「200字の書評」(303) 2021.9.25
こんにちは。
今朝の散歩は長袖でも涼しく感じました。昨日の日中とは空気がすっかり入れ替わったような感じがします。一日一日、冬に近づいていくのですね。
満月が重なった十五夜の夜には無粋な雲が空を覆ってしまいました。古の人もこよなく月を愛していたようです。
百人一首にこんな句がありました。影のさやけさなどと、なかなか表現できません風流ですね。
さて、今回の書評は昨今の無粋で風流とは無縁な、地上の風潮への警鐘です。
集英社新書編集部編「「自由」の危機――息苦しさの正体」集英社新書 2021年
作家の村山由佳は「水はいきなり煮え湯にならない。どこかの時点で火を消し止めることはできなかったのものか」と静かに迫りくる自由への圧迫に危惧を漏らす。3分野26人の識者が約400頁にわたって、それぞれの視点と表現法で暗雲垂れ込める現代への異議を唱える。強権的手法と巧みな言論操作によって一方向に思考が誘導され、メディアも学界も風に靡く。国民も権利としての自由権に無頓着だとしたら、恐ろしいことだ。
【長月雑感】
▼ お彼岸です。暑さ寒さも何とやらと言いますが、上着を羽織るような日が続いたり、突然真夏日になったりとこの国の精神の移ろいやすさを映し出すような秋です。稲の刈り入れは順調に見受けられる一方では、野菜類が日照不足で不作になり値段高騰、家計に響きます。コロナ禍は先祖を供養するお盆、彼岸のお参りさえ不自由にしています。私もここ2年郷里の墓参りができず、気にかかっています。彼岸はあちらの世界のこと。此岸はこちら側、逝った人々への想いを大切にしたいものです。
▼ コロナと言えば、感染者数が急速に低下しています。ワクチン接種の成果とか、他に原因があるのか取りざたされています。感染者数の減少は嬉しいことです。でも疑念が一つ、天邪鬼の愚考です。自民党総裁選が佳境に入り四候補(いずれもアベスカ政権を支えた面々です)が入り乱れ、メディアが微に入り細をうがって伝えています。目前の総選挙では自公政権の苦戦が噂されていましたが、自民党お得意の疑似政権交代劇により、野党の影は薄くなっています。それと軌を一にするかの如く感染者数の急降下、何か操作があるのでは?と勘繰りたくなります。果たして真相は。
<今週の本棚>
藤澤周「世阿弥最後の花」河出書房新社 2021年
足利幕府六代将軍義教の勘気を蒙り佐渡に流された能の大成者世阿弥。配所での人々との交流、夭折した息子との心の対話、承久の乱に敗れ流人となり憤死した順徳院の怨、都への想いなど老翁の胸に去来するものが、やがて能そのものに憑依し心に平安が兆し、無為の境地に達する。そこへ届くのは…。
30年ほど前、富士見市勤務時、同年代の管理職仲間との読書会で「風姿花伝」を読みました。職員自主研修補助を頂いていたので、市への報告書を私が書きました。世阿弥の言う「時分の花」と「まことの花」に感得するところがあり、その意味を含めて書いたような記憶があります。藤沢は随所に歌人の句と謡いをはさみ、世阿弥の心の揺らぎとやがて能の神髄に迫り霊威と一体化する流れに導いてくれる。最後のページを閉じて、昔の自分の読みの浅さを嘆く。また「風姿花伝」を開いてみよう。
季節の変わり目は心身に不調をもたらす傾きがあります。どうぞご自愛ください。