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ローズクォーツを見て思うこと
夜、キッチンで薬を飲んでいたら、カウンターの下から娘が現れた。
「ママ、この石の効果って何でしょうか?」
娘が持っているものをよく見ると、白に近い淡いピンク色をしている。たしか「ローズクォーツ」って言ったっけ。
娘はきれいな石をコレクションしている。私の両親が旅行先で買ってきたものや、イベントの発掘体験で手に入れたものなど、少しずつ種類も数も増えてきた。
「ローズクォーツの効果って、恋愛運アップとかじゃなかったっけ?」と私が答える。「なーんだ、ママ知ってたんだ」と、残念そうな娘。
そのあと「ローズクォーツ持ってたら、ママも恋愛がうまくいくよ!」と、笑顔で彼女は続ける。
「恋愛って……。(笑)私が今から恋してどうすんのよ。〇〇のほうが必要なんじゃないの?」と返すと、納得いかない様子で行ってしまった。
***
娘とのやりとりのあと、ひとりでぼんやり考えてみる。
「死ぬまでに、私はまた恋愛をすることがあるのだろうか」と。
離婚が成立して、たしか5~6年くらい経つ。
人生を立て直すことに必死すぎて考えていなかったけれど、あと10年すれば娘は二十歳。
考え方によっては、今がちょうど折り返し地点ともいえる。娘が家を出たあと、私はどんなふうに生きていくのだろうか。
ひとりで?
それとも
誰かと一緒に?
***
離婚してみて思ったのは、「なんて日々、平和なんだろう」ってこと。もちろん生きている以上悩みはつきないけれど、夫におびえる必要のない毎日は別世界だ。
元夫と別れて、ようやく自分を見つけられた。「娘が自立してひとりになっても私は大丈夫」と、今は思える。
でも、その裏に何かモヤモヤしたものがある気がしていて。
果たして「一生ひとりで大丈夫」は、本音なのだろうか。
もう大切な人に裏切られたくない。
娘がいる以上、私だけの問題じゃないし。
そもそも、ひとりのほうが楽。
そうやって「人を好きになる」という感情を意図的に排除して、心のシャッターをおろしているような気もする。
一方で「そろそろ誰かと日々を共有する未来を思い浮かべてもいいのかなあ」って、少しだけ考えてみたりして。
***
最近、娘が恋愛系のドラマやマンガにはまっていて、一緒に楽しむ機会が多い。それもあって「誰かを思いやるっていいなあ」と、ほんの少し羨ましく感じるようになった。
かといって、自分からアクションを起こす気は、まったくない。
でも……。
この「でも」の正体は何なんだろう。今は分からない。
***
スマホでネットサーフィンしながらも、完全に心は上の空。自分自身とおしゃべりしていたら、再び娘がやってきた。
「ママー。やっぱりこの石、ママにあげる」と言って、私の手のひらにローズクォーツをのせる。ひんやりとした感触。
「恋愛運アップ」か。
心のなかでつぶやいて、お気に入りのピアスと一緒に、そっとしまう。いつかこの石が「恋のお守り」になる日が来るのかな、なんて少しだけ期待しながら。
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