ジュリアン・バジーニ『100の思考実験』(向井和美訳、紀伊國屋書店、2012年)

■概評
 哲学初学者が復習や知見を広げ、思索を深められる本


■登場する主要な思考実験

〇邪悪な魔物(デカルト『方法序説』) ・・・ 認識論
 →自分たちが信じている世界が、邪悪な魔物によってつくられたものかもしれない。この1+1=2と私たちは信じているがそれは邪悪な魔物によってつくられた偽りの答えなのかもしれない。そして私たちはこの世界が邪悪な魔物によってつくられたかどうかを知る由が無い。合理的といえるものですら邪悪な魔物が潜んでいるかもしれない


〇仮想浮気サービス ・・・ 倫理
 →不倫シミュレーション機なるものがあり、男性が、妻に対する愛は失っていなくともに肉欲が満たされない時に、その機械を使うとする。これは倫理的に悪だろうか


〇自由意志(ラプラスの悪魔) ・・・ 科学哲学
 →この世界が物理法則によって満ちているならば、この世界に起きることは因果法則の連続でしかない。人間が物理的な存在ならば当然それに従うが、そうなると人間は自由に行動しているように見えて、実は物理法則に従ってあらかじめ決まった運命をたどっているに過ぎない。人間に自由といえる意志は存在しないのだろうか


〇赤の部屋(メアリーの部屋) ・・・ 心の哲学
 →色の知識の全てを知っているが、白黒の部屋と白黒の体で過ごしてきたメアリーは、その部屋から出て、色を見た時に何か新たな知識を得ることはあるか。当然「赤の見え方」という知識を得る。そうなると、メアリーの赤を見たという主観的な体験に基づく知識はそれまでの知識とは別の知識といえる。色を見る主観的体験は物理科学的に説明がつくものではないのだろうか


〇ビュリダンのロバ ・・・ 理性の問題
 →必ず合理的に行動する空腹のロバが存在する。また、ロバの右手の方向と左手の方向の同距離に同程度の牧草が生えている。どちらかの方向の牧草がより好ましいという選好性はここにはない。

 すると、もしロバが右手の方向か左手の方向を選ぼうとすると例えばくじ引きのような非合理的な方法を使う必要が出るか、ロバは必ず合理的に行動する存在なので矛盾する

 また、右手の方向左手の方向どちらも選ばないとすると、空腹で餓死するという非合理的な結末を迎え、矛盾する

 合理性は時に非合理的な結末を迎えてしまうのだろうか


〇部分を寄せ集めたときの落とし穴(ライル『心の概念』) ・・・ 心理学、心の哲学
 →ある旅行者が、その国の有名大学を観光するためにタクシーにのった。タクシーは有名大学の各キャンパスや図書館、モニュメントなどをめぐり、そして高額の料金を請求した。旅行者は怒った。「有名大学以外を観光している!」と。

 旅行者は大学は一か所の空間に収まっている施設のようなものと考えていたが、その大学はそのような様態でなく町に遍在するような形であった。部分部分を集めて出きる概念的な機関としての「大学」を、ひとつの存在として「大学」と指させるものだと考えてしまっていた。旅行者はカテゴリー錯誤というものに陥っていた。

 同じくこれは「心」に対してもいえる。行動、感情、思惟の部分部分がまとまって機関として、〇〇は心の一つだといえるものなのであって、心とは〇〇だ、といえるものではないか。


〇二重のやっかい ・・・ 倫理学
 →ある患者がその疾患に苦しみ、「痛みをこらえきれない、いっそ殺してくれ」といった。医者は「鎮痛剤の過剰投与すれば死なせることはできるが、人殺しはできない」といった。 患者は「では痛みを何とか消してくれ」といった。医者は「鎮痛剤の過剰投与すれば痛みを抑えることができる。ただし君は命を落とすことになる」といった。患者は「同じことだ」と聞いたが医者は「いや違う」と首を振った。

 ここにおいては結果(死)は同じでも「殺人」という意図のあるなしの違いがそこに生じる。つまり、前者の場合、殺人の意図をもって鎮痛剤を投与する。一方で後者は、殺人の意図こそないがその予見はできている。意図と予見の違いがそこに存在するのだ。

