祖母のお葬式
私の祖母は、花が好きで面倒見がよくて、ちょっと心配性な人でした。
おばあちゃん子というほどではなかったのですが、中学生の頃まで一緒に住み、その後も徒歩10分程度のところに住んでいた祖父母とは、顔を合わせる機会が比較的多かったと思います。
学校帰りにはいつも、駅と自宅の中間にある祖父母の家に寄り、おやつを食べて祖母と話し、少しボケはじめた祖父が祖母に怒る様子を見ては、
「なんでそんなに怒るの!おばあちゃんは悪くないでしょ!」
と私が祖母に怒るのが定番でした。
心配性で、ちゃんと食べてるの?と帰省のたびにたくさんの食べ物を持たせてくれ、不慣れな携帯電話のメールや電話をたくさん送ってくれました。
かりんとうや個包装のゼリー、あんドーナツなど、おやつはいつも祖母らしいチョイス。今でもスーパーで見かけると懐かしい気持ちになります。
忙しい母に代わって食事を作ってくれていたことも多く、祖母の作るじゃがいもの入ったおでんは、やっぱり母や私が作るのとは少し味が違います。
とても面倒見がよく、色んな人が祖母を頼って訪ねてきては、そんなところまで……と思うくらい世話を焼いていて、地元では町内会の役職についたり、とにかく家に人がくる機会が多かったように思います。
そんな祖母は、私が大学生の頃に亡くなりました。
心筋梗塞で、自宅のダイニングテーブルに座ったままの姿を近所の友人が発見し、そのまま息を引き取りました。
東京に上京していた私は、昼ごろに両親からその連絡を受け、同じく上京していた妹を連れて、急いで実家に戻りました。
初めて近しい親族が亡くなり、なんだか信じられない気持ちでした。
上京して楽しいことが多く、実家にもなかなか帰らなくなっていた私。
祖母から連絡がきても、2〜3回に1回くらいしか返事をしなかったり、電話を面倒がったりしてしまっていた私は、なぜもっと優しくしなかったのかとたくさん後悔しました。
そんな中、迎えたお通夜。
祖母は、びっくりするくらい穏やかな顔で、少し笑っているようにも見えました。
普通は死後半日もすると体が固くなってしまうそうなのですが、ただ眠っているように見えるくらい、普段どおりの柔らかさでした。
病気もボケも進行して施設に入っていた祖父も、許可を取って出てきていました。いつも怒っていた祖父は、体も小さくなり、弱々しい様子で車椅子に座っていました。
父に連れられて祖母の棺の前にいき、震える手で棺に触れながら、聞こえるか聞こえないかの声で「ありがとう」と。
一般人のお通夜にもかかわらず、会場に入りきらないくらいの方が来てくださり、あとで聞くと400名以上が参列してくださったのだそうです。
祖母が、たくさんの人の人生に影響を与えていたのだと、その様子を見て実感しました。
その時から、祖母は私の目標とする人の1人です。
たくさんの人にお通夜に参列してほしい、とは思いませんが、それくらい、たくさんの人にプラスの影響を与えていけるようになろう、と。
実は、祖母が亡くなったその日は私の誕生日の前日でした。
約1年後の、妹の誕生日の直前に、後を追うように祖父が亡くなりました。
私と妹の誕生日に、家族があつまる理由を作ってくれたみたいだね、と家族で話していました。
今日もまた、誰かに良い影響が与えられるよう、行動していきます。