仲正昌樹『悪と全体主義 ハンナ・アーレントから考える』(NHK出版、2018年)

■要約

本書はハンナ・アーレントの主要著作の解説書となっている。

序章をのぞけば5章立てとなっており、それぞれ『全体主義の起原』(三部)、『エルサレムのアイヒマン』、『人間の条件』を解説している。

アーレントの本書の邦訳を引用し、著者がその引用部分をわかりやすく説明する形式となっている。

解説書という性質上、まとめと感想はアーレントの思想内容に沿う。

『全体主義の起原』は3巻本となり、サブタイトルが1巻が「反ユダヤ主義」、2巻が「帝国主義」で、これらの考察から3巻「全体主義」に至る構成となっている。

第1巻「反ユダヤ主義」では、近代のユダヤ人差別に至る過程を描く。

ユダヤ人差別は確かに前近代から存在しており、シェイクスピアの『ヴェニスの商人』ではユダヤ人が悪役として登場する。

しかしこの差別は近代になって変化する。

近代に「国民国家」が誕生したためだ。国民国家では文化的アイデンティティという“同質性”が基盤になっている。だがこれが上手く機能するのは共通の敵が存在する場合である。ナポレオンという共通の敵がいたからこそ、ヨーロッパ各国で国民が結束したのである。

そしてユダヤ人は近代の国民国家の中で次々と「解放令」が採択されていく中で自由を与えられていった。

だがこれはユダヤ人を認めることでなく、むしろ一つの国民の中に同化させていくことだった。ユダヤ人という存在自体はどこまでいっても異分子だったのだ。

これはつまり前近代まで“外”にいたユダヤ人が“内”の中の異分子となったことを意味する。

実際にフランスでは19世紀末に将軍ドレフュスがユダヤ人であったために不当な裁判をかけられることになった。

ユダヤ人は同質性が根幹にある国民国家の中で内なる異分子として共通の敵と認識されていくことになる。

第2章「帝国主義」

近代に見られた帝国主義は、「開かれた法」に基づく古代ローマ帝国と異なり、国民国家の同一性に基づき、その繁栄を目指す閉じられた帝国によるものだった。

「仲間」にできない非支配地の人間、その「野生」的な存在を押さえつけるために、当時入植していた者たちは自分たちが上であると見せつけるように強権的に支配していった。そこから人種思想が誕生していくことになる。当時の状況をあらわすように『人種不平等論』『闇の奥』『ジャングル・ブック』といった著作が生まれた。

また優生思想も生まれ、人種思想は更に拡大していった。

こうした思想状況の中、民族的同一性の原理のもとプロイセンから発達し誕生したドイツは、かつての神聖ローマ帝国領域はもともとはドイツ民族の土地である、そのため取り戻さなければならないと考えるようになった。英仏が海外に植民地を目指したように陸続きの植民地を目指した。しかし第一次世界大戦の敗北で植民地が没収され、ドイツは「敵の世界に取り囲まれて」いる形となった。経済的に困窮していることもあり、反ユダヤ主義を元にした全体主義的世界観が広まる土壌が生み出されていった。

またこの状況とともに、全体主義を生み出すもとになったのが「無国籍者」の存在である。近代では誰しもが人権を有する普遍的人権思想が広まっていた。だがそれが正しいのならば難民など無国籍者を各国が受け入れてもいいはずである。しかし現実には受け入れは進まなかった。近代国家は「国民」をベースに「国益」を実現する存在だったからである。ここで重要なのは、「普遍的人権思想 = 法の支配 = 理性による支配」といった関係が無国籍者の現実によって限界があらわになり、それ以外の支配原理があり得ること、つまり全体主義による支配がありうることを示してしまったことである。

第2章でアーレントが指摘したかったのは、同一性に基づく国民国家の拡大が帝国主義を生み出し、しかしその国民国家の衰退(戦争の敗北や難民の受け入れ)とそれによる危機意識が生じたことが全体主義へとつながっていったということである。

第3章ではいよいよ「全体主義」について論じる。そこでのキーワードとなってくるのが「大衆」「世界観」「運動」「人格」である。アーレントによれば全体主義は国家によるものでなく大衆による運動である。