 しかしながら、意図と予見が違っても、結果は同じであり、それに対して課される責任の重さは異なるのだろうか。


〇無知のヴェール(ロールズ『正義論』) ・・・ 社会哲学
 →自分が何者であるか、男であるか女であるか、裕福か貧困か、それがわからない状態で、自分はどんな社会規範を望むか、と考えてみる。このような不確実性の状況のもと、もし自分が社会的に劣悪な環境に生きている人であるリスクを考慮して、人はそうした弱者が救われるような社会規範を望むだろうと考えられる。この思考実験は正しいだろうか。

 そしてこの実験は自分が何者かわからない状態で社会規範を考え出そうとするが、そもそも現実の人間は自分が何者であるかを知っていて、その家族や社会文化のもと生きてきている。そのような背景を無視するこの思考実験では正しい社会規範を導き出せない。

 果たしてこの思考実験は無意味なものなのだろうか。


〇知ってはいない ・・・ 認識論
 →ある女性が、ウサギのキーホルダーを身に着けた男性と偶然知り合う。次の日、その男性は交通事故に遭って亡くなり、現場に居合わせた女性は警察に彼が「ウサギのキーホルダーを身に着けていた、ということは知っている」と語った。後日、女性はウサギのキーホルダーを身に着け、亡くなった男性と同じ顔の男性と遭遇する。彼は亡くなった人の双子の弟だった。彼ら兄弟はいつも同じキーホルダーをつけていた。

 このとき、確かに女性は最初、双子の兄と遭遇し、その特徴を知っていた。だがそれは弟と全く同じ特徴であった。

 知識は定義で「正当化された真なる信念」とされる。それを真実と信じていて、かつそれが真であることが必要であり、そしてその信念が決して偶然信じていて真であるものでなく理由をもって真である必要がある。

 この場合、女性は確かに双子の兄がキーホルダーを身に着けていたことを見ていたし、そして亡くなったのも兄だったので警察に語ったことは真実だ。

 しかし、もし最初に会ったのが弟であった場合、別人の話を警察に伝えて可能性がある。偶然、遭遇したのが兄であったに過ぎないという、この場合本当に「正当化されている真なる信念」といえるだろうか。


■感想
本書はタイトル通り、100個の思考実験が記載されている。

 思考実験を現代の人が分かるように作者が解釈し直し、その例え話が語られ、そのあとに作者の解説が入るという構成となっている。 中にはデカルトの方法論的懐疑やプラトンの洞窟の比喩、ロールズの無知のヴェールといった著名哲学者の思考実験、メアリーの部屋、ビュリダンのロバ、砂山のパラドックス、水槽の中の脳といった有名な思考実験が入っている一方で、作者がある程度は先哲から参考にしたと思われるが、オリジナルのものも含む。 内容としては各々2~3ページ程度で収まる分量であり、深く突っ込むことはない。そのため、哲学初学者向けの本といえる。中には知識の定義「Justified True Brief」や条件文(p→q)の時に前件pが偽のとき、条件文全体の真理値が真となる問題など、少々踏み込んだ哲学知識の話もある。だが、全体的に難易度でいうならば、日本の哲学科で一年学んだ大学生が復習と知見を広げるレベルの本といえる。

 思考実験を語った後、その内容の解説を飛ばして作者の意見が述べられるものも中にはあり、少々読みにくい部分はあった。

 個人的に面白かった思考実験は「ありふれた英雄」である。

 そこでは戦争で命令違反を犯してまで敵軍に特攻し、その多くを倒した兵士が描かれる。兵士は英雄かそうでないか、という問題。ここで問われるのは過剰な行いを賞賛してよいのかということになる。兵士は確かに敵兵を多く倒すという善き結果をもたらしたが、そのために自爆というおぞましい方法に走った。もしその行為を賞賛してしまうと、他の人の軍律にしたがった行為が、遵法する道徳的な行為が、陳腐なものとなってしまう。つまり求められる道徳的行為には、上限があるといえるのではないかという問題なのだ。 日本においては過労働は最近になって問題となってきているが、言い換えれば以前はサービス残業の過剰な労働が当たり前のように行われてきた。日本人にとっては過剰な道徳的行動は賞賛されるものだったのだ。現代になって価値観が少しずつ変化してきた今、この思考実験を行い、過剰な道徳の見定めを審議するべきだろう。