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長谷部浩のノート お芝居と劇評とその周辺

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2024年8月の記事一覧

野田秀樹は、なぜ唐松富太郎を花火職人としたのか。

  俳優と役柄  やくざと兵隊 日本人の男優は、やくざと兵隊を演じさせるとうまい。そんな警句は今でも流通しているように思う。  日本の映画界は、長くヤクザ映画や戦争映画を量産しつづけてきたから、俳優の思想的な背景とは直接むすびつかないにしても、やくざや兵隊を演じる機会が数多く与えられたのは事実だろう。やくざも兵隊も、その言動は様式に縛られていて、その定式をはずなさければ、「それらしく」見えてしまうこともあったろうと思う。 職人の行動様式  ただし、昨今になってから

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舞台で主演する資質とはなにか。

男優の資質  野田秀樹作・演出の『正三角関係』で、松本潤は、堂々たる厚みで舞台を支配していた。松本には、スターとしての帝王学がそなわっているからだというのでは、理由を解明したことにはならない。まぎれもなく松本は、野田秀樹の舞台の主役ととして、揺るぎなく舞台にいた。  私はかつて友人たちと交わした会話を思い出していた。  昨年の冬だったろうか、気の置けない友人たちと、神保町の新世界飯店で夕食をとった。頭脳明晰なふたりなので、談論風発。話題はあれこれ飛んで、めくるめくような言

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池谷のぶえ藝の冴え

 特異であることが、すなわち自然であること。  あるいは、どこにもいずはずもない人間が、どこかにいるはずの人間に見えてくること。  野田秀樹作・演出の『正三角関係』で、池谷のぶえが演じたウワサスキー夫人は、俳優であることのパラドックスをよく体現していたように思う。おしゃべりで、おせっかいなおばさんと見えたところが、劇が進むにつれて、巨大な陰謀の黒幕のようにも見えてくる。なぜ、こんな謎めいていて、不可思議な存在を演じることができるのだろうか。  東京は千穐楽を迎えたとはい

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8月の東京芸術劇場の豊かさ。劇場の栄枯盛衰について。

  24日の夕方、東京芸術劇場のシアター・ウェストで『天守物語』を観た。開演前、少し時間があったので、イキウメの制作中島さんとB1のピロティですれ違って立ち話をした。少し用があったので、ノダマップの広報伊藤さんに連絡をとって、また、少し話した。  考えてみると、この日は、プレイハウスではノダマップの『正三角関係』、シアター・イーストでは、イキウメの『奇ッ怪』、ウェストではPRAY+篠井英介の『天守物語』が公演中だった。もちろん偶然ではあるけれども、魅力ある公演がひとつの劇場

【劇評348】篠井英介の富姫が『天守物語』をふたたび現代に召喚する。

初演からの歴史  意欲的な快作を観た。  篠井英介の富姫による鏡花の『天守物語』(構成・演出桂佑輔)である。今回は、『超攻撃型〝新派劇〟天守物語』と題している。あえて、〝新派劇〟と名乗ったのには、理由がある。この芝居は、長く舞台にのらず、読む戯曲(レーゼドラマ)と思われてきた。昭和二十六年になって、ようやく新派によって初演されたからだ。このとき、鏡花はこの世から去っていて、初演の舞台を観ていない。  上演年表を辿ると、富姫を演じたのは、初演の花柳章太郎に続いて、六代目

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河合祥一郎訳の『新訳 ドリアン・グレイの肖像』は、クリアな世界を構築する。

 すっかり忘れていたのだけれども、オスカー・ワイルドは、中学生時代に愛読した。今、思えば、ワイルドが好きな中学生などというものは、鼻持ちならないどころか、うさんくさく思える。私が読んだのは、新潮文庫版、福田恆存訳だった。  その後、二○一二年には、光文社の古典新訳文庫から、作家の平野啓一郎訳が出ているが、私はこの訳を読んでいない。  今回、角川文庫から出た『新訳 ドリアン・グレイの肖像』は、シェイクスピア学者として知られた河合祥一郎の訳である。一読して、その訳文は実に平易で