19世紀末「市民」と「大衆」の違いが論じられるようになった。

市民は自分の利益を自覚し、合理的に行動する。自分の意見を代表する階級政党に投票する。一方、国民国家の中で選挙権が拡大し登場した、どこにも所属していない大衆は何が自分の利益になるかがわからない。政治に対する関心もまた低い。そしてそれで満足していた。

だが世界大戦に敗北し、経済的に困窮したドイツで、大衆は不安と緊張に晒されていた。こうした現実世界に耐えられなくなった彼らは空想世界に逃げ込む。全体主義政党が提示する「世界観」である。「世界観」とはこの世界のあり方を捉えるための系統だったものの見方、考え方である。そしてドイツにおいては、ナチスによるユダヤ人世界征服陰謀説が広まった。ユダヤ人の一部が資本家や当時の政治家であったこと、あるいは憲法の起草者がユダヤ人が務めたことなど、まるでパズルのピースを埋めるように陰謀説が彼らの中で確信へと繫がっていった。

こうした「世界観」の提示によって大衆の心をつかむことが全体主義の最初のステップならば、次のステップは大衆が自発的に動くよう仕向けることである。

ナチスは秘密結社にこの方法を学び、トップシークレットをわざと作り、その知りたい欲求をかきたてることで大衆を動かした。

通常の国家は命令系統をはっきりさせた組織で、法による統制を行うが、全体主義は運動であるためこうした実体が固まっていない。台風や渦潮に近いものである。

ナチスは大衆が安定化しないように、命令系統を複雑にさせる(ゲシュタポやSS(親衛隊)、SA(突撃隊)などが複数の機関に分散する)巧妙な手口を実践していた。

こうした”運動”により、大衆は嘘を見抜けなくなり陰謀に憑りつかれ思考停止に陥っていた。

こうした状況の中、ユダヤ人の強制収容など切り離しが行われた。ナチスは彼らから「道徳的人格」を奪った。道徳的人格は人同士、同等の存在として尊重し合える根拠となるものだ。だが、ナチスはそれを奪い、ドイツ人は隣人のユダヤ人が連行されようと、見て見ぬをして良心の呵責も無くしていった。

アーレントはこうした道徳的人格を認め合い、自分たちの属する政治的共同体のために一緒に何かしようとしている状態を「複数性」と呼んだ。自律した個人同士が多元性を認め対話を行うことが重要である。

だが全体主義体制ではそのような複数性は存在せず道徳的人格が解体されていった。

第4章では、『エルサレムのアイヒマン』を中心に解説が行われる。

ユダヤ人虐殺の管理的立場にいたアイヒマンは大戦後、アルゼンチンに亡命していたが、逮捕されエルサレムにまで連行されて裁判を受けた。

この裁判で、世界中がアイヒマンの残忍な性格が暴かれることとなると期待したが、裁判を傍聴したアーレントは彼にそのような性格を見出さなかった。

凡庸で、組織の中にいることを好み、昇進に熱心だった、その程度の男だった。

彼の発言の中でアーレントが注目したのが、アイヒマンが自分が「命令にも法にも従った市民である」と主張していたことだ。更に「カントの道徳の格率」に従っていたとも主張した。

アイヒマンはその遵法精神に乗っ取り、忠実に義務を果たしてきただけだったのだ。

アーレントが見たアイヒマンは、ヒトラーの意思とそれによって定められた法に従っただけの平凡な官僚だった。

こうした裁判レポートをアーレントはアイヒマンの死刑執行の翌年1963年2月から3月にかけて『ザ・ニューヨーカー』に連載した。だがその直後から彼女は大きな批判にさらされた。

そこに描かれたアイヒマン像が、その残忍さを期待していた人々の予想を裏切るものだったからだ。

ただしアーレントはアイヒマンの死刑に反対していたわけではない。

彼の罪は政治から「複数性」を奪ったことにある。それが盲目的に従っていたこととはいえ、政治は子供のお遊戯ではない。そこでは服従と支持は同じになるのだ。

それが彼の死刑の唯一の理由であり、その内面のことは追及できない。

しかし人々は彼女の結論に納得できなかった。だがこうした閉鎖的な状況で権威者に人々が盲目的に従う心理は「ミルグラム実験」や「スタンフォード監獄実験」で実証されている。

