ミモザ

不器用さんの、つれづれエッセイ。

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喫茶店で2時間もつ異性

昔、齋藤孝さんと倉田真由美さんの共著で、「喫茶店で2時間もたない男とはつきあうな!」という本があった。 当時、タイトルにとても興味を持ち、読んでみて「なるほど!秀逸な考え!」と納得した。 詳しくは覚えていないが、たしかカラオケも酒もなしで、あえて喫茶店というコーヒーを飲むだけの空間で、楽しく話題が2時間もつ相手とは、相性が良いからつきあう価値アリ、という内容だった気がする。 当時はスマホもタブレットもない時代なので、今なら「スマホもタブレットもなしで、喫茶店かサイゼリアで2時

    • 眠れぬ夜の、マイ フェイバリット シングス

      眠れない… 夕方に珈琲を飲んだのがいけないのか、 身体の不調が気になるからか、 なかなか眠れない。 そんな眠れぬ夜に、頭に流れてくるメロディ。 それは、映画「サウンド・オブ・ミュージック」の「マイ フェイバリット シングス」。 「私のお気に入り」という和名をもつ曲だ。 映画のヒロインであるマリアが、住み込みの家庭教師として、とあるお屋敷の子どもたちのお世話をする。 雷の鳴る夜に、小さい子たちが怖いから眠れない、と次々とマリアの部屋に来てしまう。 なんと、一番年上のお兄ちゃ

      • 読書感想文の思い出

        実家にある自分の荷物を整理していたら、中学時代の読書感想文コンクールの盾が出てきました。 ありがたいことに、毎年入賞の盾をいただいていた読書感想文コンクール。 本を読むのと文を書くのが大好きな私にとって、読書感想文は得意な方でした。 とはいえ、楽しい夏休みに出される宿題だったので。 遊びに部活に、他の宿題もこなさねばならず、なかなか読書感想文のために本を読む時間をつくるのは大変でした。 私の場合、何日かかけて、とぎれとぎれに読んでいき、最期に感想をかくのは、性にあわ

        • 世の中のテンポが早すぎて

          子供の頃から、「周りのスピードについていけてない」と思っていた。 小学校のクラスの、女子同士の会話のテンポについていけず。 ワンテンポ遅れる感じになるし。 みんながワーワー集まってあれよあれよと物事が決まっていく場では、「えっ?えっ?どうなった?💦」て感じで、コトの飲み込みが遅いし。 親戚が集まったときの、お祭りのような会話の渦の中では、自分の居場所がわからなくなる感覚になるし。 中学以降、社会人になっても、頭の回転が良い周囲に比べて、シャキシャキと反応はできず。速い会話の

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          可能なら空想の海にずっといたい、という願望

          小さな頃からずっと、暇さえあればぼんやりと空想に浸る子だった。 本を読んで、感銘を受けて、ぼんやりと空想して…みたいな時間が幸せで。 たぶん周りからみたら、随分な「ぼんやりさん」だった。 しかし、成長するに従い、いやがおうにも「現実」と対峙する時間が多くなる。 当たり前だ。 勉強に部活に、遊びに、人間関係に、家族のことなど。 対処しなければならないことは、山ほどあるのだから。 しだいに、空想に浸る時間なんて、なくなっていった。 それでも、独身の頃はまだ、一人で本に浸る時間

          可能なら空想の海にずっといたい、という願望

          文系と理系のくみあわせの夫婦

          世の中の夫婦には、いろんなタイプのくみあわせがあると思いますが。 文系理系で考えると、どのくみあわせが最強なのかな?とたまに考えます。 我が家は私が文系、夫が理系です。 これはこれで、ある意味「強い」くみあわせだとおもいます。 特に家庭を運営したり、サバイバルするについては。 例えば、私は買い物なども感覚的に「これは触り心地がいいし、お部屋のインテリアにもあうし、いいんじゃない?家族で使えるし、コスパもちょうどいいし♪」という感じで選びますが。 夫は「うーん、材質は〇〇、

          文系と理系のくみあわせの夫婦

          実績の高い人が、その分野に居続けるとは限らない

          実家の片付けとともに、学生時代の友達や先輩後輩からの手紙が出てきた話。 前回はこちらに書きました↓ そして、今回は発見されたまた別の手紙から感じた話。 手紙の話、第二弾です(笑)。 手紙の束のなかに、中学の部活の先輩からのものがありました。 私はある部活をしていて、その先輩は部長も務めるエース級の方でした。 引退する時に、いただいた手紙。 そこにはなんと、「高校にいったら、もうこの部活はしない」と書いてありました。 ほんのり思い出してきた記憶。 そうだ、たしかに、先輩は

          実績の高い人が、その分野に居続けるとは限らない

          「好きな人」を友達も好きだった話

          両親が病気になったことを契機に、いつまでも実家に自分のものを置いておくまいと、少しずつ私物を実家からひきあげている。 私は結婚まで実家にいたので、物が多い。 結婚前にたくさん処分したけれど、机の中に細々としたものがあった。 その中で見つけたのが、小中学校時代にクラスメイトや部活の先輩後輩とやりとりした「手紙」。 手紙の交換がはやっていたから、大量にある。大事にお菓子の缶に収めてあった。 内容は「テスト頑張ろう」とか、後輩からは部活の悩み相談とか、さまざま。 授業中に回し

