そういうときこそ、食べるんだ。
悲しみや苦しみが深いとき、人は「食べる」ことを疎かにしがちだ。食べることは生きることと直結している。生きる力が不足しているときは、食べ物を摂取するためのエネルギーが枯渇した状態にあるのだと思う。これは医学的にどうとかいう話ではなく、私個人の経験に基づく推測の話だ。
近頃、少し食欲が落ちていた。詳しくは書けないが、先日息子が理不尽な目に合い、それによって私も深く傷ついていた。一番傷ついたのは息子だろう。だが、それを防げなかった、守りきれなかったことによる自分や相手への憤りがなかなか収まらなかった。相手が子どもならまだ良かった。今回の相手は、大人だった。大人が自分勝手な嫉妬により息子を陥れようと画策するなど、私も息子も思いもよらなかったのだ。
悲しかったし、やるせなかった。「どうして?」という気持ちだけが膨れ上がり、行き場のない怒りは飲み込むしか術がなかった。相手に吐き出せれば良かったのかもしれない。しかしそうできない事情があり、それは叶わなかった。せめて息子に、一言だけでもいい、謝ってほしかった。
*
日々の生活のなかで起きるのは、楽しいことばかりではない。苦しいこと、悲しいこと、やるせないことも一定数ある。そういうとき、美味しいものを食べて元気になれるのならそれに越したことはない。しかしあまりにも問題が大きかったり深刻だったりすると、「食べる」行為そのものが億劫になってしまう。もしくはその反対に、必要以上に食べ過ぎてしまう。どちらに転んでも身体の調子は大幅に崩れ、それによって心の健康も崩れていく。
食べたくないと感じたときほど、ちょっと無理をしてでも食べる。たくさんじゃなくていい。何か好きなものを一口から。それだけでいい。できれば、温かいものを。身体を冷やすのではなく、温められるものを胃袋に入れる。身体が温まれば、心も温まる。人の身体は、よく出来ている。
それさえもできない状態のときは、ちゃんと自分を心配して甘やかす。そうすることで、心身を極限まで追い込むのを防ぐことができる。
大好きなドラマの台詞にも、食べ物にまつわる話は幾つも登場する。
「泣きながらご飯を食べたことのある人は、生きていけます」
~カルテット
「そんな気分じゃないから、食べるんです」
~アンナチュラル
「生きるのが辛いことなんて、誰にでもたくさんあるんだよ。でもそれでも人は美味しいものを食べるだけで少しでも幸せになれる」
~ランチの女王
食べられない。眠れない。
そういう状態を「よくあること」として放置するのは、絶対的にお勧めしない。心身の不調は大抵、この二つが良いリズムで巡っていないことから起こる。ストレスをはじめとする様々な要因で乱れがちなこれら二つを、丁寧にケアしてあげる。周りの人を気遣うのと同じように、自分のことを想いながら生きる。簡単なようで難しい。私自身、これができているかと問われると答えはNOだ。だからこそ、変わりたいと思う。
自分を後回しにし過ぎてはいけない。一生使う身体で、一生共に生きる心だ。
辛さや苦しみを無くすことはできない。しかしそれらに直面したとき、少しでもダメージを減らせるのなら、それに越したことはない。
世の中には「どうにかできること」と「どうにもできないこと」がある。後者を嘆いていても何も始まらないし、何も変えられない。だったら前者にどのようにアプローチしていくかにフォーカスしたほうが、余程健やかに生きられる。
そうは言っても、そうできないときもある。ひたすらに落ち込みたいときもあるし、涙が止まらない夜だってある。それはそれで必要な時間だから、そのままでいい。ただ、せめて食べる行為を放棄しないでほしい。
過去、食事を放棄した時期があった。1か月で15キロほど痩せた。細くはなったが、貧血や肌荒れ、意識の低下が起こり、運転さえままならなくなった。何よりも、精神を通常の状態には保てなくなった。
食べることは生きることだ。泣きながらでもいい。ほんの少しでもいい。スープだけでもいい。何でもいいから、食べるんだ。
どうにか飲み込んだ一口が、明日への活力になる。悲しみがほんの少し溶けて、エネルギーが身体のなかで沸々と燃える。翌朝の身体が、きっと少し、楽になる。
*
息子も私も、だいぶ気持ちは落ち着いた。ご飯もちゃんと食べられるようになり、夜も健やかな寝息を聞けるようになった。
大好きなお寿司を泣きながら食べた息子の顔を、私は忘れない。彼もまた、あの夜を決して忘れないだろう。理不尽な目に合って泣いている人に寄り添う力を、彼はあの晩身に着けた。そう思わなければやっていけない。子どもの笑顔だけを見られる毎日なら、子育てはどんなにか楽だろう。
「こういうときは、一番食べたいものを食べるんだよ」
そう言った私に「じゃあ、お寿司」と震える声で答えた息子は、生きる根っこをしっかりと持っている。
温かいご飯を食べよう。
今日悲しかった誰かも、明日は少しでも笑えるように。
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