まさしくアイヒマンの服従の姿勢は、彼特有のものでなくありふれたもの、陳腐なものだったのだ。

考えるという営みを失った状態をアーレントは「無思想性」とよぶ。ここでいう思想は哲学的な思考で、問いをやめない姿勢といえる。アイヒマンはこの思想の無い状態に陥っていて、彼だけでなく多くの人々にもこれは当てはまることなのだ。

現代でも、インターネットの登場で「複数性」が増したように思えるが、実際は自分が受け入れられる意見のみを取り出して「みんなそう思っている」と安心して終わっている。アーレントが危惧した無思想性が広まっているといえる。

第5章(終章)では『人間の条件』の解説がされる。

『エルサレムのアイヒマン』の出稿でアーレントが批判されたのは次の三点からだった。

まず一点目、アイヒマン裁判で、ホロコーストの犠牲からイスラエルの正当性を印象づけたかったのにそれを台無しにされた怒り。

二点目、敵と味方をはっきり分けたい人の苛立ち。

そして三点目、人間には普遍的に人間愛が備わっているはずで、ナチスは例外の例外であると信じたい人の苛立ち。

だが三つ目に関して、ミルグラム実験等が示したように、いかなる人間も特定の状況では良心の働きを失ってしまうのである。

では「人間」とは何か。

西洋では、カント的な理性的存在として人間を理解する系譜と、歴史的・文化的なプロセスから形成される思想の系譜(フマニタス)がある。

アーレントはその両方を取り入れて『人間の条件』で複雑な人間観を構築する。特に言語の獲得を通じて教養を獲得することで一個の人格として自律し、理性的に思考できる存在としている。

こうした人間の条件としてアーレントは3つあげる。1つは「労働」で人の生命を持続させ生活を送るために営むことである。2つ目は「仕事」で、自然にない人工物を作り出す営みである。そして3つ目が「活動」で言語や演技によって他者の精神に働きかける営みである。

この内3つ目の活動が最重要である。他者の精神に働きかけるのは、異なった思想をともに有していて、その説得や議論・表明することであり、それが多元性となり「複数性」が確保されるからだ。

■感想

本作で取り上げた書籍の関係もあるが、政治哲学者としてのアーレントは一貫して全体主義と向き合っていた。

全体主義がなぜ起きるか、何が問題か、そしてどう解決すべきかを丁寧に考察し続けた。

本作で度々アーレントブームが日本で起こった話が言及されるが、全体主義の気運の高まりが感じられるとき、彼女の思想が見返されるのだろう。

また本書ではアーレントとの比較の意味合いもあってか、全体主義を擁護したカール・シュミットの思想が何度か登場する。

ただしアーレントとシュミットの全体主義の意味合いは異なる。

シュミットは指導者が国全体を把握すべきという元々の意味で全体主義を捉えていた一方で、アーレントは全体主義を大衆の運動であるとしていたからだ。

そうした場合、シュミットの視点はとにかく「国家」として何をすべきか、にある。

彼は戦間期の何も決まらない議会制に失望し、経済的混乱や地政学的危機を乗り越えられる決断を行い、国を一つにまとめあげる指導者を所望した。

「政治とは結果である」と政治家も度々言及する。結果とは現実である。現実世界に一つの形となってあらわれるものだ。

その“結果”のために全体としての一つの意志をまとめあげる、それがシュミットの視点だ。

一方のアーレントの、全体主義の急所をつく「複数性」はあくまで理念的だ。カントの「永遠平和論」と同様、決して現実にあらわれることはないが、それに無限の接近を行える理念だ。考えることをやめた「無思想性」が全体主義につながったならば、人は考えること(他者の思想に触れ吟味し続けること)をやめてはならない。そうした意味で理想主義的である。

現実としての決断、理想としての複数性、両者は中々相容れない。

落とし所は議会制において余すことない議論を重ねた上で、リーダーが最後に決断を下すことのように思える。

だがシュミットはそうした余すことのない議論が終わらない戦間期議会に失望したし、アーレントのいう複数性が議会制においてどこまで現れるか怪しい。議会(代議制)は一部のエリートが議論を行い、大衆は無関心である。彼女にとって全体主義が大衆運動であったように、大衆自身が複数性をもたなくては全体主義に打ち勝てない。だが彼らの政治参加はより政治的決断を遠ざけることになるだろう。

