「罪と罰」ドストエフスキー(感想1)読了後に落ちたりする
「罪と罰」フョードル・ドストエフスキー, 亀山郁夫訳
罪と罰の3分の1の分量である『賭博者』を読了できたので、この作品も同じ訳者を選択。
気持ちよく読了できたと思ったら、無意識にシンクロしてしまい謎に気持ちが落ちました。読書による影響力を実感...
この作品は読了後に色々と書きたいことが出てくるようなので(感想1)としてみました。(不意にどろりと出てくる)
以下、Twitterに書いたことを1巻から3巻読了時に書いたことの振り返り+書き足し。
★罪と罰1読了(2021/5/19)
主役ラスコーリニコフの生命力(HP&MP的な)の増減幅がすごい。
特に印象に残ったシーン6箇所。
・馬車に轢かれそうになったあとネヴァ川での回想と絶望↓
・ドゥクリーダに金を渡した後の水晶宮までの道のりでの光明的な考え↑
・水晶宮でのザメートフとの会話↑
・橋の上で景色と重なった脳内幻影と諦念→
・馬車事故後のフォミーチ署長との会話↑
・ラズヒーミンの新しい家に向かうまでの復活めいた感じ↑
★罪と罰2読了(2021/7/26)
1読了から2ヶ月経ってしまったが読み始めたら止まらず一気に読了。
_φ(・_・
・殺害の動機とも取れるような犯罪の論文が露見。ラスコーリニコフはその自分の論文が公開されていることを認識していなかった
・ゴーゴリの引用がポルフィーリーから2度
★罪と罰3読了(2021/8/12)
読み終わった!やっとこの本関連の書評や考察が読める。
ラスコーリニコフが最後に得たものは雨樋さえも穿たれた結果だったのか、そんなものは超越したものだったのか。
スヴィドリガイロフ、ポルフィーリーが興味深かった。
スヴィドリガイロフが最後まで持っていったものを闇とするなら、ソーニャが最初から持っていてラスコーリニコフが最後に得たと思われるものは愛(=光)。
スヴィドリガイロフ 闇→闇
ポルフィーリー 光闇→光闇
ソーニャ 光→光
ラスコーリニコフ 闇→光
というイメージ。
ポルフィーリーだけはどちらも知ってはいるがというスタンスか…
読中、読了後に考えたくなる作品というのはいいですね。他の方の訳も読んでみたいし、まずはカラマーゾフの兄弟に辿り着きたいところです。
★読了後の副作用
読了から半日、闇に頭を突っ込み彷徨っているような気分になる。
なぜこんな気分なのかといろいろと考えてみたら『罪と罰』の副作用なのだと判明。
ラスコーリニコフが書いた論文の内容(選民主義的思想)がリフレインし、擬似的な落ち込みを自分のものに転化してしまった。
この時期ちょうどメンタリストさんの炎上があり、いつもはこういう系は気にせず流せるのに言葉だけがシンクロしてしまった感じ。
本と現実の少しの符合で簡単にスイッチすることを知った……→BRUTUS2020年1/1・15合併号のテーマ「危険な読書」という表紙が頭をよぎりまくりました。