【劇評181】平成歌舞伎の精華。菊五郎の『魚屋宗五郎』に秋風が感じられる。
私が本格的に歌舞伎の劇評に手を染めたのは、もちろん、昭和ではなく平成になってからである。
書き始めた頃は、勘三郎や三津五郎だけではなく、先代芝翫、先代雀右衛門や富十郎も健在であったから、顔見世や襲名で大顔合わせになると、「昭和歌舞伎の残映」という言葉をたびたび使った。
なぜ、こんな話をはじめたかというと十月の国立劇場、第二部の『魚屋宗五郎』は、「昭和歌舞伎」とはいかないが「平成歌舞伎の精華」といいたくなるほどの出来映えであった。
『魚屋宗五郎』は、菊五郎の宗五郎、時蔵のおはまが中心となっている。けれども、宗五郎の酔いが深まっていく過程には、さまざまな段取りがあり、しかもその場にいる役者の受けの芝居が大きくものをいう。
團蔵の太兵衛、権十郎の三吉、梅枝のおなぎが世代は異なるものの菊五郎劇団の伝統を継いで、全体で芯の役者を盛り上げる芝居になっている。
團蔵の太兵衛が、はじめは酒をすすめるが、次第に不安に取り憑かれていく過程がよい。
権十郎の三吉は、菊五郎の宗五郎が座敷を汚さぬように、煙草盆を手早く片づける段取りがまた楽しい。
宗五郎が、酒が零れたといって時蔵のおはま権十郎の三吉がうろたえて、宗五郎から目を離すが、この時代の座敷がどれほど清浄を保っていたかがよくわかる。
世話物は、江戸時代の風俗を今に伝えている。
それは、型や段取りだけではなく、ちょっとしたものいいや所作にも及んでおり、五代目、六代目菊五郎から二代目松緑、当代菊五郎へと脈々と伝えられてきた行儀のよい舞台のありかたが見て取れる。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。