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他人に「窮屈すぎる思い」をさせていないか

最近わかってきた、自分の短所。
たぶん「しっかりしすぎ」、「気が付きすぎ」な点だ。

え?それは長所じゃないの?という人もいるかもしれない。
私自身も、仕事(とくに事務や接客業)では、長所だと思う。
決められたことをキッチリやれて、よく細かいことに気づいて対処できるのは、周りに喜ばれる。

でも、あまりにキッチリ、こまかすぎると、同僚によっては困るらしい。
私としては、疑問があれば確認したいし、できてないのをそのままにされると不安。
だけど、もっと楽しみながら仕事したい人や、自分がいろいろ抜けがちで指摘されやすい人には、煙たがられる。

ついつい、気づいたことを相手に確認してしまう。やってもらわないと周りが困ること、お客様に迷惑がかかること、誰かが代わりにやるハメになることなど。
それが、「自分を責められている」と、受け取られることがあるのかもしれない。

忙しいとついつい「なんでこれくらいちゃんとしないのかな」とか「いつもこうだよね…」といった気持ちになり、口にはしないが、それが態度にも出てるのかもしれない。
怖い先輩みたいに、あからさまに叱るのは気質的にできなくて。怒って言う事はない。
「これどうなりました〜?」「〆切はいつでしたかね?」「◯◯さんが担当です…よね?」くらいなものなのだけど。
ただ、不満げにはなっているのかも。相手からしたら、責められて聞こえるのかも。
あるいは、「窮屈」に思われたり。

なぜ相手が自分と同じように細かいこときちんとに気づかないのか、毎回きちんと同じようにできないのか?と思うが。
でもたぶん、そんなに細々と気づく私のほうが、変わってるのだ。

学生時代のクラブでは、まだ若かったから。「人によって細かく見れるか、キッチリできるかはちがう」というのがわからず。「ちゃんとしようよ!」と指摘しては、ただただ楽しくしたい子たちに煙たがられることがあった。いまならわかる。「ちゃんとすべき」の基準が、人によってちがうのだ。私の「ちゃんと」が、ハードルが高すぎる人もいる。
あと、他の子はある程度手を抜くところは抜いて、自分のキャパシティとバランスをとっているのだ。クラブに自分の100%を捧げない子もたくさんいるし。他に大切なことを持ってる子なんて、特に。

社会人になってからも、先輩に厳しすぎるほど厳しく育てられた分、同僚が適当すぎる仕事を繰り返したら、ずばり指摘してしまうことがあった。「ちゃんとやろう、周りが困るよ、お客さんに迷惑になる」と。
でも、たかが同僚の立場で「上から目線」のように、そんなこと言わなくてよいのだ。それは上司の仕事。

今だって、旦那が割とざっくりした行動を、キッチリしてほしい場面ですると「なんでちゃんとしないかな〜」なんて嫌味をいってしまうことがある。言ってもいいけど、パートナーの「上司」にならないようにしないと。
窮屈な女に、なっている。
子供にも「子のために」と思いつつ、よけいなことをいい、窮屈に感じさせているかも。もっとメリハリつけないと。

でも結局そうしてしまうのは、「私自身が失敗にまきこまれたくない、不利益を被りたくない、誰にも怒られたくない」という気持ちから、来ているのだと思う。

それから。おそらく私は他の人よりかなり、細かく状況を分析して見えてしまうチカラがありすぎるのだ。
「これができてない。あれも。まただ。いつもじゃん。このままではどうなるか?」
この先おこりうる何パターンかのシュミレーションが、瞬時に頭を巡る。
過去に自分がこうむった、まきこまれたトラブルの記憶がよみがえる。
なぜいつも、私ばかり尻拭いして、この人はラクに生きているのか?と疑問も湧く。

そんなこんなで、「ちゃんとしてほしい」の意のことを、言ってしまうのだ。

私自身の、キャパが少なく、自分にも余裕がない時に、特にそうなりやすい。

だから、そうなるときというのは、大抵が「私も限界」なとき。
もう、会社をやめることを考えているようなときだ。それくらいしんどいとき。抱えきれなくて言葉が思わずこぼれてしまうとき。

ただし、私は陰口はいわない。そっちのほうがズルいと思うから。

本当はわかっている。
片目をつぶって、ものごとを見るくらいが、ちょうどいいのだ。私の場合。
見えすぎている。
そして、相手にはそこまで見えていないし、そこまで深刻に思っていないので、「なんでそこをつつくの?大したことないじゃん」みたいに受け取られる。
「きにしなけりゃいいだけじゃん」と思われているだろう。

でも気になってしまう。気になっていることを放置するのもまた、相当なストレスなのだ。自分の思う「こうあってほしい」からかけはなれると、なんだかとても気持ちがつらい。でもグッとがまん。

この気持ちに折り合いをつけられるようにならないと、私は相当生きにくいし、味方が離れていってしまう。

それで考えた。

「ま、いっか」と考えるクセをつけよう。
ま、いっか。やらないで困るのは本人だ。
やらないで影響が出ても、やらない人の責任であって、私のせいじゃない。
どうしても私のせいになりそうなとこだけ、私がやってしまおう(自衛のために)。

それ以外は。やらなくても、たぶんなんとかなるのだ。けじめはついてないままになるけど。
私も誰かにそのことで責められても「あーどうしたらいいですかね?私は精一杯です」といえぱいい。
自分の仕事をキッチリやれば、他人の仕事まで気にしなくていいし、口も出さなくていい。指摘もしなくていい。

もちろん、上司の立場なら、指摘すべき。それができる立場だから。
でも、同僚とか「仲間」「パートナー」など、横の関係なら、そこまでしないのが吉。
そのかわり、私も相手の分までは抱えない。

相手の考えに、ある程度まかせる。
その結果が、私の理想からかけはなれていても、相手には理想かもしれないし。
それで組織やチームとして良い結果にならなくても、私の責任とはちがう。相手が引き受けるべき結果だ。

だから。自分の仕事の範疇の中だけ、これまでどおり細かくキッチリやって。
他人がからむことは、細かく見すぎず、相手にまかせる。
自分に影響するとこだけ一緒にやる。

それが、うまくいきるコツ。
うーん、なかなか難しいな😅

あるいは、ユーモアのチカラを借りよう。
映画で見るような、アメリカンジョークを見習って。
「おいおい、まじかよ?もうおわらせちまったのか?え、まだ?アッハッハ!あまりに余裕かましてるから、てっきりもう終わらせたのかとおもったゼ!どれ、貸してみな?一緒にやってやろう!」
…こんなイメージ(笑)

…来世では、もっと鈍感に、ざっくりとした見方の人に生まれてみたいな。

どんな風に、世界が見えるのだろう。


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