偏屈な店主がいる飲食店に行く理由。
この前、夫と話してたこと。
偏屈な店主がいる店に、なぜわざわざ食べに行くのか。
私の場合は「美味しいから」とか「そこでしか食べられないものがあるから」とか。理由は単純である。
自分で言うのもなんだけど、共感力が人より強めで空気を読むことは得意なので、店主のよくわからない地雷を踏むこともそんなにないし、もし踏んでしまったとしてもリカバリーできる(と、思ってる)。
食事が届いて食べ始めるまで、地雷を踏まないように肝を冷やしながら、言葉を選んで注文とかしないといけないので、非常に面倒くさいのだけど、美味しいから行く。食べたいものが、そこでしか食べられないから行く。そうまでして食べたい。でも行くと疲れる。
そういうお店には、自分と似ている感性の人を連れて行きたい。たまに店主の地雷を踏んだあげく、爆発してるのに気が付かないで攻め続ける人と一緒に行ったものならば、冷や汗が出て止まらない。胃も痛い。もうそれ以上喋らないで、余計なこと言わないで、と思いながらそっと目を閉じたくなる。
そんな暗い上に解決もしなければオチもない話を夫にしたら、「わかるよ〜」と言っていた。うちの夫は私のように繊細ではないけど、空気は読める人だと思う。だから夫はちゃんと行く人とお店は選んでいる、と言っていた。そのお店にはそのお店のルールがあって、そこのトップは店主だから、まぁ仕方ないよねというのが私たちふたりの結論だった。嫌だったら行かなければいいのだから。
とはいえ、私はなにかにモヤモヤしていた。
それは、偏屈な店主にだろうか。いくら自分の店とはいえ、客商売。それ以前に社会生活を営むひとりの大人として最低限はあるだろう。敢えて人をムカつかせるような態度をとるのはなぜなんだ!と。
それとも空気を読めない発言をして、私の胃を痛めつける人に対してだろうか。そんなこと言ったら火に油だって、なんでわかんないんだよ、と。
それとも、本当は自分自身に嫌気がさしているのかもしれない。好き好んで空気を読んでるわけじゃない。でも感じ取れてしまう。そして、なぜか自分がその場を取り持たなければ、と思っている。完全におごりである。誰も頼んでいないのに。こうして書いたら、多分3つ全てにちょっとずつモヤモヤしてるんだということに気がついた。
気がついたから、何かが変わるわけではない。私はこれからも食べたいものがあれば、偏屈な店主のお店にも行くだろうし、一緒に行く人は慎重に選ぶ。怒らせないように、店のルールは守るし、言葉には気をつける。そしてちょっとだけモヤモヤするけど、「美味しかった!」でそのモヤモヤはかき消されて、満足感だけが残るんだろう。
この話を書くにあたって思い出したことがある。昔、よく飲みに行っていた横浜の野毛にあったもつ肉やさん。今はもう閉店してる。美味しくて安いんだけど、お店には独自のルールが色々あって、それに違反すると普通に怒られる店だった。キャッシュオンデリバリー(カッコよく言うやつ)の店で、買ってから席に着くスタイルだった。私が友人とふたりで並んでいると、店のおじさんがやってきて「真っ直ぐ並べ」と怒られた。特に大きくはみ出していたわけでもないと思う。ただ肉を食べて美味しい酒が飲みたかっただけなのに、30も過ぎてそんな理由で怒られるとは思ってもみなかった。真っ直ぐ並べと怒られたのは、おそらく小学生か中学生以来じゃないか、と呆然とした。でも結局、その話を肴にお酒飲んでるし、なんならいまだにこの話で盛り上がることあるし、個人的にはネタとして面白いからいいかなって思ってる。
私は羨ましいのかもしれない。他人にそんなに全力で嫌われにいくようなこと、私はどうしたってできないから。そうまでして、なにがしたいのかはわからないけど、そういうエネルギーの要ることには、多かれ少なかれその人の信念みたいなものがあるんだと思う。それを曲げずに仕事ができるって、すごいよね。あぁ、だから私そういうお店に行くのかもね。