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『脳』こそが私自身。ならば私はもう壊れている。死んでいる。

こんにちは。

春野太陽です。



最近突然おすすめに出るようになってきた

心臓外科医さんのYouTubeショート。

そこでこんな質問に答えていました。

『脳の移植ってありますか?』

答えは『ありません』


というのも、

例えばAさんにBさんの脳を移植した時

Aさんの記憶や経験やIQや考え方や性格など

すべてBさんのものに入れ替わってしまいます。

それはもはや、Aさんではなくなるわけです。

死んだはずのBさんがAさんの身体を介して蘇ったようなもの。

だから、脳の移植というのは存在しない。

【脳は人格そのものである】

ということになるのです。


また、

カウンセリングでポロッと私がこぼした言葉があります。

『過去の嫌な記憶だけ消せる薬でもあればいいのに…』

でもそんなものは当然存在しないんですよね。

もしも記憶が消せる薬があるとしても、

それは自分が消したいと思う部分を選択できるわけではなく

全くすべて忘却する形になったりするわけです。

なぜなら記憶は全部点と点が繋がっているものだから。


そう考えるとほんとうに

私の脳みそはもう救いようがないくらいに

苦しさと寂しさと怒りと憤りと悲しさで溢れてて

常に頭には死の文字がよぎり続けていて

働くこともままならないほどに身体も動かなくなっていて。

私の脳は壊れています。

「障害」「疾患」「治療中」なんて言葉がもう

悔しいくらいです。

だってもう、もう壊れたら治らないものを抱えているんだもの。

一度壊れたあと、日々壊れる箇所が増えているのを体で感じている。

もう治療して治るなんてものじゃない。

「治療中」てまるで回復見込みあるようだわ。

もはや「障害」「疾患」じゃない。

「春野太陽という人格はもう死んでいる」なんだ。

人格が死んでいるんだ。

脳が死んでいるんだ。

私という人間はもう生きていないも同然なんだ。

ならばなぜこれ以上苦しまねばならぬ。

壊れた私を見て私が嘆いている。


壊れたものを本気で大事に扱って直してあげようと思う人が現れるか

壊れたものを分別して綺麗にしてくれるお掃除上手な人が現れるか

どっちかが現れないと救われない。


「生きてりゃいいことあるから」なんて

引き止めるだけの人がいても

つらいのが続くだけなんだ。


『自分自身の人格が壊れる』っていう概念、

直接味わってみな。

怖いぞ。



2024.03.11(Mon)
春野太陽

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