2019年の小野二郎(メモ③)
「2019年の小野二郎(メモ②)」のつづき。
今回の企画展の図録、冒頭の方に収録されている川端康雄さんの文章「モリス主義者の残したものは──小野二郎の仕事(と未完のプロジェクト)」が、この本と今回の企画展の全体を方向づけている。
いわゆる"追悼文集"である『大きな顔 小野二郎の人と仕事』(晶文社/非売品)に載っている長田弘の詩「LULLABY」は、こんなフレーズで終わるが…
小野二郎 一九二九〜一九八二。
つくった本、やった仕事よりはるかに、未定の本、
未定の仕事を、ここに置いたままにしていった大男。
Sleep, Big Baby, sleep your fill.
川端さんの文章は、小野二郎の人生を丁寧に辿りつつ、彼の"死後の仕事"まで見ようとする試みだ。
小野さんはウィリアム・モリスの研究者とは名乗らず、"モリス主義者"と名乗っていた。『運動としてのユートピア』のあとがきによると、
今日のわれわれの問題ひとつひとつを、モリスだったらどう考えるかを考えるのが、自然な私の習慣になっていた。
ある人の仕事の研究をするには、これはしかし研究者らしくない姿勢だと言われるかもしれないが、「その人になる」のが一番いい。自分がその人になる。ある謎に対して、その人になれたら、自分ならどうするか、と考えてみれば予測がつく(徹底して入り込んでいる人じゃないとそんなことは言えないだろうが)。
川端さんは晩年の小野が構想していたモリス講演文のチームによる翻訳にかんして、訳自体が難しい、多分野の人が集まっての共同作業になるとさらに厳しいだろう、と指摘しつつ、しかし「モリス的共同制作のビジョンに満ちあふれて」いたと書いている。
そのあたりの文章が、ぼくには感動的だ。
また「失敗」は小野にとってむしろ積極的な意味を孕む語であった。「運動はその内包する思想を、挫折や失敗の形でしか伝えられない場合がしばしばある。モリスの場合がそうだ。ラスキンの思想の独創性とは何か。人を失敗させる力だといいたい」(「ラスキンとウェスカー」)と書いた小野は、芸術運動家としての自分自身の「力」にも言及しているように思う。
2月に、花田清輝の話を書いた時に、「どうして現代の文学は、制作をひとりでやろうとするのか?」という彼の問いかけを記しておいた。
その問いへの応答が、ここにあると思った。空の上を駆け回って、ふたりが話しているような気がした。
ぼくが初めて雑誌をつくった時に、小川国夫さんはそれを読んで、「共同作業」の話をしばらくしてくれた。その日のことを、少し思い出している。ぼくは自分の中には一貫した「共同作業」のビジョンがあり、光の道のようになって見えているのを感じてる。
(つづく)
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