#9 少年期編 〜水泳嫌い継続中〜
人の体は泳げるようにできていない。
というのが、小学生から大人になった今も私がもち続けている持論だ。
誤解しないでいただきたいのは、水泳が好きな人や得意な人に対して、私はものすごく尊敬している。
学校で、素早くクロールや平泳ぎなんかを泳げる友達を見たら
「あんなに水の中を早く進めるなんて、すごいな。前世は魚なんじゃないか。」
などと、聞こえようによっては失礼なことを考えていたし、テレビでイアン・ソープや北島康介の泳ぎを見た時は、
「こりゃ人類は魚を超えたかもしれない」
と、これまた的外れな感想を抱いていた。
基本的に泳げる人は全て私にとってすごい人なのだ。それほどまでに私自身は泳ぐことが苦手なのだ。
小学校では「泳ぐの苦手だなあ」となんとなく考えていた。
泳げない人のみが集められ、もはや水に入れてもらえず、プールサイドで浮くコツや、足の動かし方を教わっている時でも、
「冷えた体にゃ太陽の光は最高だね。みんなには悪いけど、南国にいるような気分だよ。」
と、実は“まな板の上の鯉“ならぬ、“プールサイドの上の春先“状態だったので、はたから見ればだいぶ滑稽な姿だったはずだが、当時の私は根拠のない優越感に浸っていたのだ。
しかし、これが中学校になるといよいよ「あれ?私は人類で本当に泳げない、ごく少数の方なんじゃないか。」と、だいぶ遅い危機感をもち始めた。
まず、浮くところからして他の人と違うのだ。
友人は、綺麗に一直線に体が伸びており、それでいて沈んでいない。それなのに私は背中から腰、足にかけて徐々に沈んでいくのだ。よくあるドラマの水死体のようだと言えば分かるだろうか。
これはもう、なりふり構っていられない。教えを請うしかない、と友人に
「頼む、浮き方を教えて!」
とお願いすると、
「え…なんで沈むの?力を入れずに水の中に入ってみてよ。」
割と本気のトーンで言われてまあ、凹むのだ。
それでも教えてくれるだけありがたいものだろう。そこで、友人に言われた通り力を抜くのだが、一向に腰と足が上がらない…なぜ?
「うーん、普通力を抜けば浮くはずだけど…。じゃあ少しだけ腰と足に力を入れてみたら?」
なるほど逆転の発想というやつか、なかなかやるな友人。と、予想していなかったアドバイスに驚きつつやってみる。
するとなんてことだろう。全身が沈むのだ。まあ、少し考えればそれは当たり前なのだが。
逆転の発想どころか、逆に沈んでいるじゃないかと友人に顔を向けると、あろうことか彼は爆笑しているのである。こんちくしょー。
「ごめんごめん、そりゃそうだよね。筋肉がある人って、沈むらしいからそのせいなんじゃない?」
ごめんじゃないよとも思うのだが、教えてくれているのは完全な厚意なので、なんとも言えない。
こうして友人は笑いつつ、よくわからない筋肉を根拠に、私の浮かない問題を片付けてしまったのである。
そんな私が、まともにクロールも平泳ぎもできるわけがなく、中学生の間に泳ぎが上達することは、ほとんどなかった。
最終的に、体育の先生からは
「お前が泳いでいる時は、泳いでいるのか溺れているのかわからないから不安になる。」
と言われてしまい、トホホとなるのだ。
こっちだって好きに沈んでいるわけではない。海の中でだって、好きに沈んでるのは、チンアナゴとかそういうのくらいだ。
この時ばかりは、寝ながら泳ぐことができるというマグロを、恨めしく思うのだった。
そんな私は今でも、ろくに泳ぐことができない。
でもそれで不便を感じたことはないし、泳がなければ良いのだ。
映画「ジョーズ」のように、もし海でサメに襲われたら最後の最後まで私は必死に足掻いて船にしがみつく。
それでも限界がきて、海に落ちることがあるなら、奥義“死んだふり”でなんとか見逃してもらえることをひたすら祈るのだ。
幸い私は、水死体のふりは友人からもお墨付きをもらえたので、きっと大丈夫だろうと信じたい。
季節違いだがそんなありし日の思い出が、今日のお昼にマグロを食べて蘇ってきたのだった。
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