これからも理想と現実の政治理論で侃々諤々の議論が続いていくだろう。

次にアーレントの「複数性」で気になったのはいわゆる「寛容のパラドックス」を容認するか、言い換えれば複数性を排除する思想も容認するか、といった点だ。私見をいえばアーレントの複数性は「状態」より「動作」的な概念に近い。多くの考えがあることより、それを認め合うこと、そして議論し続けていくことに意味がある。そういう点で「複数性」は非寛容の立場を容認する考えだと感じた。

そうした点で、アーレントは元々政治学・政治哲学の出身でなく、より抽象的な哲学らしい分野専攻だった。ハイデガーやヤスパースと交流を持ち、博士論文は『アウグスティヌスの愛の概念』だった。哲学は「問いを立て続けること」であるならば、アーレントはそれを政治の領域にも必要としたといえる。それが「複数性」である。彼女は哲学者らしい哲学者だったのだ。

そう書くと、政治は一つの結論を必要とする領域の一方で、哲学は結論を否定する領域といえる。

政治哲学という奇妙な領域は一体何物なのか、と少し感じた。


アーレントは有名著作が多数あるが、近年の日本で、専門的に研究している人以外にもたびたび引用されるのは『エルサレムのアイヒマン』だろう。

とある漫画家が自身の漫画のキャラ(ナチスもホロコーストも全く関係ない作品)を説明する際に、アイヒマンの人柄を引用していたほどだ。

その「凡庸な悪」の概念はひどく衝撃的で、それが絶対悪の存在がほしい人にとっては受け入れられなく、強い批判を浴びることになった。

しかしその凡庸な悪の概念はそこまで画期的なものだったのか、と私は少し思う。

戦前には「大衆」論が一定確立されていた(オルテガなど)し、フロムの『自由の逃走』は1941年だ。

人が必ずしも善を求める存在とは言い切れない、理性的に行動できない、言ってしまえばときに“悪”に走る存在だという認識はあったはずだ。

更にアーレント同様、アイヒマン裁判を傍聴した社会心理学者ミルグラムは彼が「どこにでもいる男」に思えたから、ミルグラム実験をはじめた。つまり、「凡庸な悪」はアーレントだけの特別な見方ではなかったのだ。

ならばアーレントが見出したアイヒマンの「凡庸な悪」はなぜここまで批判されたか。

それはホロコーストという未曾有の大人災の中にそれを見出したところであろう。

小悪や議会制の麻痺程度ならば大衆の無思想性を嘆くことは誰でもある。

しかし彼女はホロコーストにもそれを見つけた。しかも相手は軍部高官だ。言わばエリートである。

大衆は所詮、政治的無関心な存在だからエリートが政治を正せばいい、という思想ごと否定した。

凡庸な悪がエリートの中にもあり、それが虐殺につながった。

これはナチスドイツという例外的存在だけでなく、どこの国の、どんな社会にでも起きうる現象となる。

それは恐怖となり陳腐な悪の概念を受け入れられたくない、と至ったことが批判の理由の一つと思える。

そして、人は普段「小さな悪」を認めているが、巨悪の中にはそれを認めたくない心理があるともいえる。

傍聴したミルグラムがアーレントと同様の結果を見たように、巨悪であっても、それが具体的になればなるほど、そこに人の「小さな悪」の積み重ねが発見できる。

逆を言えば、人は理念的・巨視的になればなるほど「小さな悪」を否定して、より根源的な邪悪を見つけたがるのだ。


そして気になった部分として全体主義における「運動」と「複数性」の違いが自分の中で課題に感じた。運動は一つの世界観に囚われた思考停止に陥った大衆によるもので、複数性は他者を認め合うものであるため、そこの決定的違いはあるが、私の理解では両者共に「流動的」であることが共通点にある。複数性に関して自分の意見と他者を意見とを相対化していき多元的な視点を獲得し続ける、一つの意見が絶対化されない点で流動的である。一方で全体主義もまた大衆を安定化させないために常に流動的にさせる必要があったということから「運動」という表現をアーレントは使っている。この流動性は決定的な差はあるとは思ったがいまいちその違いを上手く表現できなかったので、そこを課題と感じた。