          「好きな人」を友達も好きだった話

          書くことで、いやされる

          中学生くらいから、膨大な量の日記を書いて生きてきた。 書くこと、気持ちを書き出すことで、救われてきた。 そもそも、書くことが好きだった。 好きになったきっかけで思い当たるのは、小4のときの担任の先生が、連絡帳みたいなものに「3行日記」を書く宿題を毎日出していて、それに丁寧に返事を書いてくれたこと。 いまから思えば「それはすごい!」とか、簡単な一言だったんだろうけど、毎日毎日、35人分の返事を、帰りの会までに書いてくれるのは、大変だったと思う。 でもその一言一言が、お返事が来

          書くことで、いやされる

          デキる男とは

          夫を見ていると「デキる男だなぁ」と、つくづく思う。 一般的に、デキる男というと、仕事でうまくコミュニケーションが取れる上に成果を上げる人、というイメージだろう。 夫の場合、もっのすごく成果をあげて会社に利益をもたらすというタイプではない。 コツコツ、しなければならないことを、効率よくできるし、コミュニケーションもそつなく取れる。周りを自ら困らせることもない。そういう意味では、仕事もデキるほうかもしれない。 でも私が感じる「デキる」は、仕事以外の場面。 例えば、私の実家

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          他人に「窮屈すぎる思い」をさせていないか

          最近わかってきた、自分の短所。 たぶん「しっかりしすぎ」、「気が付きすぎ」な点だ。 え?それは長所じゃないの?という人もいるかもしれない。 私自身も、仕事(とくに事務や接客業)では、長所だと思う。 決められたことをキッチリやれて、よく細かいことに気づいて対処できるのは、周りに喜ばれる。 でも、あまりにキッチリ、こまかすぎると、同僚によっては困るらしい。 私としては、疑問があれば確認したいし、できてないのをそのままにされると不安。 だけど、もっと楽しみながら仕事したい人や、

          他人に「窮屈すぎる思い」をさせていないか

          お気に入りの物を1つ持っていれば、どこでもこわくない

          初めての場所に一人で行くとき。 ワクワクが8割、そして不安が2割。 特に私は持病があり、体調を出先で悪くするのが不安で、薬をいつも持ち歩いたり、休憩できるところをあらかじめ調べて出かけている。 子どもの時は体をコントロールできず、しょっちゅう出先で体調不良を起こしては家族を困らせてきたけど。 さすがにオトナになった今は、随分コントロールというか、対策できるようになった。 体調の不安をもつ中で、1番なのは、「お気に入りの一品をもっていくこと」。 お気に入りの香りのもの、お

          お気に入りの物を1つ持っていれば、どこでもこわくない

          初対面の人の集まりがこわい

          人には大きく分けて、2種類の人種がいると思う。 一つは「初対面の人ともワイワイ話して楽しめる派」。 もう一つは「初対面の人の集まりなんて怖くてたまらない派」。 旦那は前者、私は後者です… 私はよく知らない人がいきなり話の輪に加わるのがすごく苦手。 苦手を通り越して「こわい」と思ってしまう。その人がどんなに優しそうでも。 なんなんでしょうかね、とにかく本能的に、「こわい、こわい、いや、やめて、なんでくるの?」と思ってしまう。 友達の知り合い、とかでもムリで。 友達がちょっ

          初対面の人の集まりがこわい

          実家、がなくなるということ

          思いのほか、早く「実家」がなくなるかもしれない。 そんな状況になっている。 もともと、父の通勤の関係で、長らく賃貸の一軒家に住んできた。 長く住んでいるので、地元の方とも仲が良く、暮らしやすい家だった。 私が結婚して家を出てから、実家には両親だけだったが、その2人が次々と難病に。 片方は余命宣告もうけていて。 実家はいつまでも、親が80歳くらいまでは、すくなくともあると思っていたけれど。 もしかしたら、近い将来、「実家」というものがなくなるようで。 両親がいなくなるこ

          実家、がなくなるということ

          言葉の使い方は「魂がどこにあるか」次第

          NHK「あさイチ」での、さだまさしさんの言葉です。 人に伝わる言葉についてのインタビューで、 「最近は、言葉狩りが多すぎる。 人を傷つけるためだけの言葉はダメだけど、人を鍛えるための叱咤激励には、時に強い言葉になる」 「じぶんは3歳から、バイオリンを弾いていた。当時は先生が怖くて頑張ってやってたけど、後に自分を鍛えてくれてたんだとわかるようになった。あの先生がいなかったら、今の自分はなかったのではないかと思う」 というようなことを、おっしゃっていました。 つまり、「言葉

          言葉の使い方は「魂がどこにあるか」次第

          いつかくる「終わり」を見つめて

          先日、小さな日帰りの手術を受けた。 命にはかかわらない、でも早く治しておくほうがよい、といわれた、ちょっとした治療。 だけど、一応外科的手術で痛みがあるから、人生初の「全身麻酔」で手術になった。 私がこれまで経験した麻酔は、鼻にシュッと吹き付ける一時的なヤツとか。 歯科で抜歯するときの注射する麻酔。 胃カメラをする時に、一時的に意識を眠い感じにして苦痛を和らげるヤツなど。 どれも、なんとなく痛みを緩和する程度で、完全に寝たりもない。 だけど、今回のは違った。 口元にこれ

          いつかくる「終わり」を見つめて