【劇評家の仕事2】長谷部の批評は、歴史性がないエッセイである。
今はもうない雑誌「新劇」に劇評を書き始めました。私は二十五歳でした。また、お話する機会もあるかと思いますが、演劇評論家になろうと思ったのは、中学三年生のころでしたので、十年近い準備期間をへて、ようやくスタートを切れた。感慨深かったのを覚えています。
初期の頃、唐十郎さんや鈴木忠志さんから、過分な褒め言葉をいただきました。一方、同業の先輩達からは、批判を受けたのを思い出します。
いわく、
「なぜ長谷部の劇評には歴史性がないんだ」
「批評としては文学的すぎるのではないか」
「長谷部の劇評は、批評ではなく、エッセイではないか」。
もちろん当時は若かったので、カチンときました。けれども、今思えば、そうした非難があったこと、それ自体はよくわかります。
年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。