『劇場版ポケットモンスター セレビィ 時を超えた遭遇』感想 若きオーキド博士との邂逅 要素要素は興味深いが話は…
◆セレビィ
『劇場版ポケットモンスター セレビィ 時を超えた遭遇(であい)』は2000年7月8日に上映されたポケモン映画第4弾。
ゲームボーイアドバンスが発売された2001年。
プラットフォームをそちらへ移した新作が待ち焦がれるも、第二世代となる金銀の幻のポケモン・セレビィがいよいよビッグスクリーンにやってきた。今作のキャッチコピーは「こんなポケモンに逢ってみたかった。」というまたまた大胆なものである。
正直ぼくの中ではあまり記憶に残っていなかった。
今でもいの一番に思い出せるのがセレビィが衰弱死寸前なエグさくらいで、我ながら変なところを挙げているが、そこは軽くトラウマになっていた。なにせアニポケでは数少ない死に絡む描写だ。結局のところ復活を果たしたとはいえ、初見時はあまりにも生々しく描かれていてショッキングだった。実のところ検索をかけてみたらしわしわセレビィにトラウマになった人は少なくなかった。しわしわピカチュウはあんなにかわいいのに。
というわけで、一度見たはずなのに内容は覚えていない。けれど数年ぶりの視聴ってことで白紙同然で見てみたのだが…そうなるのも腑に落ちるお話だった。これまでの三作とは打って変わって、園田英樹氏による単独脚本の影響もあるかもしれない。(過去三作は首藤剛志氏との共同脚本)
◆オーキド・ユキナリ
作中では明言されていないが、セレビィの時渡りによって40年前の世界からやってきた本作のゲストキャラ・ユキナリはオーキド博士の若い頃の姿である。いちおう本編ではEDにてケンジがオーキド研究所の資料整理中に、ユキナリが持っていたものらしき古びたノートが見られている。
小説版では「オーキド・ユキナリ」とハッキリ表記されているとのことで確定なようだが、このアニメ劇場版では気づいた人だけニヤリとさせられる、仄かに匂わせる程度で大正解だろう。主張しすぎないほうがかえって後味が良い。
ぼくは初見時は全然気づかず、数年後に「えっ!?オーキド博士だったの!?ウソッキーじゃないだろうな?」とぶったまげていたクチである。あまりにも同一人物とは思えない、信じがたくてもいいだろう。
だって40年前だよ?サトシは確か10さいなので同年代と仮定すると、オーキド博士は50代になるじゃん。いくらなんでも老けすぎじゃねえか!?キクコも同年代にしてはババア同然だったし。まあその辺のガバはあまり気にしないようにしよう。
そんな前知識を持って視聴すると色々ニヤニヤ要素がある。
サトシとはお互い気づかずに時を超えた交流をしていると改めてすごいことをやっているなあと思うし、手持ちポケモンがリザードという御三家の一匹なのは名残があるなあと思う。オーキド博士にもこういった時代があったんだ。
ぼんぐりの面識がまだ見られている旧式のモンスターボールも興味深かった。設定資料によるとレトロボールと呼称されているとのことで、アニメ本編にも200年以上前のモンボとして登場したようだ。
今となってはやはり『Pokémon LEGENDS アルセウス』のぼんぐりとたまいしを使用して作られたモンボを彷彿せざるを得なかった。ヒスイ地方は詳細な時代設定は不明だが、明治~大正時代をモデルにしていると考えられるので100年前にいくかどうかか。本作に登場したレトロボールはヒスイボールと比較すると科学の進歩が地味に伺える。
◆キョダイマックスセレビィ
本作のヴィラン・ビシャスが使うダークボール。
他人のポケモンを強奪して凶悪な性格に変えてしまう、極悪非道なロケット団に相応しい尊厳破壊兵器だ。ポケカの「わるいポケモン」はこうして生み出されたのではないかとも考えられる。
標的はセレビィにも向けられる。
序盤では幻のポケモンにしてはそこまで強そうに見えなかったセレビィだが、真の力を発揮させるとあらゆる自然を取り込んだ巨大クリーチャーへと変貌する。最初は使徒を彷彿とさせる、球体にトゲトゲが付いたものとして登場したが、巨大なドラゴンのような形態にもなる。勿論ビームも撃てる。
キョダイマックスじゃんこれ!!
