自我ってないの?
どうやらこの世界に「自我」はないらしい。
この自分だと思っているもの。理論上1秒後には姿形を変えるのはわかる。細胞は生まれ変わっているから。
これを正確に捉えようとすると果たしてこの自分がなんなのかわからなくなる。
という意味でいうと、自我ってないの?と思う。
お釈迦さまの毎回の説法を楽しみに、多くの大衆が今回も固唾をのんで待っていた。
しかしお釈迦さまは須弥壇に登って何も言わずに降りてきてしまった。
それを納得できたものはいなかった。
お釈迦さまが登って降りてくるだけ。
そこで何か話せば、ふむふむ、おやおやと納得するものもいただろう。
しかしそうしなかった。
そう。これこそまさに本当の「説法」だったのだ。
真実には個人の納得がない。つまり自我がないのだ。
いつだって自分を苦しませているのは「自分」。
そしてそこにおいては自分が作り出したまやかしに過ぎないかもしれないのだ。
よくよく考えてみると確かにそうかもしれない。
今、おにぎりについて考えろ!といったとき、あなたの頭にはおそらくおにぎりが浮かんだはず。
この思考一つとっても実は他によって生み出されている可能性がある。
思考だけじゃない。この呼吸も食事も、全て他の恵みによって生まれたもの。
つまり自分は他によってできており、自分とは他なのだ。
結論:
世界にはそもそも「自我」はなかったという話。
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