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「旧石器・縄文・弥生・古墳」時代の呼称についての一考

ここのところ考古学関係の博物館見学をすることに凝っていて、あちらこちらの博物館で素人目で展示物を見ていて思うことは、「旧石器」「縄文」「弥生」「古墳」という呼称で時代を区分するのは少々無理があるのではないか、ということである。

例えば、博物館でずらり並んだ土器を見ていると、縄文土器や弥生土器、土師器は一連のデザインの変化や機能の進化であって、土器の様式を指す呼称や、様式の違いによる年代のものさしとして「縄文」とか「弥生」の呼称を使うのは実用的であると思われるが、時代を区切る呼称として使うのは土器の現物に視点を置くと必ずしも適切なものとは思えてこない。

また、農耕の変化によって、一般的に水田稲作の始まり(あるいは定着)をもって弥生時代とされるようだが、日本列島全体を見ると水田稲作の広がりを含めた農耕の在り方は地域や時期によりかなりの違いがあることは明白であり、縄文時代、弥生時代という呼称があることを前提として、縄文時代の終焉と弥生時代の始まりがいつかを論じることに違和感を禁じ得ない。

弥生時代が進むにつれてクニが形成され、クニ間の争いや大陸とのつながりが深まることによって弥生時代末期から古墳時代始まりの社会の仕組みが、それまでの閉じた日本列島社会とは大きく変化したことはおそらく事実であると思われる。弥生時代と古墳時代という呼称の時代区切りについても、前方後円墳の築造をもって古墳時代の始まりと考えるのもいささか視点が偏り過ぎるように思える。

韓半島を含む大陸側の史料、日本列島側の史料を問わず(もちろん史料の取捨選択は必要)、先ず有史(日本列島について記述された史料がある)か先史(史料がない)かで時代を大きく分け、有史以降は国の統治状態、もしくは中央政権の在処によって時代呼称を付け、それ以前は、道具や墳墓による時代呼称を設けず「先史時代」として大きく捉える。
「旧石器」「縄文」「弥生」「古墳」という時代呼称は廃止し、有史の始まり(新しい史料が発見されれば遡ることもあり得る)から飛鳥時代までを、例えば「大王時代」や「倭国時代」(この呼称に拘るものではなく適切な呼称であれば何でもよい)などとし、それ以前を「先史時代」とすることであらゆる物事がシンプルになるように思われる。そして「先史時代」の中を細分化する必要があれば、その場面々々で、石器や土器、農耕、地域などの指標で年代区分することが実用的なように思われる。

最近、先史や古代史に興味を持ち出した目で関連図書や博物館での展示物を見ていると、「旧石器」「縄文」「弥生」「古墳」というモノに由来する用語に縛られ過ぎている感もある時代呼称を一旦リセットして、例えば上述のような視点で見直すことで、合理的で一貫性のある時代区分ができるように思えてくる。

このようなことは既に研究者の間で議論済みだと思うが、自身の博物館巡りの感想として記録しておく次第。

以上


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