映画『ノマドランド』を観てきました
久しぶりにnoteに書きます。
4月2日に『ノマドランド』を観てきました。本年度アカデミー賞3部門受賞されたのも、観た人なら「だよね〜」と思う作品です。
作品賞、監督賞、主演女優賞。どれも、うんうんと納得しながら拍手せずにはいられません。どんな映画だったのか、どう素晴らしいのかはググればいくらでも出てくるので、ここでは重複することは書きませんし、観てないとう人は平気で置いていきます。ネタバレになることも普通に書いていく、独断と偏見の雑感です。
あぁ、知ってるという感覚がエグい
街中から郊外、そして自然が広がる壮大な風景も話題の一つですが、個人的に、大都会でずっとずっと暮らしていてアウトドアなんて無縁という人ではないので(あぁ〜、いいな。こういう景色の中にしばらくいないな)というノスタルジー的な気持ちで眺めていました。
特に夕暮れのシーンは最高に好きです。
でも、自然は美しいばかりではなく厳しさもちゃんと描かれていて、(そうそう、いろいろ大変だったり、面倒だったり、厄介だったりするよね)と共感してしまいます。「ノマド素敵〜♪」とは安易に思わないです。
楽しいけど大変だから。
もちろんノマドしたわけじゃないですが、反則技として前世の持ち込みOKとするならジプシーとかやったことあるんじゃないかなと思うぐらい、素敵💖というよりしんどさが身体中に広がります。
でも、毎日満員電車に乗るのとノマドをやるの二択なら、私は全力で後者を選ぶタイプなので、しんどいと思うことは人それぞれだなと思います。
ファーンに言い寄る男の弱さよ
登場する人のほとんどが実際のノマドで、主人公のファーン(フランシス・マクドーマンド)と、好意を寄せてくる男性だけではプロの俳優だそうです。この二人の関係がストーリーのスパイスになっているのですが、ファーンに感情移入していた私は、ファーン同様(ちょっといいかも♪)と思ったりもしつつ、(でも、なんか違うんだよなぁ)という気持ちが行ったり来たりしていました。
そして、寂しさを感じた時に彼を訪ねたファーンの気持ちも(わかるな〜)と思いつつ。
彼はノマドをやめて、郊外の一軒家で子供と孫に囲まれた穏やかな隠居生活をしていました。そしてファーンにも「ここで一緒に暮らさないか」と誘ってくるのです。はい、下心いっぱいです^ ^
私だったらどうするかな。映画としては面白みに欠けるけど、現実にこう切り出されたら「YES」って言っちゃうかもなとも。
でも、彼と息子(?)がピアノの連弾をしているのも見たファーンは、その家を後にします。
それだけで「OUT」なの? と思いました。軋轢のあった親子関係が修復されていい関係を築けて良かったじゃない。一緒に暮らしても見たくない親子喧嘩を見なくて良くなったんだし、いいじゃん。って。
でもでもです。ファーンの行動に私も同意です。ファーンが一緒に暮らして、どんなに家族みんなと仲良く暮らしても、「家族」と「ファーン」という図式は変わりません。満たされるのは男だけで、家族愛と異性愛を同時に満たせて自分だけがハッピーです。
ファーンの幸せではなく、自分の孤独を埋めることが最優先。
私にはそう見えました。いい人ですけどね。多分、本人も気づいてない本質がファーンには見えて(ここは私の居場所じゃない)って判断したんじゃないかなと勝手に解釈しています。この家に居る方が孤独感が増して、遅かれ早かれ出ていく。それなら早いにこした方いい。そんな感じでしょうか。
どう死ぬかはどう生きるかと直結する
ノマド仲間で、死期が迫っている女性も登場します。彼女が向かったのは「病院」ではなく、もう一度体感したい「景色」です。
そこはイワツバメの大群が飛び交う場所で、ファーンの携帯に動画が送られてくるシーンに、彼女の芯の強さと達成感が滲み出ていました。
最後に目にする景色が病室なのは味気ない。
そう思っていても病院を選び人が多いのではないでしょうか。病院のデザインが一新されるか、はたまた死に場所が今以上に多様になるか。変化を期待しつつも、自分自身もどう生きていくか、生きたいかを具体的にイメージするきっかけをもらえました。
仕事が押してしまって、最初の15分を見逃したり、途中まさかの離席をしてしまったので、数年後自宅でリピートしたい。
VRが普及していたら、VRで見るのが最高な1本だと思いました。