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長谷部浩のノート お芝居と劇評とその周辺

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2020年9月の記事一覧

【劇評179】三島由紀夫の情熱と冷血。麻実れいの『班女』をめぐって。

 冷ややかな情熱という言葉がある。  もちろん形容矛盾ではあるが、どうもある階級の人々には、情熱のなかに、度しがたいばかりの冷血が潜んでいるようで、三島文学の主題は、この情熱と冷血をいかに作品に共存させるかに腐心していた。  もっとも、小説よりも戯曲が有利なのは、この情熱と冷血を体現する俳優を配役すれば、おおよその仕事が済む。   それは、少し乱暴に言いかえれば、様式的な演技に終始しつつも、ほの暗い情熱の炎を隠している役者。あるいは、情熱的であることは、観客にとって空疎に

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【劇評178】三島的ではないが、血の通った加藤拓也作・演出の『真夏の死』。

 三島由紀夫については、深い思い入れがある。 もちろん私は小説家としての三島を『花盛りの森』から読み始めた。劇作家としては、なにがもっとも先行していたかは難しいが、おそらくは『サド侯爵夫人』か「近代能楽集」のなかに納められた一幕物だったろう。  今回、三島由紀夫ボツボ五十周年企画として『MISHIMA2020』が、日生劇場で上演された。何分、上演期間が限られているので、『憂国』と『橋づくし』は、見逃した。  今回は『真夏の死』について書く。  私は『三島由紀夫戯曲全集

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【劇評176】緒川たまきのコケットリーと高田聖子の胆力。ケラリーノ・サンドロヴィッチのコメディを観て。

 久し振りにコロナウイルスの脅威を感じることなく舞台に接した。少なくとも、休憩がはさまるまでは、舞台に引き込まれて現実を忘れた。  ケラリーノ・サンドロヴィッチ作・演出の『ケムリ研究室 no1 ベイジルタウンの女神』が、世田谷パブリックシアターで上演されていた。上演期間のほとんどは、客席を半減しての上演だし、劇場入口での検温や手洗い、半券の処理も他の劇場と変わらない。  それにも、かかわらず、劇がはじまったとたんに、私たちは、この架空のベイジルタウンに飛んで、乞食たちの楽

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菊之助は、なぜ、『京鹿子娘道成寺』ではなく『鐘ヶ岬』を名古屋で踊るのだろう。

 『春興鏡獅子』とならんで、『京鹿子娘道成寺』は、音羽屋菊五郎家の表芸である。  玉三郎との『京鹿子娘二人道成寺』で、地芸を培ってから、ひとりで『京鹿子娘道成寺』を出してからの進境は、菊之助が、歌舞伎舞踊の頂点に立つべき役者だと示していた。  今回、名古屋御園座公演で、『京鹿子娘道成寺』ではなく『鐘ヶ岬』を踊ると聞いて、いぶかしく思った。  『京鹿子娘道成寺』には、所化が二十人ほど出演する。道行まで出せば、長唄ばかりか、竹本まで出演となる。コロナの下で、客席数も思うまま

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菊之助は、なぜ 『春興鏡獅子』ではなく、『連獅子』を名古屋で踊るのだろう。

 『連獅子』を見るたびに、思うのは、役者であることの業なのだった。  同じ石橋物でも『春興鏡獅子』は、九代目團十郎と六代目菊五郎が練り上げた品格を感じる。舞踊として自立しているがゆえに、役者と踊りが正面から向かい合っていると感じる。  ところが、『連獅子』は、親と子、師匠と弟子、同門のライバルなど、年齢や技量に差があっても、競い合いの要素が強い。  獅子は生まれた子供を千尋の谷底に突き落とし、這い上がってきた子だけを育てる伝説が曲の骨格になっている。河竹黙阿弥の仕組んだ

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芸術文化振興会と国立劇場は、歌舞伎の現在を強く支援していただきたい。

 松竹が声明を出した。イベント人数の規制緩和が発表されたが、50%を維持するのだという。  「しかしながら、興行再開からまだひと月半あまりの現状を考慮いたしますと、まずは、さらにお客様の安全安心を第一に考え、俳優及び舞台関係者の健康にも万全を期すことを徹底させていただくため、当面の間は、従来の50%の座席使用を維持し、引き続き感染対策を実施して参りたいと思うに至りました。」としている。  慎重に言葉を選んでいるが、重大な感染が起こり、観劇が危険だとの風評が広がれば、壊滅的

