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時間と距離と心の壁、全部飛び越えて

こんばんは!はるねずみです。

実は昨日深夜、驚くべきことが起きました。

それは何かを簡潔に説明すると・・・

幼稚園~中学が一緒だった友達と、Twitterで共通のフォロワーさんを介して偶然再会。中学卒業後は特に連絡を取ることもなく、かれこれ15年以上が経過していた。さらに、私が宅録ナレーターとして活動している一方、友達はシナリオライターさんとして活躍中で、お互い近しい界隈にいると判明。

ざっとこんな感じです・・・!!!

私はそもそも学生時代の友達が片手で数えるほどしかいなかったことや、元々陰キャだったこともあり、今こうして自分がネットで顔や声を晒して活動しているということを、身近な人にはほとんど話していません。

家族には話しましたが、あまり理解はしてもらえず、それからは自分から話すことは避け、質問されても最低限の回答に留めるようにしています。

また、数人の友達には打ち明けているものの、それでも「笑われるかもしれない」「否定されるかもしれない」という恐怖から、あまり深い話は自分からしないようにしてきました。


つまり、家族や、数少ない友達など、打ち明けた人がいるにはいるものの、ある一定以上の深い話や、自分のやりたいこと、憧れていることなどを語ることはしてこなかったんです。

馬鹿にされるかもしれない、と思ってしまうのは、それだけ自信がないということであり、それは自分の頑張りが足りていない後ろめたさの裏返しでもあるかもしれません・・・


とにかく私は、今の自分について、実際私に会ったことがある人には知られたくなかったんです。

とは言え、顔も声、居住地などの個人情報を晒し、名前も自分の名前をもじっただけのものでは、バレるのも時間も問題なのですが・・・

以前見つけてくれた友達にたいしても、内心では、

(私を見つけてくれて、連絡をくれてありがとう。久しぶりに話が出来て嬉しかった。でも、どうか何も見なかったことにして、忘れてください・・・。他の誰にも、このことは言わないでください。)

と、思っていました。


しかし、今回は、まったく話が別でした。


なぜなら、その友達は、ただ私をネットの中から発見してくれただけではなく、彼女自身も広い意味では同じ業界で仕事をしていたからです。だから、共通のフォロワーさんが何人もいたわけで・・・


DMが来て、私だと気づかれたとわかったとき、一瞬、今の自分を知られて「恥ずかしい」と感じました。

ただすぐに、その気持ちは吹き飛びました。

友達は、決して今私がしていることを笑ったり馬鹿にする様子はなく、再会できたことや、今こうして近しい環境で活動していることを喜んでくれたんです。すごい!と純粋に褒めてくれたりもしました。


私にとって、身近な人でここまで何の抵抗感もなくアッサリと受け入れてもらえたのって初めてのことです。


予期せぬ再会に驚きを隠せなかったものの、私自身も、ライターさんや動画編集者さんたちと交流させていただいているため、友達の「今」についてもすんなり理解することができました。


ただ、もしも別の形で再会していたとしたら(たとえば同窓会とか)、果たして私は打ち明けられていたかというと・・・

おそらくそれはNOです。

適当に「派遣の仕事しながら好きなことやってるよ~w」とごまかしていたと思います。

こういう再会の仕方で、お互いの今をいきなり突き付けられたからこそ、これまで会うことも連絡を取ることもしていなかった十年以上の時間も、住んでいる場所の距離も、さらには「こんなこと知り合いには話せない」という心のハードルまでもあっさり飛び越えることが出来たんだと思います。


普段なら人に話せないようなことを話す状況が偶然できあがり、また、それをすんなり受け入れてもらえたことで、私の中で、その友達との心の距離がぐっと近づいた気がしました。

中学の頃、一緒に学校でお喋りしていたあのときよりも今の方が、もっと心を開けるかもしれない、と思いました。


うまく言葉にできていないですが、とにかく、すごくすごく嬉しい再会でした!!!


みんなそれぞれ、まっすぐ進んだり曲がったり止まったりしながら、自分の道を歩いていく。いったん離れても、志が近ければ、またどこかでばったり出会うこともある。


お互い自分の大切なものを持ち続けてきた先にこうして再び巡り会えたんだと思うと、「この再会(縁)を大切にしたい」と強く思いました。

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