コーヒーに纏わる思い出。
今回の記事は、テストも兼ねています。みんフォトの画像設定、文中への画像挿入など、画像関連の不具合が見受けられる模様=note(他のnoterさまの記事でも言及が)今回お借りしたヘッダー画像、企画参加のときに使いたかったのですが……上手く行かず。今回はFirefoxをインストールして漸く設定可能に。何だろう……🤔 まあ、個々対処します。そうして上がっていくのが個人スキルですから<不具合は常、失敗からこそ学べ
閑話休題。珈琲について。コーヒーではなく珈琲と綴りたいのですが(懐古主義💦かもしれませんが)。以下「である」調にて(私の本来の書き言葉です)
好きになったのは何時からだったのか、自分でも覚えていない。新しもの好きの父親の影響もあり(早くからサイフォンなどの機具が自宅にあった)、就学時にはレギュラーコーヒーを飲んでいた。砂糖を入れぬ(ミルクも)ブラックを覚えたのも、豆の甘味を知ったのも、小学校低学年というませた子供だった。背伸びした琥珀色の飲み物、そのお供は新潮社の「とんぼの本」だった。
少し張り詰めた静謐さ。幼き頃は図書館、長じてからは美術館や博物館の空気が好きだ。その静謐を味わった後、静かに高ぶる内心を収めるのは珈琲の焙煎、その芳しい香りだ。
道路を横切る車の音、街の喧騒。それ自体を煩いと感じるのではない。それを引き起こす人々の先急ぐ姿、そのせわしなさ、余裕のなさが息苦しいと感じてしまうからだ。
そんなに急いで何処へ行く。最後に辿り着く場所は、みな同じ所だというのに。急ぐ足が捨ててしまうもの、見逃してしまう事柄の何と多きことよ。ああ、勿体ない。不遜にも、そんなことを感じている。
珈琲を飲む目的が覚醒のみならば、飲み物でなくともよいはずだ。Energyドリンクで事足りる。……身体は、だ。なれば、心は?
インスタントも(スターバックス監修など)優れたものが多く、私も朝には愛飲している。だが、ここぞというときは、やはり豆を挽いた珈琲でなくては、頭の芯が納得してくれない。それが心の渇きかどうかは、今は問わずに。
そして、「ものがたり珈琲」さんの珈琲。至福の時を。
ここまでお付き合いいただきありがとうございました。また、次の記事でお逢いしましょう。
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