受け継いで、受け渡していく。
#未来のためにできること 企画に参加します。
短歌同人誌で活動していた頃、こんな歌を詠んだことがあります。
骨は異国 墓わたつみにあるものの
裔(すえ)なるわれは温(ぬる)き時食(は)む
手前味噌で恥ずかしい次第なのですが、上記の歌を札幌市内に拠点を持つ著名な短歌結社誌に取り上げていただきました。歌の拙さを反省しつつも、無名の歌詠みに差し延べられた手を、今も光栄に思っています。
上記の歌の背景を少し補足してみますと、私は戦没者の孫に当たります。私の父は東北秋田の出身ですが、出生地が南樺太・真岡(ロシア連邦、サハリン・ホルムスク)です。それを発端にして「8月の記憶」というテーマで詠った50首の1首が上げた拙作です。
歴史事項として有名なのでご存じの方も多いと思いますが、真岡では第二次世界大戦の終戦・1945.8.15の前後、悲惨な戦闘が引き起こされ、多くの貴重な人命が失われました。それは軍籍・軍人に留まらず、民間人もその犠牲となったのです。以下に参考記事をリンクします。
自決に追い込まれた若き女性たち。それは立場を違えれば父だったのかもしれない。この当時、旧ソ連軍により行われた艦砲射撃により、その時に海岸線にいた私の祖父は死亡しました。多くの民間戦没者のひとりとして。
幼き身、小学校を卒業したばかりで父親を失った父をはじめ父の兄弟(私の叔父叔母)、そして寡婦となった祖母。その喪失、痛みを想像するしかできない戦後の高度経済成長のただ中に、私は生を受け育ちました。
そんな私にできるのは ただ忘れないこと それだけです。ひとりの人間のちっぽけな記憶のバトン。それが如何に無力かは、私自身が1番強く感じています。だからこそ。
この僭越な記事をご覧いただいた方へ。もしお時間を裂いていただくことが可能ならば、上記にリンクした真岡の女性、その体験談に触れてみてください。
折しも終戦の日と呼ばれる八月十五日が今年もやってきます。人と人が争うこと、それは哀しいかな、今も続いています。人がある限り戦いはなくならないかもしれない。なくならないかもしれないけれど。
自分の痛みを自分で癒していこう。可能ならば、隣の人が苦しんでいるときに声を掛けてみよう。そんな小さな、取るに足りぬ行いを重ねることで、あの暑い1945年8月の悼みが―
―次の世紀、22世紀には癒されている、そんな世でありますように。