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【劇評175】現世の人の身の背後に、亡霊が。玉三郎の『口上 鷺娘』にこぼれる悲しみ。

 一九八六年にアンドルー・ロイド・ウェバーによるミュージカル『オペラ座の怪人』が誕生した。ガストン・ルルーの小説を原作とした舞台は、世界を席巻した。才人、加納幸和は二○○一年に福島三郎との共同台本で、『かぶき座の怪人』という自由な翻案を作り上げたのを思い出す。  この九月、第四部に用意されていたのは、映像×舞踊 特別公演と副題がついた『口上 鷺娘』である。  襲名でも追善でもないから、「口上」は地方巡業でよく行われるようなご当地での挨拶と思っていた。  この予想は見事に裏切

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【劇評174】幸四郎の冷酷と猿之助の妄執。怨嗟にあふれる世界を撃つ舞踊劇「かさね」

 四部制は、間の消毒の時間を考えると、ひとつの部の上演時間に制約がある。また、半通しのような上演形態もむずかしいだろうと思う。  観客の満足度を考えると、ドラマ性のある舞踊劇で、できれば道具の仕込みに手間がかからない狂言がふさわしいという結論に達する。  九月も舞踊劇が『かさね』、『鷺娘』と二本舞踊劇がでたのは、こうした興行の上の都合もあってのことだろう。先月の猿之助、七之助による『吉野山』は、万事が派手で、観客の拍手を集めていた。  さて、第三部は、幸四郎の与右衛門、

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【劇評173】アメリカの六〇年代と現在を結ぶ。深い考えに沈ませるミュージカル『violet』。

 この四月、コロナウィルスの脅威のために、ミュージカル『violet』(ジニーン・テソーリ音楽 ブライアン・クロウリー脚本・歌詞 芝田未希翻訳・訳詞 藤田俊太郎演出)の日本版公演が中止になった。  悲運なと思ったが、まさか半年を待たない九月に、三日間とはいえ公演が実現するとは思ってもみなかった。  制作にあたる梅田芸術劇場の並々ならぬ思いがあってのことだろう。  私はロンドン公演を観ていない。 今回、はじめてみる『violet』は、人間存在の本質に深く踏み込んでいる。  

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【劇評172】新型コロナウィルス下の「対面」上演のむずかしさ。

 九月の歌舞伎座は、四部制の第一部に『対面』がかかった。言わずと知れた曾我狂言の代表的な作品であり、きわめて様式性が強く、歌舞伎座の間口の広い舞台をさまざまな人物が埋め尽くしていく。  芯となるのは、「工藤館」とあるように、座頭役の工藤祐経で、今回は梅玉が勤める。立女形が勤める大磯の虎は、魁春。六代目歌右衛門の手元で育ったふたりが、工藤と大磯の虎かと思うと、ゆかしい心地がする。  この工藤に立ち向かうのは、松緑の五郎時致と錦之助の十郎祐成。  荒事と和事の代表的な役だが、

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【劇評171】吉右衛門、東蔵、雀右衛門、菊之助。「引窓」が照らし出す歌舞伎の未来。

 九月歌舞伎座、久し振りに一級の義太夫狂言を観た。  平成から令和を代表する時代物役者といえば、吉右衛門の名前がまっさきに挙がる。  四部制をとって、歌舞伎座が再開されて二ヶ月。本来は、これまで初代吉右衛門を記念して秀山祭行われていたが、残念ながら変則的な狂言立てとなった。  そのなかで、吉右衛門が満を持して出したのが「引窓」。『双蝶々曲輪日記』のなかでも、親子関係のむずかしさ、なさぬ仲の辛さを描いて普遍性を持つ。  また、明かり取りの窓と、仲秋の名月、放生会の日を描いて

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歌舞伎座の大間(ロビー)で、会話をかわすべきか。それとも…

コロナウィルスの脅威のなか、歌舞伎座が開いてはや一ヶ月。  8月は大きな事故もなく、無事、千穐楽を迎えてなによりめでたく思う。  9月の大歌舞伎は、昨日1日から始まっている。8月と同じ四部制を取る。警戒態勢を緩めることなく、積み上げてきた予防のためのオペレーションで、今月も乗り切っていくことだろう。  観客の方も、さらに気を引き締めなければと思っている。劇場へ行くのが、日常になれば、おのずと緩みも生まれる。現在は、友人、知人と劇場で会っても、立ち話もままならない。ロビー

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