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あらためて、『アフリカ』とは何だろう[後編の前編]

昨日のつづき)

もともと『アフリカ』は、ぼくと縁のある関西在住の、文学者たちによる雑誌だった。が、2010年、大阪を離れて府中に移ったあたりから、そのへんがよくわからない感じになってきた。

文学をやろうとする意識のない人たちが少しつづ、嬉々として参加して書くようになり、それがとてもよかった。

いつしか、"日常を旅する雑誌"というキャッチフレーズが浮かんできて、使ってみたら、「ぴったりですね!」と言われることが少なくなくて、なるほど、ではそういうことにしよう、と"日常を旅する"雑誌『アフリカ』と名乗ることも増えたが、とはいえ、それも後付けだ。

『アフリカ』に書いている人たちにも、読んでいる人たちにも、"日常"があり、"旅"があり、"日常"をよく意識していて、旅するように"日常"を過ごす感覚もあるだろう。

しかし、ぼくという編集者は、それを『アフリカ』という雑誌の"テーマ"のようにする気はなかったし、これからもない。

というよりも、"テーマ"で雑誌をつくりたくないのだ。

ぼくは編集者として、そういうことを考える。

何か"テーマ"を決め、それにふさわしい執筆者を決め、だいたいの内容を決めて、書いてもらって、雑誌をつくる、というのは、出版業界ではあたりまえのことだろう。

ぼくは、出発の頃から、すでにそういうものに飽きていた。

いまではミニコミや個人誌をつくる人たちの多くも、出版業界の人が多いからかどうか知らないが、そういうやり方をとっている。

ぼくは読み手としては、そのような雑誌も読むが、つくり手としては嫌なのだった。わがままなのかもしれない。

いや、自分の役割はそれではないと思うから、だった。

『アフリカ』では、とにかく、出来レースが嫌なのだった。この社会で仕事をしているとそんなこと(出来レースのようなこと)ばかりだから、か。

予想できなかった出会いに、導かれるようにして歩んだ。不安定このうえない。しかし、不思議と途切れることはないのだった。

(明日につづく)

「道草の家・ことのは山房」のトップ・ページに置いてある"日めくりカレンダー"、1日めくって、3月 19日。今日は、ホットケーキの食べ方、の一例。※毎日だいたい朝に更新しています。

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