丹波国桑田郡の先史・古代を求めて
きっかけ:
2024年 2月下旬に ガレリアかめおか で開催された埋蔵文化財セミナー「群集墳の成立とその背景」を聴講した。
この地域は、古くは丹波国桑田郡と呼ばれていたそうで、今の亀岡、京北、美山などの地域がそれに当たり、知らなかったのだが、中でも亀岡には多くの古墳や遺跡があるらしい。
先史・古代を知るには、先ずは日本書紀と古事記に何が書かれているか知ることから始めてみようと思い、数か月前から両書を少しずつ読み進め、内容を比較しながら要点を書き出すことを日課にしている。
そのスプレッドシートを「丹波」や「桑田」で文字検索すると数か所でヒットすることから、「丹波」はもとより「桑田」も古くから使われている名称でありそう。
亀岡、京北、美山は、バイクや車、時には自転車で訪れるお気に入りの地域でもあり、そんなこんなで、丹波国桑田郡の先史・古代について知りたいと思うようになった。
そんな折、先日美山を訪れた際に、ふれあい広場にあるビジターセンターに初めて入ってみた。売店をうろうろしていると「美山伝承の旅」と題した薄い冊子が目に留まった。帯で閉じられているため中を読むことはできなかったが、何故か興味が惹かれ、すぐにレジに持って行き支払いを済ませた。
そのあと鶴ヶ岡のお店で昼食の際に、パラパラとページをめくり目を通していると、中世以降の説話が多いが、允恭天皇期の説話や、当地の地名由来がいくつか載っていて、説話や伝承の視点から先史・古代の一端を探ることも面白いかも..と思い始めた。
丹波国桑田郡の先史・古代を知ることの取っ掛かりとして、先ずは同地域内にある博物館を見学し、何か感じるものはないか探ってみようと思い、南丹市文化博物館、亀岡市文化資料館、京都市京北文化遺産センターを訪ねてみることにした。
南丹市文化博物館:
南丹市文化博物館は元々園部町の博物館だったようで、園部地域の展示が中心の感じ。常設展示図録の表紙も「園部文化博物館」になっていた。
展示室を進んで行くと南丹市に所在する遺跡が大きなパネルにマップ表示されていた。パネル下部の園部地域には多くの遺跡マークが見えるが、パネル上部の美山地域にはひとつだけマークされている。小さな文字で見え辛かったが、メガネをちょっと上にずらし目を細めてなんとか遺跡名を控えておいた。
帰宅後に調べてみると、控えた遺跡名(多国山古墳群)は亀岡に所在するもので、見間違いをしていたみたい..残念^^
同博物館の 1階は南丹市中央図書館になっており、せっかくなので寄ってみることにした。
郷土関係の本棚を物色していると、丹波の地名由来に関する本があった。それによると「桑田」の由来は、クハハタ(桑畑)や、田畑を起こす鍬(クハ)を起源とする伝説があるらしい。館員の方に該当ページのコピーを取ってもらい持ち帰った。
亀岡市文化資料館:
亀岡市文化資料館には、周辺地域の郷土史や説話本など関連図書が多数あり、本棚を端から順に見ていると立派な装丁の「美山町誌」上下巻が目に留まった。
下巻に目を通していると、上平屋から出土した弥生期の磨製石斧についての記述があった。それ以外では、r38 沿いをかやぶきの里方面に向かう途中に古墳らしきものがあるが、確認はされていない、との記述もある。
同誌執筆者は、美山地域ではこれまで遺跡の発掘はされていないが、発見されていないからといって人の生活がなかったとは言えない、との主旨を述べており、自分も全くその通りのように思う。
きっとまだ知られていない先史・古代の痕跡がたくさん眠っているような気がしてならないが、その一方で、遺跡の発見・発掘と地域の土地開発は表裏一体の面もあるため、同町の豊かな自然が壊されることなくいつまでもそのままで在り続けて欲しいと切に願うばかり。
京都市京北文化遺産センター:
京都市京北文化遺産センターは、地域住民の働きかけにより、廃校になった小学校舎を利用して令和 4年 10月に開設されたとのことで、ここで元教師をされていたというスタッフの方がガイドしてくださった。
展示室の京北地域のパネルを見て、周辺にはたくさんの古墳や遺跡があることを初めて知った。この辺りはバイクでよく走っているがこれまで気付いてこなかった..
