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お正月の「お餅」。「矛盾」は大切な仏道修行。

「矛盾」を辞書で引くと、前に言ったことと、後に言ったこととが一致しないこと。一般に、理屈として二つの事柄のつじつまが合わないこと。とあります。

矛盾って嫌ですよね。

会社で資料を作成していて、その部分矛盾していない?とか指摘されることがあったり、会議における発言とかでも「それさっき言ったことと矛盾していない?」とか言われたりすると、ハッとするわけです。
その矛盾に気づけなかった自分に嫌気がさすし、周りに対しても申し訳ない気持ちが出てきます。

この矛盾は夏場のゴキブリの如く、少しでも頭を出そうものなら、皆によってたかって叩かれるような非常に嘆かわしい存在です。

決してあってはならないもの、これが「矛盾」です。

会社における業務や公の発信の場であればなおさらタブーです。

なぜなら、その矛盾というのは決してあってはならない法則において成り立っているものだからです。

つまりその発言や資料といった完成物は嘘偽りであって、フィクションだからです。

議論の余地もない。資料の閲覧や会話の場であればそれに費やした時間はすべて無駄になってしまう。とにかく嫌われる存在です。

これが矛盾です。決して人間生活ではあってはならないもの、認めてはいけないもの。これが矛盾のわけです。

ところで私の父(師匠)がよく言う言葉に「仏法と食事に関しては決して遠慮してはいけない」というものがあります。

これはこの前お正月で帰省した際の話なのですが、お正月の時分だったということで、お餅が食卓に並んだんですね。

そのお餅は市内でも有名なお米やさんが毎年正月に特別に作ってくださるもので、毎回大人気で行列ができるほど美味しいお餅です。

それを当寺でも毎年予約して、お正月はそれを楽しみにして、いただくんですね。

つきたては愚か、何日経っても柔らかくてモチモチした食感が失われないんです。

味も実に美味しい。

これは行列して買う価値はあるなと、心底思われます。

そんなお餅が食卓に並び、私は例の如く師匠に言われた通り遠慮せず何個もそのお餅を食べていたんです。

ざっと8個くらいは食べたかな。

そしたら師匠が「少しは遠慮しろ!俺だって大好きなのにまだ2個しか食べてないんだぞ!」と言ったんです。

「えーっ!?」て思うわけですよね。

師匠に日頃から言われていた通り、遠慮せずに食べていたのにそう突っ込まれたわけですから。

そんなことがこのお正月にあったわけですが、これだけに限らず師匠は普段から非常にそのような発言が多いんです。

この前はこういってたのに、今度はその逆のことを普通に言ったりする。

まさに今回でいうところの「矛盾」です。

また「禅問答」という言葉を聞いたことがありますでしょうか?

これは我々修行僧を真実の道に導くためにあり、この禅問答に親しむことによって、例えば真実と概念はなんの関係もないといった宇宙の真理に気づくことができるなど、これまでもこれからも大切な仏道修行として捉えられております。

宇宙の真理に気づかさせる。そんな大義名分を背負わされた禅問答ですから、この禅問答にはメチャクチャな内容が多いです。

到底我々の認識が追いつかないものだったり、我々の認識とは反する真逆の捉え方をあえてしたり、普通はこうだろ!と思うことも、そのまったく逆のことをあえて「正」とすることがあるなど、厄介な一面もあります。

まぁこれも1つの修行なので大変なのは仕方ないといえばそうなのですが。

実に今回の「矛盾」と似ているんです。この禅問答というのは。

この「禅問答」のせいで自信をなくす修行僧も中にはいたりして、案外厄介な存在です。

しかしその禅問答や今回で言うところの「矛盾」こそ、もしかしたら大自然のあり方なのかなと思ったりしたというのが今回言いたいところなんです。

というのも先ほどもお伝えしたとおり、宇宙の真実って我々の個人の価値観では決して収まりきらないものだからですね。

宇宙の真実と人間の考えは交わっていないのです。

それを気づかせてくれる大切な存在でもあるわけですね。

そこでいうと、矛盾こそが真実で、大自然の在り方なのかなと思ったりするんです。

もちろん「矛盾」も一種の捉え方で人間の価値観です。しかしそのアプローチ方法というか、辻褄が合わないという気づきを与えてくれる貴重な現場ではないかなと思っています。

大自然は人間の価値観とは関係がありません。つまり辻褄が合わないんです。

そういった大自然のもと我々は常に生かされているわけです。その真理に気付かさせてくれる「矛盾」も禅問答よろしく、非常に尊い体験なのではないかなと思ったのです。

もちろんこの矛盾というのも人間のモノづくりの過程、概念遊びの延長で成り立っており、もとより大自然のあり方とは一歳関係のないものです。

しかし辻褄が合わない、このようなやりきれない思いにさせてくれる非常に良い経験です。

普段何かと出くわす機会の多い「矛盾」。

これも1つ大切な仏道修行なのではないかと。

今回師匠とお餅を食べていて、感じたのです。

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