と今となってはそんなふうにポケモン脳を加速させるしかなかった。マックスレイドバトルやれそう。作中ではこの形態のセレビィを直接叩いたわけではないのだが…サトシとユキナリの説得で正気を取り戻したのはベタかつあっけなさは否めなかったな。
◆お話としては微妙
正直話は微妙だった。一長一短なつくりだった。
上述した通りユキナリの設定は非常に興味深いし、作画は綺麗だし、セレビィとの交流・友情の深め方も極めて丁寧である。
もっと言うなら、前半は楽しめていたが、勧善懲悪ものと化した後半で落ちてしまった。前三作品が良い出来だっただけに、無難なつくりで見ごたえがなかった。故にあまり記憶になかったのかもしれない。
勧善懲悪ものを否定するつもりではない。過去三作より分かりやすい、王道なつくりだ。
悪役のビシャスにさえ魅力かつ倒し甲斐がある奴であれば見ごたえがあるし、印象も変わっていく。が、残念ながらそうはならなかった。これについては後述にて。
テーマは環境破壊のようだが、それがあまり刺さらなかった。
というか今回改めて視聴している最中は「これテーマなんだろう…?」「環境破壊…?」といまいち自信がなくて実際その通りだったのだが、ううんそんなにメッセージ性が強いものではなかったというのかなあ。
森の神であるセレビィが悪い人間の手によって自然を破壊させられる皮肉な結果ではあるが、正直「で?」って感想である。悪人がこんなめちゃくちゃにすることは当たり前だし、利用されたのがセレビィなのは悲しくはあるのだが…
幼少期に見た前作『結晶塔の帝王ENTEI』は「親子愛」という分かりやすいテーマですぐに理解できたが、本作のテーマはそこまでストレートではない気がする。あまり思想が激しすぎると「いやポケモンでやるなや」と反論したくなるクチだが。
◆悪役ビシャスの小物臭さ
何が微妙だったかというと、悪役ビシャスの小物臭さだった。
彼を演じるのは俳優である佐野史郎さん(当時46歳)で、声優にはない、俳優だからこそできる非情で冷徹な演技が魅力かつ好印象だった。昔見たときは本来有るべき姿のロケット団らしい悪役だった記憶があったのだが…数年ぶりに見てみると、これがとんだがっかりキャラだった。
極悪非道なヴィランキャラなのは事実である。
なにせ劇場版ポケモンにおいて初の絶対悪である。ミュウツーやエンテイとは和解したし、ジラルダンは私欲で動くはた迷惑な奴だがそこまで悪ではない。わかりやすい悪役の投入自体は別に良い。十分なヘイトタイクになっている。だが世界を支配すると言いながら具体的に何がしたいのかスケールが見えてこない薄いキャラだった。
ポケモンに濃い悪役なんて求める人はそういないと思う。
だけどビシャスは言動からして小物臭さが半端なくてしょうもないんだよな…最後はポケモンたちに囲まれ追い詰められればヘタレチキンキャラ化していたので小物なのはしっくりきた。だけど設定上では最高幹部の一人だったはずでは???そこもガッカリの起因なんだよな…
まあダークボールがチート性能なので、それを開発した実績もあるかもしれないが…あのバンギラスはハンターから奪ったものだし。他人の褌を利用しているのは小物らしくある。
最後素顔が明かされ、軽くギャグっぽい結末を迎えていたのも微妙。子供向けのアニメだから別に相当の罪を償えとは求めないのだが、ちょっと茶化してしまったきらいがある。森に大迷惑をかけた上に、セレビィを殺しかけたからなあ。ギリギリエグくならない程度の生死不明でも良かったのではないだろうか?例えば遥か遠い過去未来へ飛ばされる結末とか。
あっ、でもセレビィ復活後に湖へ潜伏して奇襲してきたしぶとさは大好きです。あっさりサトシに阻止されたとはいえ、「ハッピーエンドは安易に迎えさせねーよ!」という不意打ちを喰らったので。なんだかなあ…ってなりながら見ていたらそこで目が覚めたまでもある。
◆セレビィ復活展開
しおしおになるほど死にかけていたセレビィの復活展開自体は予定調和である。すごい数のセレビィが集まってきている謎展開突入でよくわからないが彼らのおかげでセレビィが復活していたのは「なにこれ?」「こいつらなんなの?」「ご都合主義なスピリチュアル展開だなあ…」と全然乗り切れなかった。後半の展開の面白くなさに拍車を上げている。
ただ復活までの溜め方はすごく良かった。
スイクンが水を綺麗に浄化しても、サトシが木の実を何粒も口に入れようとしても、野生のポケモンたちが憂いても、セレビィは生き返ることはない。「えっ、これマジで死んだんじゃ…」と諦念を煽るマジ感がすごかった。それだけに「アッハイやっぱり復活するんですね」と復活自体には喜べない感じ。いやそこは素直に喜ぶべきなんだろうけどさ。
死を重く描いてからの復活が軽視されている釣り合いの無さが引っかかる理由だろうか。逆に言えば死の描写をやりすぎた諸刃の剣か。もう23年前の映画なんだし、いまさらあーだこーだ言えないけどさ。
こんなことを書くのはスゴイシツレイなのを承知の上なのだが、正直セレビィにそこまで魅力を感じられなかった。元より思い入れがなかったのもあるのだが、それは変わらず。本作を見ていてどのみち本作の騒動を巻き起こす引き金にしてヒロインでありながら「この子を助けなくちゃ」という気にはなれなかったなあ。キャッチコピーの「こんなポケモンに逢ってみたかった。」は共感しがたい。ぼくはピィと逢いたいな。
あとそんなにセレビィはかわいいとは思えなかったです。好きな人はゴメンナサイ。
◆その他余談
予告編ではこういったナレーションがあったそうだ。
種族値を見て揚げ足取りしたくなってしまうが、こういう公式の対立煽りはあまりやらないほうがいい気がする。そもそもセレビィがイベント配布などでゲッツできるようになった公開当時は「◆こいつはミュウツーより強い…!?」みたいな煽りをされても微妙なような。でもキョダイマックスセレビィとミュウツーはどちらが強いのか見てみたくある。
スイクンの印象がイマイチ薄い。
あくまで主役はセレビィとはいえ、本映画で特に貢献していたかと言われると微妙過ぎる存在になってしまった。水を綺麗に浄化しても意味がなかったのは「これで復活だとあっさりすぎじゃね?」「復活しねーのかよ!スイクン大したことねーな!」がせめぎ合っている。
同時上映『ピカチュウのドキドキかくれんぼ』には『ルビー・サファイア』より新登場となるホエルコ、カクレオン、ルリリが参戦していた。ルビサファ発売一年前から新ポケ顔出しとか期待を膨らませていたんだなあ。まあ金銀も発売一年前からホウオウやトゲピー等多く公開されていたが。