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長谷部浩のノート お芝居と劇評とその周辺

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2024年1月の記事一覧

【劇評326】序破急急。尾上右近が『京鹿子娘道成寺』を歌舞伎座で堂々、踊り抜いた。

 驚嘆すべき『京鹿子娘道成寺』を観た。  尾上右近の渾身の舞台には、優駿だけが持つ速度感がある。身体のキレ味がある。しかも、下半身を鍛え抜いているために、速いだけではなく、緩やかな所作に移ってもぶれがなく、安定感がある。歌舞伎舞踊の身体をここまで作り上げるには、どれほどの汗が流れたことかと感嘆した。  もっとも、右近の白拍子花子は、この境地に至るまでの労苦を一切見せない。変幻自在な所作事の魅力だけが、舞台に宙づりになった。  詳しく観ていく。  所化の出からはじまって、

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【劇評325】歌舞伎役者の宿命と伝承を思う。初春大歌舞伎。夜の部。

 新年はなにかと慌ただしく、歌舞伎座を見に行くのも遅くなり、劇評も滞ってしまった。お詫びを申し上げます。  夜の部は、『鶴亀』から。こういったご祝儀狂言に理屈はいらない。福助が舞台に立ち続けていること、それを寿ぐ幸四郎、松緑、左近、染五郎の気持ちが伝わってきた。  それにしても、歌舞伎というのは、血縁で結ばれた大家族であることを思う。そして同時に、同じ世代に生まれれば、当然、藝はもちろん人気を競わねばならぬ。幸四郎、松緑は、今歌舞伎の中核にあり、次を担う左近、染五郎の懸命さ

来週の月曜日、野田秀樹について、まとまった講義をします。

 月曜日の講義のために、この数週間、準備を進めてきました。原稿はようやく昨日、ほぼ完成し、今は、Keynoteを使ってプレゼン書類に取り組んでいます。  以前、ウィーン大学で講義したときは、十分な余裕があったのですが、今回は、時間に余裕がないので、映像を埋めこむのはあきらめて、写真とテキストだけのシンプルな書類にしました。  講義のテーマは、『野田秀樹にみる言語と身体』です。  『野田秀樹と蜷川幸雄』にしようかとか、迷うところはあったのですが、結局、長年、その舞台を見続けてい

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【劇評324】三谷幸喜の技が冴えるエンターテインメント『オデッサ』。

 三谷幸喜は「東京サンシャインボーイズ」を率いる劇作家として出発した。新宿東口、紀伊國屋書店にほど近いシアター・トップスを拠点としていた頃のことが忘れられない。  あれから、ずいぶん長い時が経過して、三谷幸喜は大河ドラマの脚本家、映画の監督としての声望を獲得した。  今回、三谷が登場人物が三人だけの台詞劇を書くと聞いて驚いた。代表作のひとつに、1996年には二人芝居として上演された『笑の大学』があるが、その流れをくむ新作が期待されたのである。  期待は裏切られなかった。

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【追悼】近くて遠い人。写真家、篠山紀信の想い出。

 神出鬼没の人だった。  篠山紀信と会った場所を思い出せばきりがない。青山のスタジオはもとより、パリの劇場やレストラン、NYの平成中村座周辺は、偶然なのか必然なのか、ばったり会った。  かといって、親しく話したことは一度もない。 「どうも」といって別れるだけの関係だった。今となっては惜しいような気もするが、この不世出の写真家と何を話せば分からなかった。中村勘三郎や野田秀樹、興味の関心が似ていたこともあって、ばったり会うのは必然だったし、そのことは、きっと紀信さんもわかっ

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【劇評323】色気したたる松也の『魚屋宗五郎』。妹のお蔦はどれだけ殿や岩上を狂わせたのだろう。こんな宗五郎を観たのははじめてです。

 色気があり、キレ味のよい宗五郎を観た。  松也が勤める宗五郎は、単に断酒を破った酒乱の物語ではない。  江戸の庶民として、妹を妾奉公に出さねばならぬほどの窮地から、自分たち一家が救われたことのありがたさ。こうした庶民が強いられた忍耐によって、妹が突然の死を迎えた鬱屈を抑えに抑えている宗五郎の心境がまざまざと伝わってくる。  松也の宗五郎がいいのは、理屈で芝居を運ばず、つねに情を大切にしているところにある。松也の持ち味であるのんしゃらんとした性向を押さえて、しらふの芝居を律

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