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ひと 03|職人| からだと ことばと いのちと ばんさん

この記事では、日々の生活で出会った"職人"をご紹介しています。

職人ってグッときます。
街のそこかしこにそんな職人がいる。
「明日もがんばろう」と思わせてくれるそんな人たちとの出会いの記録。


2019年冬の体験は、しばらくことばにならなかった。

通称「ばんさん」に出会ったのは、2018年冬の朝、山手線に乗っているときだった。

ファシリテーターを名乗って、本格的に独立し手から1年が経つ頃。独立するまでの間、長らく、自分の思考と心と身体の扱いに苦労して、社会の中ですこやかに生きていくことに難しさを感じてきた。

知恵のゆたかなセラピストや友人に支えられ奮闘する中で、楽に生きられる状態に辿り着くことができたのが2018年頃。その知恵をもっと探究したいと思っていた。

コロナ禍前の山手線。人で混み合う車内で、唯一自由になる手でスマホを操る。「からだ ことば 声 竹内」と打って出てきたのが、ばんさんの運営するホームページ。

ばんさん、瀬戸嶋充さんは、人間演劇研究所を主宰し、「からだとことばといのちのレッスン」を開催していた。竹内敏晴さんの竹内レッスンと野口三千三さんの野口体操をベースにしているという。

竹内さんも野口さんは書籍に出会っていたが、とうに故人であった。それを組み合わせて実践されている方がいるとは。ホームページによると、次のワークショップは、2019年お正月に琵琶湖で開催という。満員の電車内にいるにも関わらず、「すごいものに出会ってしまいました!」と大声で叫びたいような気持ちになりながら、スマホからすぐさま申し込みをした。

ことばのコミュニケーションをサポートするファシリテーションの仕事で、場に集った人間、ひとりひとりが、自分の声を出しているのか、その人の言葉は、本当にその人のことばなのかを重要に考えていた。

かくいう私が、ことばを発するたびに、口から出てきたことばと自分の体や心で感じていることの乖離を感じるたちだった。

“あっいま嘘ついちゃった”という感覚。
それは大きな嘘ではない。けれど、上擦った声で発せられたことばは、すこーし自分の考えていることと違うという小さな嘘。
でもそのちょっとが自分を傷つけたり、違和感としてからだに残る。

どうしたら、その人らしい声で、その人らしいことばが発せられるんだろう、それが私の疑問だった。

2019年1月、冬の琵琶湖ワークショップ。いまでも衝撃をからだとこころが覚えている。
ばんさんは、長い髪に長い髭の持ち主だった。やわらかく動く身体にただものでない空気が漂う。仙人とはこういう人のことを言うのであろう。

(学生の頃、山小屋でアルバイトしていた際に、ネパールと日本を行き来し、年齢不詳な支配人にそっくり。まさか人生で仙人に2人会うことができるとは、、と内心思っていた)

岸に立つと海みたいに大きな琵琶湖

ワークショップではからだや声をつかったワークをいくつも行った。
2人組で、野口体操の要領でからだをほぐすほぐされる。ボールを投げながら、相手に怒りをぶつける。これは得意。気持ちいい。私は怒りへのアクセスは抜群に得意と認識していた。

メインは、参加者全員で行う宮澤賢治の物語の朗読だ。少しずつ回し読みしていく。

私が読んだところで、ばんさんから「違う!」と言う声が飛んでくる。
何度か飛んできた。私、号泣。

なにせ、小学校の頃から、音読は大好き!小学校の学芸会ではもちろん主役!高校のミュージカル部でも主役!で、なんとなく私は音読ができるという感覚があるナルシスト人間だったのだ。

そんな天狗の鼻は思いっきりへし折られた。

ばんさんの椅子

でも、実は心の底ではわかっていた。
ばんさんから発せられる声と、自分の出す声とは圧倒的に違うのだ。

「あなたの声は、説明しようとする声だ」とばんさんは言った。いや〜痛い。痛いほど、わかる。

日常で無難にことを運ぶための、説明しようとする、情報を運ぶ声ではない声を探し求める。

はてさて、自分のほんとうの声ってどうしたら出てくるんだろう??何度も繰り返す。ああでもないこうでもないと試す。

そのとき、「ああ、これだ」と自分でもはっきりわかったことばが、宮澤賢治の文章にのって、突然あらわれた。

自分の欲深い意図や意思は不要だったのだ。自分自身が透明になったような、よく響く筒、瓶になったようなそんな感覚だった。

からだに無理がない。声、音がそのまま出てくる。それが世界と共鳴しているような。つかえていたもの(いや憑かれていたものか?)がとれてスッキリした感覚。

自分がああしよう、こうしようと頑張らずとも、音が拓いていくこの世の美しさに身を委ねる。

いつものことばに拘泥するのを許さない。「あなたのことばは、そんなもんじゃない、のだ」とばんさんは思っていたのかもしれない。

たしかに、「そんなもん」じゃなかった。

合宿参加者と夕暮れどきの琵琶湖

合宿では、それから、星めぐりの歌を何度かみんなで合唱した。
日本語の1文字1文字を発するたびに、その音が明るさを持って気持ちよくからだを通り抜ける。自分が存在するようで存在しないような。

自分というものが一気に夜空に放り出されて、世界へと溶け込んでいくような不思議な感覚。

5年経っても、からだもこころもあの瞬間に引き戻される。いのちの本領発揮。いのちが、踊り、よろこぶ。ことばが、跳ね、広がる。

子どもには、こんな仙人な先人にたくさん出会って学んでほしいなあ。

うつくしい琵琶湖

星めぐりの歌。日本語の母音の美しさを堪能できる歌。LUCA,There is a foxのカバーも心地よい。Spotifyやyoutubeで聴けます。

https://www.youtube.com/watch?v=rLjql00-zkU


星めぐりの歌 宮澤賢治

あかいめだまの さそり
ひろげた鷲の  つばさ
あをいめだまの 小いぬ、
ひかりのへびの とぐろ。

オリオンは高く うたひ
つゆとしもとを おとす、
アンドロメダの くもは
さかなのくちの かたち。

大ぐまのあしを きたに
五つのばした  ところ。
小熊のひたいの うへは
そらのめぐりの めあて。


瀬戸嶋 充・ばんさん
人間と演劇研究所
HP:https://ningen-engeki.jimdoweb.com/
note:https://note.com/kara_koto_inochi



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