とにもかくにも解説書でなく文献そのものを読んでみたいと思った。


以上はアーレントの思想を見た感想だが、以降は本書の感想を書く。

本書にはアイヒマンの最新研究は触れられていない。

つまり、『エルサレム<以前>のアイヒマン』で注目された、アイヒマンが実はユダヤ人を憎悪していてナチスの信奉者であった点だ。

そのため彼は命令に従っただけの小役人でなく、故意的に巨悪を起こした人物である、という。

私見をいえば、だからといってアーレントの「陳腐な悪」が見当違いなものだったといえるかというと、そうともいえない。ミルグラム実験の結果が翻ることはないためだ。

そして、アイヒマンが極悪の人物であろうと、彼自身が主張したように、彼は定言命法に則って行為した。彼が心に憎悪を抱えていたとしても「悪法も法である」という遵法精神の主張は翻らない。

彼の決定的な動機が反ユダヤ主義だったか陳腐な悪であったかは問題にならない。反ユダヤ主義が無くとも、遵法精神のもとホロコーストは行われたといえるからだ。

最後に作者の仲正昌樹氏に関して、本書はアーレントの解説書であり、それが大半であるため、作者の意見は少ない。

だが随所に近年の日本や欧米での排外主義の気運の高まりが、アーレントのいう全体主義に通じているという指摘が登場する。

また、日本でアーレント関連の映画が公開され、プチアーレントブームが起こった際に、非難を受ける覚悟で「陳腐な悪」を指摘したアーレントを英雄視する風潮があった。それに対し仲正氏は率直に「これでいいのかな」と疑問に思ったという。

まるで、アーレントが新たな世界観を提示してくれた指導者かのような存在で、それを錦の御旗としてふりかざすようでは、ナチス的全体主義と変わらないのだ。

そういう点で著者の「複数性」を強く感じた。

■一問一答

知識定着のため本文から簡単な問題を作成

問1:「ホロコースト」とは元々どのような意味か

答1:燔祭(ハンサイ)、つまり犠牲にする獣を丸焼きにして神に捧げるユダヤ教の宗教儀礼  を指すギリシア語で、転じて大火災や災害を意味するようになった

問2:ジェンティーレやシュミットは全体主義を「国家」が社会「全体」を統合する役割を担うべきとして全体主義という用語を用いてたが、一方のアーレントは全体主義をどのように捉えていたか

答2:大衆の願望を吸い上げる形で拡大していった政治運動であり、国家という枠と対立する性格をもっている。


問3:ロシア語で「破滅」「破壊」を意味する、前近代から行われていたユダヤ人をスケープゴートとして迫害・追放・虐殺する行為を何という。

答3:ポグロム


問4:インドで不可触民を意味し、『全体主義の起源』では法の保護の外に置かれて人間扱いされていない人々の意味で使われている用語は何

答4:パリア


問5:ナチスドイツが建設した絶滅収容所を六種類あげよ

答5:ヘウムノ、ベウゼツ、ソビボル、トレブリンカ、マイダネク、アウシュビッツ


問6:ギリシア神話が由来である、容赦ない強制や杓子定規を意味する言葉は何

答6:プロクルステスのベッド(寝台)。捕らえた旅人を自分の寝台に寝かせて、その身長が短すぎると槌でたたくか重しをつけるかして引き延ばし、長すぎると,はみ出た分を切り落とした伝説がある。


問7:一面に飛び散ったガラス片から名づけられた、1938年11月、ユダヤ人商店やシナゴーグ、集会、住宅が破壊された事件のことを何という

答7:水晶の夜


問8:アーレントの「複数性」とはどのような概念か

答8:自律した道徳的人格として認め合い、自分たちの属する政治的共同体のために一緒に何かをしようとしている状態で、共に多元的な視点を獲得することを目指す。


問9:アーレントがアイヒマンに指摘した「無思想性」とはどのようなものか

答9:ここでいう「思想」とは、人間の存在そのものを問い直す哲学的思考で、異なる視点をもつことで可能になるとものであり、無思想性とは、アイヒマンのような自分の視点のみの機械的処理を行うこと


問10:『人間の条件』でアーレントが上げた三つの条件と、その内容はどのようなものか

答10:一つ目の条件は「労働(labor)」で、ヒトの肉体が生命として生きていくために必要なものを獲得する営み。二つ目の条件は「仕事(work)」で、自然にない人工物を作り出す営み。三つ目の条件は「活動(action)」で、言語や演技によって他の人の精神に働きかけ、説得する営み。アーレントは三つ目の活動を複数性が確保されるために重視した。