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菊之助が大阪で『六歌仙容彩』を踊る。

 『六歌仙容彩』には、思い入れがある。
 今はなき坂東三津五郎の取材を重ねていた頃、『京鹿子娘道成寺』とともに『六歌仙容彩』には、身をいれて話を聞いた。『坂東三津五郎 踊りの愉しみ』(岩波現代文庫)には、そのときの聞書きが収められている。

 三津五郎襲名のときは、この『六歌仙』のなかで、もっとも仁に合っていた『喜撰』を踊った。平成二十一年八月には、この『喜撰』を含む五本の踊りを、ひとりで踊った。

「天保の時代につくられた振りの原型を、そのまま残している変化舞踊ですから、本来これは通して踊ってなんぼのものなんだろうなと思います」と語っていた。

 近年では、三代目猿之助、八代目三津五郎、十八代目勘三郎が、五本の踊りをそれぞれ五人の役者が踊るのではなく、ひとりで通して踊っている。その頻度は、二十年に一度だから、それほど、通しで踊るのは、技倆だけではなく、気力、体力の充実がなければできないとよくわかる。

「『僧正遍照』は、ともかくとして『黒主』が出来るには、やはり相当役者としても成熟していないといけません。では、『黒主』の大きさが出せる人が、『喜撰』を軽く踊れるか。これも至難中の至難です。
 また、業平は二枚目ですし、それも役者の仁として、おかしくないとなると、ますます限られてきます。ですから『六歌仙』は、役者を選ぶものでしょうね」
と、語っている。

 私は、『菊五郎の色気』(文春新書)を書き下ろしていた頃、尾上菊五郎が、『六歌仙』を通して踊ってくれないか。願望のような気持ちを持っていた。結局、この願いは実現しなかったけれども、九月のはじめ大阪の文楽劇場で、菊之助が通しを踊るときいて、何より嬉しくなった。

 『僧正遍照』『文屋』『業平』『喜撰』『黒主小町』で、大きく一段を閉じる。菊之助はすでに『文屋』と『喜撰』を踊っており、国立劇場では『関扉』の黒主を勤めている。

 この変化舞踊は、お染の七役のように、早替りを見せる芝居ではない。踊りの贅沢を一時間余りに凝縮している。高みへのぼりつめようとする菊之助の手腕が、試される機会となる。9月3日(金)~5日(日)、大阪 国立文楽劇場で、「第二十一回 上方花舞台」が開かれる。関西方面の方にとっては、見逃せない舞台となった。

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年々、演劇を観るのが楽しくなってきました。20代から30代のときの感触が戻ってきたようが気がします。これからは、小劇場からミュージカル、歌舞伎まで、ジャンルにこだわらず、よい舞台を紹介していきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。