【リファレンス1】イキウメ『奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話』。原典のあれこれ。

  観劇をきっかけに、読書の幅を広げるのは楽しいですね。  イキウメの『奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話』は、八雲の小説を原作としています。  劇場で当日渡される無料のパンフレットには、登場順に「常識」「破られた約束」「茶碗の中」「お貞の話」「宿世の恋」の五編と書かれています。  観劇して、原作に興味を持った方には、上田和夫訳『小泉八雲集』(新潮文庫 昭和五〇年)をお薦めします。近年には、平川祐弘の訳で、河出書房新社から個人完訳が出ています。『骨董・怪談』(二〇一四年)でほぼ

【劇評347】イキウメの『奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話』は、鋭利な刃物のように人間を切り裂く

 白洲を囲むように、主舞台と回廊が囲んでいる。黒い柱が立ちならび、古民家を思わせる佇まいである。砂をしきつめた中庭の上手には、さほど大きくない紅梅があり、下手には洞らしきものがしつらえられている。その間には、中空から絶え間なく一筋の砂が降り注いでいる。  イキウメの『奇ッ怪 小泉八雲から聞いた話』(前川知大作・演出)は、八雲(ラフカディオ・ハーン)の物語を原作に、五編のオムニバスとして前川が仕立て直した快作である。  明治時代に活躍したアイルランド系の作家・新聞記者・随筆家

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【劇評346】勘九郎の『髪結新三』。果敢な挑戦。

型の美しさより、人間の業と考えれば、勘九郎初役の『髪結新三』が、がぜん意味を持ってくる。  私たちの世代には、十七代目勘三郎、十八代目勘三郎の新三が目に残っている。  「上州無宿」を重く見るところから、牢屋にも入った悪党として新三を通すのが、中村屋のやりかたとされるが、十八代目は、必ずしも、悪党一辺倒ではなかった。  忠七の髪をなでつけながら、言葉巧みに駆け落ちを持ちかける件りは、持ち前の愛嬌とともに、廻り髪結の世渡りがありありと描写された。なでつける段取りの巧さに誘われ

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ひとかどの役者と、なりおおせるために かつての納涼歌舞伎を振り返る。その3 『野田版 研辰の討たれ』の頃

 平成十一年に、惜しまれつつ九代目三津五郎が死去した。翌々年の一月には、八十助は十代目を襲名している。この年の凄まじいばかりの快進撃が忘れられない。  納涼歌舞伎では、真山青果の『御浜御殿綱豊卿』の綱豊が、初役でありながら、圧巻ともいえる出来映えであった。  青果の『元禄忠臣蔵』は、武士であろうとすることの義を問いかけるが、三津五郎の綱豊は、将軍であり続けることの虚構を背後に透かし見せる。 突飛な連想ではあるけれども、いつか三津五郎で『仮名手本忠臣蔵』、七段目・祇園一力の

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ひとかどの役者と、なりおおせるために かつての納涼歌舞伎を振り返る。その2 円朝と黙阿弥

 勘三郎と三津五郎が注ぎ込んだ熱は、一年では終わらなかった。  年を追うごとに、納涼歌舞伎の狂言立ては、他の月と一線を画していると明らかになっていく。  三津五郎のことばを借りれば、 「八月は歌舞伎がはじめてのお客さまにも愉しんでいただける出し物を考えるのだという。  愉しんでもらうためには、周到な思案が必要だ。たとえば、第一回目の公演で、上演された『怪談乳房榎』と『豊志賀の死』を思い出す。  東京の八月、猛暑を意識しての怪談話。季節を重んじる歌舞伎の狂言立てを忠実に守

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ひとかどの役者と、なりおおせるために かつての納涼歌舞伎を振り返る。その1 勘三郎と三津五郎の思い出

 かつて、十代目坂東三津五郎と定期的に会う機会があった。単行本の取材のためである。  話は歌舞伎のさまざまな分野に及んだけれど、彼は繰り返し、 「その座にいる人間がどれだけ助け合って盛り上げていくかが、とにかく大事だ」  と語っていた。  芯になる役者が自分の出し物を出す。役者の個人史のなかで、その役を位置付けようとする。それは当然のことではあるけれども、一ヶ月の興行は、芯に立つ役者本位で、出し物をただ並べただけでは成り立たない。 「ちょっと、と思うような役でも付き合わな

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