ぶりの『東海道中膝栗毛 弥次喜多流離譚』(十返舎一九原作より 杉原邦生構成 戸部和久脚本 市川猿之助脚本・演出)である。流離譚には、リターンズと読みがなをふっている。幸四郎、猿之助のコンビによるこのシリーズも、第五弾となった。
筋書きに、脚本・演出を兼ねる猿之助が、短い言葉をよせている。そのかなで、先代猿之助・現猿翁の心得を紹介している。
「伯父は続編を作るに当たっては、〝二匹目の泥鰌、三匹目の泥鰌を狙う勇気〟、また、〝堂々とマンネリ化を目指すこと〟をよく申しております。〝それを避けようとすると、逆に袋小路に入るものだ〟とも」
夏芝居といえば、本水。沢潟屋といえば宙乗りが最たるものだけれども、マンネリを恐れるどころか、かえって目指す。興行的な成功があっての歌舞伎だと、覚悟を決めた発言であるように思われる。
さて、五匹目の泥鰌である。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。