その中のひとつ、愛宕山古墳は、当時校外授業で担任していた生徒が銅鏡の破片をたまたま見つけ、それが古墳発見のきっかけになったとのこと。
その他にも、山国地区は平安時代から禁裏御料地で都への木材供給地だったこと、幕末動乱期には山国隊として鳥羽・伏見の戦いに参加したことなどについて詳しく解説してくださった。
展示室の奥半分にある本棚の間を、何を見るとはなくうろうろしていると「丹波」という小冊子が目に付いた。ページをめくっていると古くから人の往来がある峠道のことや、中世の川勝氏に関する記事が掲載されている。
若狭から都に通じる街道として今の R367 が、いわゆる鯖街道として有名だが、若狭から丹波への峠道は古来よりいくつかあり、美山は丹波側の要衝地だったとのこと。
若狭側の名田庄から堀越峠を越え美山に下る道(今の R162)もそのひとつで、高浜街道と呼ばれたそう。そして時代は下って昭和50年に今の堀越トンネルが開通したらしい。
「道」という視点から先史・古代を探るのも面白いかもしれない。
また、美山町内の狭い範囲に集中して、殿城、今宮城、島城、松尾城など、中世の山城跡がいくつかあり、その多くを川勝氏が築いたらしい。
何か理由があってそこに山城を築いたのだろうが、ひょっとしたら古墳期初頭の高地性集落の跡地を利用して築いたところもあるのかも..と、つい先日聴講した ”弥生系高地性集落” セミナーのことを思い出しながら妄想したりもした(千年以上の時の隔たりはあるが)^^
さて、これからどうしよう:
地域密着の博物館ならではの見聞もできて、なかなか面白い博物館巡りになった。
博物館巡りと並行して、奈良文化財研究所の「全国遺跡報告総覧」サイトで美山の遺跡資料を検索してみたが、該当する資料はなさそう..
「京都府・市町村共同 統合型地図情報システム」サイトを見つけ、遺跡マップを検索すると、亀岡市、南丹市の遺跡分布図が表示できた。
ここでも美山地域には上述した中世の城跡は表示されるものの、先史・古代の遺跡は上平屋地区に弥生期のものがマークされるだけだった。
これらのことから、亀岡地域と京北地域には、古墳や遺跡が多くある一方、美山地域には先史・古代の遺跡はほぼ見つかっていないと言えそう。
参考までに「国立公文書館デジタルアーカイブ」サイトで丹波の国絵図を参照すると、元禄国絵図(1696年)や天保国絵図(1835年)が作成された当時からこの地域には多くの村々が隣接し、今も残る地名のあることが見て取れる。
このようなことから、当面は美山地域を中心に、説話や郷土史を含めた先史・古代の痕跡探しを楽しんでみようと思う。
美山には、文字通り美しい里山の、四季折々の風景が好きで一年を通して何度か訪れている。r19 を北上し、神楽坂トンネルを抜けたところから始まる山あいの穏やかな田園風景の中を運転していると、何かしらホッとした気分になってくる。
また、自転車でのんびり走っていると、田の畔や川辺の土手はキレイに手入れされ、山あいの裾野や川沿いの開けたところに点在する集落には、茅葺屋根やその形を残した住居がいくつもあることに気付く。
地形をうまく利用しながら古くからの人の営みが連綿と続いていることを目で感じることができるが、ひょっとしたらその近くに先史・古代の痕跡が眠っているかも..と妄想もしながら巡ることにして、美山を訪れる楽しみがまたひとつ増えそう^^
とりあえず、自分の老頭を一旦整理整頓するためにこれを記録しておく次第。
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